聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇13) 〜「サラとハガル、そして割礼の契約」
「1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。
前回、ちょっと妻のサラをディスり気味に書いたので、今回はちょっとサラに同情的に。
いや、だってサラ、なかなかに可哀想なのだ。
ちょっと同情してしまう。
ということで、まずは今日の1枚から。
前回も「今日の1枚」としてピックアップしたジェームズ・ティソの絵。
左がサラ。右が女奴隷ハガル。
この1枚にいろんな感情が描かれている。
では、この1枚にいったい何が描かれているか。
そこに辿り着く前に少しストーリーを追わないといけない。
サラッと書くのでちょっとだけおつきあいを。
長い旅の果て、約束の地カナンに辿り着いたアブラハムとその一族。
※旧約聖書の重要登場人物のひとりアブラハムの物語の全体を俯瞰したい人は前々回の「ベストヒット・アブラハム!」参照。前回のストーリーを復習したい人は「アブラハムの旅立ち」参照。
でもアブラハムは、神がくれた土地なのにそこが飢饉になるとあっさり離れてエジプトに行き、妻のサラを王に抱かせちゃったりして、大金持ちになる。ほんとに聖人なのか疑惑。
で、王の怒りに触れてしまい、エジプトを追い出されてすたこらカナンに帰ってくるんだけど、暮らしには困っていない(ざっくりここまでが前回)。
で、ここからが今回になるんだけど。
彼らには深い悩みがあったわけ。
それは、サラに子どもが出来ないこと。
だって、神はアブラハムの子孫が「天」の「星」のように数えられないほど栄えると約束してくれたのに、子どもがひとりもできないのだ。
これ、サラも相当悩んだと思う。
サラってなんか共感できない悪妻キャラなんだけど、でも、ここについては深く同情する。
だってさ。
神は約束したわけですよ。
子孫たくさんできるで、って。
そうなると、一族郎党みんな、神の言葉を信じて超期待するわけですよ。
期待を一身に背負うサラ。
重たい。
適齢期の女性の多くが背負う重圧。。。
だからだろう、75歳まで妊活している(粘りすぎ!)(どこが適齢期やねん!)(というか、このあと90歳で初産するんだけど!)
・・・つらかっただろうな。
で、さすがのサラも諦めた。
不承不承、エジプトから連れてきた女奴隷のハガルをアブラハムに差し出すのである。
その複雑なニュアンスが感じられる絵が、マティアス・ストーメルの『ハガルをアブラハムに連れてくるサラ』。
サラの目。
ちょっと呆然としているというか、焦点があっていない。
もしくはある種の諦観か。
いろんな感情が呼び起こされる絵だな。
寄る年波も感じさせる。
ふたりとも、なかなかに老人だ。妙にリアル。
まぁ旧約聖書って全体に女性蔑視が甚だしいし、当時子どもが出来なかった夫婦では側女を置くのはそんなに特殊なことではなかったみたいなんだけど、でも、神の言葉を信じていただけに複雑だよね(もうちょっとだけ信じて待てば良かったんだけどね)。
このストーメル、他にも何枚もこのテーマで描いている。
よっぽどこのテーマが好きだったのかな。
その中ではこれ(↓)はわりと好き。奴隷ハガルの表情が、後の「高慢ちき」をちょっと暗示している。
これ(↓)もストーメル。
犬(忠義を表す寓意)を置いているので、ハガルのアブラハムに対する忠義を描いているのかと思う。
召使いが持っている器は子宮の寓意かな? ハガルは乳房を押さえていて、これは乳母的な暗示だそうだ。
つまり、このハガルは、「あなたに忠義を尽くして子どもを産み育てることに専念します」という意志を示している真面目な女性として描かれているのだろう。表情もわりと真面目。
これ(↓)もストーメル。
アブラハムがお腹を指しているので、より「子孫のため」という意味合いが強調されている気がする。
・・・同じ画家でもいろいろ解釈を変えて描いているね。
他の画家もひとりだけ紹介する。
アドリアーン・バン・デル・ヴェルフ。
ストーメルのに比べて、アブラハムが若くて格好いいね。
サラはむかしの美人度合いが想像できる横顔。うまい。
でも、なんだかストーメルの絵のほうがより背景が想像できるというか、この絵はうますぎてちょっと気持ちが入っていけない。
さて、話を前に進めよう。
結果、ハガルは妊娠する。
待ちに待った族長の跡継ぎだ。
そりゃ一族あげて、「ハガル、でかした!」「やったぜハガル!」って、ハガルをちやほやする空気になる。
サラの気持ちはいかばかりか。。。
孤独だし、やりきれないし、でもハガルを勧めたのは自分だし。。。
しかも、女奴隷ハガル、浅はかなんだな。
妊娠したことで増長しちゃう。
「アタシなんて、跡継ぎ宿しちゃってるのよ、アハン?」てなもんだ。
どんどん高慢ちきになり、主人であるサラを見下すようになっていく。
いや、さすがにサラがちょっと可哀想だ。
と、ここまで読んでいただいたところで、冒頭の1枚に戻ろう。
左がサラ。
右がハガル。
ハガルの目線は、右上から左下へと流れる天幕の線に乗って、わかりやすくサラを見下す絵になっている。ハガルが上位に立っているのが一目瞭然だ。
そして、「ふん、アタシのお腹には、大事な大事な跡取りがいるんだからねー」ってツンとしているハガル。
ポーズがうまい。
実にわかりやすいツンだ。
サラは怒りの持って行きどころがない。
「あっちゃ行け!」って叫ぶくらいしかできない。
なんだか哀しい絵だなぁ。。。
そしていろんな感情がみっしり入っている絵だなぁ。
ストーリーを知らなかったら何がなんだかわからない絵でもあるけど。
いろいろ探したけど、このあたりのエピソードを絵にしてくれているのはティソしかいないんだよね。ティソ、前回の「悪い企て」の絵もそうだけど、とてもおもしろいモチーフを選んで絵にしてくれている。
で、サラはとうとうアブラハムに訴える。
サラ「わ、私! もう限界! ホントがまんできない!」
アブ「・・・んー、そうか、じゃ、おまえの好きにすればいいよ。なにやっても黙認するよ」
ちゃんと仕切れやアブラハム!
サラを慰め、ハガルを諫め、上手に仲をとりもてや!
いやー、アブラハム、あかんわ〜。
アブラハムの黙認を得て、サラは徹底的かつ公然にハガルをいじめだすのだ。言わんこっちゃない。
そしたら今度はハガルが傷つくわけ。
いや、あのサラが本気でいじめたらそりゃ怖いだろう。
というか、女主人と女奴隷の身分差が歴然と出てしまう。
で、ついにハガルは逃げ出す。
赤ちゃんがお腹にいながらの砂漠旅。わりときつい逃避行だ。
ある日、ハガルは「荒野の井戸(泉)」にいた。
そのとき天使が現れる。
そして、ハガルを優しく諭すのである。
「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、サラに謝って謙虚に仕えなさい。そしたらあなたの子孫は大いに増える」と。
この辺のことも、ティソは抜かりなく描いていてくれる。
『砂漠での天使とハガル』。
さすがだなぁティソ!
さすが・・・なんだけど、なんというか、このハガルも、この天使も、実に笑えるw
なんだよこの無表情w
なんだよ、このやる気ないポーズw
おもろいなぁティソ。
どんどん好きになるよティソ。
※【追記】革袋をもって水を汲んでいるので、この絵は数回後に出てくる「ハガルとイシュマエルの追放」のエピソードの絵かもしれないな。どっちかよくわからないけど。
ちなみに、ティソが描くこの生活感ありありな天使。
この連載の「楽園追放」のところでも出てきたよ。
再掲してみよう。
ティソしか描けない超独特の天使だ。
ま、それは置いといて。
ここらへん、旧約聖書の他のエピソードに比べるとそんなに有名ではなく、とりあげていない本も多いんだけど、でも、「人が見捨てても、神は見捨てないよ」とか「ちゃんと悔い改めなさいね。そして逃げずに立ち向かえや」というメッセージが真っ直ぐ出ていて、なかなか味わい深いんだな。
ボクは調べていくうちに、この「サラとハガル」の確執エピソード、どんどん好きになってきた。
サラもハガルも、噛めば噛むほど味がでる。
さてそろそろ今日の物語もオシマイだ。
ハガルは神を「エル・ロイ」(私を見てくださる神)と呼び、敬う。
(小説家のジェイムズ・エルロイとはもちろん無関係w)。
その後、勇気を出してサラのもとへ戻る。
あの気が強いサラに、どうやって謝って、どうやって許してもらったんだろうな。
そして、ハガルはイシュマエルを産むのである(命名は井戸のところに出てきた天使。生まれてくる子にはイシュマエルと名付けなさい、と命じられる)。
ハイ、今回はここまでなんだけど、ちょっとだけ蛇足。
イシュマエルが生まれて13年後、アブラハムが99歳のとき、神が現れていきなり「契約だ〜!」って言い出す。
あなたはこれからわたしが告げる契約を、子々孫々に至るまで守らなければいけません。
あなたとあなたの所にいるすべての男子は割礼を受けなさい。
それが契約の印となります。
そう、急に割礼(かつれい)せよ、と言い出すのだ。
割礼、つまりペニスの包皮を切り取るわけ。イタタタタ。
ま、包茎手術なんだけど、なんでそんなことわざわざすんの?イタタタタ。
しかも、
もし割礼を施さない者がいたなら、その者は契約を破った者となり、
民から切り離されます。
うひーーー!
まぁでも、いまなら麻酔とかあるからマシかもしれないけど、当時はそのままナイフとかで切るわけですよ。
たとえばこんな版画。
(聖書の挿絵)(クリックしてアップで見てみて)
イタタタタタタタタタ!!!!!
イシュマエル(当時13歳)も切るんだけど、アブラハムも99歳にして、切る。
まぁ神との契約の印だからね・・・仕方ない・・・。
この絵の左がアブラハムかな・・・ええと、ペニスを引っ張って・・・
ギャーーーーーーーーーーーー!!!!!
いや、やめろ、痛いって!
旧約聖書によると、3日くらいはのたうち回るくらい痛いらしい。
相手が割礼でのたうち回ってる間にやっちまえ!って滅ぼされる記述があった。
しかも化膿とかもしそうだよなぁ。サ・イ・ア・ク・だ!
世界保健機構(WHO)によると、いまでもアメリカ人男性の約75%が、割礼を受けているそうである。
もう割礼自体を勧めていない医師も多いらしいが、イシュマエルからの「契約」がずっと守られているのだねえ。
↓気を失うイシュマエルw
ちなみのちなみに、キリストの割礼については絵画も多い。
でもイシュマエルのはあまり探せなかった。
これ(↓)はたぶん、キリストの割礼。
参考のために載せておきます。
フェデリコ・バロッチ『割礼』
ということで、今回はここまで。
サラやハガルがいろんな想いをして生まれてきたイシュマエル。
彼は、正妻サラにイサクが生まれることで、いきなり邪魔な存在になってしまうわけだけど、その前段階。
超超超高齢出産のお話だ。
※
このシリーズのログはこちらにまとめてあります。
※※
間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『イラストで読む旧約聖書の物語と絵画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『旧約聖書を美術で読む』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 旧約篇』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。