今日なに再読しよう(4) 〜「二十歳の原点」
死ぬまでに再読したい本がたくさんあります。もう新刊を読むヒマがない!と思うくらいたくさんあります(新刊も読みますけどね)。そんな「再読したい本」を少しずつ紹介していく「今日なに再読しよう」シリーズ。再読する前に記憶不十分で書くこともあるのであしからず。
独りであること、未熟であること、
これが私の二十歳の原点である。
こんな美しい扉言葉から始まるこの本を、ボクはちょうど二十歳の年(1981年)、むさぼるように読んだ。
そして、そのとき感じたいろいろな感情を忘れたくなくて、「著者・高野悦子さんの命日(6月24日。今日だ)にこの本を必ず再読しよう」と、そのとき誓ったものだ。
その誓いは、まだ途切れていない。
毎年この日に、もうページが茶色くなった文庫本を開き、珈琲を飲みながらゆっくり再読して、あの日のいろいろな感情を反芻している。
筋がない「日記」の本なので、飛ばし飛ばし読んでも大筋に影響はないし、目的は「あの日のいろいろな感情の再想起」なので、なんとなく目についたところをゆっくり読んでいる。
ボクのもっている文庫本は、昭和56年5月30日発行で12刷。
昭和56年の6月1日にボクは二十歳になったので、たぶん二十歳になってすぐに買ったんだろうと思う。
大学に入って、ボクは立脚点(拠って立つところ)を探していた。
頭でっかちで読書での疑似体験ばかりしていたタイプだけど、あっちの思想を食べ、こっちの哲学に酔い、そっちの人生観に溺れ、と、単に右往左往・右顧左眄、ふらふらと行ったり来たりしているだけで、オレってぜんぜん核がない、とか焦っていた。
周りにもっと大人びた(ように見えた)友人たちがたくさんいたからね。
なんかビクビクして、焦っていた。
そんなとき、二十歳でこの言葉に出会い、なんかすとんと腹に落ちた。
独りであること、未熟であること。
あぁ、それでいいのか、と思った。
この言葉が何か意味ある思想を語っているわけではないんだけど、でも、ここを「原点」と考えるのなら、いろんな方向に踏み出してみて、またここに戻ってくればいい。
他人と比べなくてもいいし、急いで成熟する必要もない。
そう思って少し救われた。
それ以来、ボクはこの言葉と、ずっと生きてきた。
60歳を手前にした今でも、独りであり未熟である、と自分に言い聞かせている。
毎年毎回「独り」と「未熟」を反芻することは、きっとボクの人生に大きな影響を与えたに違いない。
すこし「寂しげな性格」になってしまったかもしれないくらいはw
大学時代、著者のことをストーカーのように追ったこともある。
この本が出版されたときには亡くなってしまった人だ。追ってももちろん会うことはできない。
でも、本を片手に彼女の足跡を後追いし、京都中を彷徨った。
まだネットがないころのことだ。
情報が圧倒的に不足していて、重要なポイントであるジャズ喫茶「シアンクレール」を探すのも一苦労だった。
くわしいサイトがあるので、載せておく。
この本、いまなら「自殺してしまった誰かの、内省的なブログ」で、済まされてしまう内容かもしれないな、とも思う。
さっと一回読んで、通り過ぎているようなコンテンツだったかもしれない。
でも、時代的に情報が圧倒的に少なかった分、この「内省的な日記」も貴重なコンテンツとなり、ボクはそれを何度も反芻することができた。
情報やコンテンツが少ない時代に若い日々を送れてよかったな、と、こういうときに思う。
本の扉の彼女の写真。
二十歳のころのボクには、とても大人びて見えた。
でも、50代のいまは、とても頼りなさげで不安に怯える少女のように見える。
いつの間にかボクは彼女の歳を大きく越えてしまった。
高野悦子さんは、いま生きていたら71歳。
まだこんな目をしていただろうか。
彼女の日記は、昭和44年6月22日、次の静かな詩で終わっている。
奇跡のような詩だと思う。
そして6月24日2時36分に、彼女は鉄道自殺する。
旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう
出発の日は雨が良い
霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら
そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく
大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根本に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう
近代社会の臭いのする その煙を
古木よ おまえは何と感じるか
原始林の中にあるという湖をさがそう
そしてその岸辺にたたずんで
一本の煙草を喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう
原始林の暗やみが包みこむ頃になったら
湖に小船をうかべよう
衣服を脱ぎすて
すべらかな肌をやみにつつみ
左手に笛をもって
湖の水面を暗やみの中に漂いながら
笛をふこう
小船の幽かなるうつろいのさざめきの中
中天より涼風を肌に流させながら
静かに眠ろう
そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう
文庫本の奥付に、二十歳のころのボクの字で、
らしく生きるナ
と、走り書いてあった。ずぅっと気がつかなかった。
ねぇ、やっぱりヒトってたいして成長しないのかなw
最近「らしさ」ばっかり上手になってなんだか薄いなぁ、とか反省していたところだったよ。
古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。