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聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇25) 〜「天使と格闘するヤコブ」

1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。


さて、ヤコブの物語も終盤へ。

ヤコブは今回のエピソードによって「イスラエル」と改名し、名実ともにイスラエル民族の祖になる。

そういう意味で超重要なエピソードだ。
名だたる画家たちもたくさんこのエピソードを描いている。

つまり、世界中の多くの人が常識として知ってる話なのだろう。でも、学生時代にそういう授業がなかったボクはまったく知らなかった。無知とはおそろしい。というか、キリスト教系の学校に行かなかった日本人のほとんどは知らない話だろうと思う。


とはいえ、この話、超有名っぽいわりに、とっても不思議かつ唐突なお話なんだよなぁ。

ちょっとストーリーを追ってみよう。

ヤコブはめでたくラケルと結婚し(前回)、子どもも生まれた。

ただ、いろいろ騙くらかすラバン叔父たちとうまく行かず、一族郎党を連れてこの地を離れ、元いた場所「約束の地カナン」に戻ることを決断する。

ただ、ヤコブはエサウが怖い。
あの詐欺みたいな事件(父イサクの祝福をエサウから欺し取った事件)から20年近く経っているのだが、まだエサウが怖い。

「きっとまだ兄さんは怒ってる。
 だってあのとき「ぜっっったい殺す!」って言ってたし(怖)」

で、先発隊にたくさんのヤギ・らくだ・牛・ロバを持たせ、贈り物としてエサウに差し出すべく、先に行かせる。



で、その夜のことだ。

何者かがふいにヤコブに組み付いてきたのである。

ヤコブはもともとインドア派だ。
エサウのようにたくましくもない。
でも、身の危険を感じたのだろう、必死にがんばるんだな。

で、夜明け近くまで、激しく格闘する。

このエピソードは英語では「Jacob Wrestling with the Angel」と言ったりするので、そのものずばりレスリングをするわけである。

その相手がなんと「神(=天使)」だった、というのである。


しかもですよ。
神はなんと「ヤコブを倒せない」のだ。

朝まで闘って、こりゃキリがない、と思った神は、ヤコブの腿の関節を激しく蹴り、ヤコブを歩けなくさせてこう言う。

神「夜が明けるから、もう勘弁してくれ」


いや、そんな蹴りをもってるなら、最初からやれば倒せるやん! しかも、勘弁してくれ、って、あんたから仕掛けてきたんやん!



もう、突っ込みどころ満載だ。
というか、まず急に組み付いてきた理由を言え!


で、ヤコブが「おまえが私を祝福するまでは離さない」と言うと、神はこう返す。

神「おまえの名はなんというのか」


知らんかったんかい!



ヤ「名前? ヤコブだ」
神「では、このあと、おまえはイスラエルと名乗るがいい。なぜならおまえは神に勝負を挑んで勝ったからだ」


いや、勝手に勝負を挑んできたのは神、あんたやん!


ちなみに、「イスラ・エル」というのは「神に勝つもの、神に挑むもの」の意だそうだ。

この名を得て、ヤコブはイスラエル12部族の始祖になるわけである。


ここでヤコブは相手が神その人だったことを知る。

彼は独りごちる。
「わたしは神を見たのに、まだ生きている。これは奇跡だ」

そりゃそうだ。
神を直接見ただけでなく、触るどころか身近でハーハー言いながら組み合うわけだよね? それで生きていられる人間がいること自体が驚きだ。

で、彼はその場所をペヌエル(神の顔)と名付けるのである。

これがこのストーリーの全貌だ。

というか、なぜ組み合う?
なぜ勝つ?
なぜ改名する?

うーん・・・この逸話の意味がいまいちわからん


ただ、巨匠レンブラントの絵を見て、少し理解できたような気がした。

それが今日の1枚。

神の慈愛に満ちた顔と目。
この表情を見て、「あ、神はヤコブの臆病かつビビリな性格を憂い、もっと自信を持たせてイスラエル民族の立派な祖にするために、あえて無理矢理レスリングして負けたのかも」ってちょっと思った。

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というか、神の右膝!

このまま首を押さえて右膝をぐっと入れると、インドア派のヤコブの背骨なんてバキッって折れるよねw

でも、そうしない。
慈愛に満ちた表情でヤコブを見る。「もっとがんばれよ」的に。

つまり神は、もちろん負けるわけもない勝負をいきなり挑み、ヤコブの根性を叩き直して自信をつけさせた、と見るのが妥当なのではないだろうか。

そして、ヤコブは「もう無理、もう負けそう」って顔してる。

神はそこをなんとか頑張らせて、夜明けまで勝負をもつれさせ、最終的に「おまえの勝ちだ」と勝ちを譲り、すべてをわかったうえでヤコブを祝福したのだろう。

この絵はそういう絵だ。きっと。



神やヤコブがこういう表情をしている絵は他にはなく、レンブラントだけが独特だ。

他の絵は完全にマッチョなレスリングw
しかも、インドア派でビビリ・キャラのヤコブがえらく逞しい。



まずは巨匠のドラクロワの大作を見てみよう。
絵としてはとっても美しい。
「ドラクロワの遺言」と言われた連作のひとつである。

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神は「お、やるな」って感じの表情。
ヤコブは武器を捨てて素手で立ち向かっているけど、こんな勇猛果敢なキャラじゃないと思うなぁ・・・。

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アレクサンドル・ルイ・ルロワール


格闘を描いたものとしては迫力あるいい絵だと思う。
というか、ヤコブ、サバ折りw
ちょい強すぎるよ、ヤコブw それに比べて神は弱そう・・・。

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ポール・ボードリー
もサバ折り!

というか、天使の姿が中性っぽいこともあって・・・

これはもうセクハラにしか見えないw
いったんセクハラだと見始めるともうそこから頭が離れないw むっちゃエッチな絵に見えるw

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レオン・ボナ
天使も脱いじゃったよ・・・。
というか、もうこうなると、ほとんど・・・(自粛)

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ちょっと路線を引き戻して。

ギュスターヴ・ドレさん。
これはヤコブに対して天使が圧倒的優位っぽいのが好ましい。ヤコブは非力感&必死感あっていい絵。

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シャガールもいくつか描いている。

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一番下のはステンドグラスだね。


ピエトロ・リッチ
天使、ちょっと栄養不良か。

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ルカ・ジョルダーノから2枚。
2枚とも相撲みたいな組み合いはしていない。
天使が「もう朝だ。おまえの勝ちだ」って言っているっぽい。

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この絵(↑)の空を飛んでるのは、羽がないから神その人か? 
でも、どこ見てるんだ?
闘っている天使は「ま、もうやめよう」って止めに入っている感じ。



こうやって見てきたところで、もう一度レンブラントを見てみよう。

もう、圧倒的に深い描き方だと感じるんだけど、どうだろう。
ただ、上のドラクロワとかのも、こういう神の配慮を前提として「あえて絵になるマッチョ感」を描いているのかもしれないけどね。

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ちょっと違うアプローチの絵も見てみよう。

象徴主義の巨匠モローは同じ構図でふたつ。

この2枚は面白いなぁ。
「実際に取り組みあってなんかいないっすよ。そんな、神とレスリングするとかあるわけないじゃないですか。実際はエアーレスリングみたいなもんでしょ」みたいな解釈なのかも。

ボクはありだと思うな。
そして、神は一晩かけてエアーレスリングをさせ、ヤコブの根性を叩き直し、イスラエル民族の始祖としての名前を与える、と。

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ポール・ゴーギャン
はちょっと不思議なシチュエーションを描いている(↓)。

「天使と格闘するヤコブ」の逸話を聴いた信者たちの脳裏に浮かんだ白昼夢だ。なんかとても面白い。見れば見るほど味が出てくる絵。

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ナビ派のモーリス・ドニはダンスしているような美しいのを描いている。
しかしこれ、どっちがヤコブかね。右か。

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古い版画なども見てみよう。

これは古い聖書の挿絵だ。
直接的に格闘している。古くからずっとそういう解釈なんだな。

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ユリウス・シュノル・フォン・カロルスフェルトの木版画。
「あっち」って神は何を指さしているんだろう。イスラエルと改名してカナンの地を治めよ、ということかな。

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ということで今回はオシマイなのだが、蛇足として、言及できなかった小さなエピソードについての絵を2枚紹介して終わろう

これは、ヤコブが旅立ってすぐのころのこと。
(天使と格闘するのはこのちょっと後)

ラバン叔父たちが「おまえ、大切にしていた偶像を盗んだろう!」って追ってくる。

ヤコブはそんなこと知らないから反抗する。
「叔父さん、そんな言いがかりやめてください!」って。

でも実はラケルが隠し持っていたんだな。
で、しらを切り通して、隠しきるわけ。

単にそれだけのエピソードなんだけど、シャガールとかティエポロが画題にしている。

シャガール『偶像を隠すラケル』。

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ティエポロ
『偶像を隠すラケル』

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まぁ他愛もないエピソードなんだけど、まぁまぁの巨匠たちが取り上げている話なので、それだけの価値があるのかもしれない。

その辺、わかったらまた追記します。



ということで、今回はオシマイ。

次回はヤコブ物語の最終話「エサウとの和解」である。

「旧約聖書最大の感動的場面」と言う人もいる。
んー、そんなに感動的か? とは思うけど、でも、これはエサウのキャラをどう捉えるかによるかもなぁ。

ということで。



このシリーズのログはこちらにまとめてあります。

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間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。

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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『イラストで読む旧約聖書の物語と絵画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『旧約聖書を美術で読む』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 旧約篇』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。



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