7年前、この世で最も敬愛する人を亡くしたわたしへ。
はじめまして。imotaです。
まず、簡単に自己紹介を。都内僻地に住む22歳女子大生です。
最近、とは言っても、もうすぐ1週間経ってしまうのですが、祖父の7回忌で実家に帰る機会がありました。
やけにフレンドリーな住職が急に厳かに唱えるお経を聴きながら、思うことがあったので、つらつらと、きっと最初で最後のnoteを書いてみたいと思います。
大変おこがましいことではありますが、このnoteを通して、わたしと同じように敬愛する人を亡くした人が抱える虚無感、言語化できない無力感を、少しでも一緒に背負えれば嬉しいです。
当時「最強」だと思っていた自分は、案外あっけなく壊れる
中学時代、バスケットボール部に所属していて、部活では3年連続で全国大会に出場していました。
多忙な部活漬け生活の中でも勉強に手を抜かず、県内で進学校の部類に入る高校に一般入試で受かった。
「すごい」の指標が、「勉強」と「部活」くらいしかなかった当時の私にとって、それはとても誇らしかったし、正直なところ、怖いものなんてセミくらいでした。
でも、高校1年生、16歳の7月、当時最強だと思っていた私の心は、大好きな祖父の死によってかんたんに潰れます。
わたしは、7年前のその日をいまだに忘れることができません。
朝起きて一番に知らされたのは「祖父が亡くなった」ということ。
そして、まだ実感も何もない頭で、「今日の練習試合を欠席する連絡をしなくては」と咄嗟に思いました。
でも、ぼんやりと事実を反芻しているわたしに向けて父の口から放たれたのは「お前は早く準備して練習試合に行け」との一言でした。
「は?」
「なんでみんなはおじいちゃんの近くに居られるのにわたしはダメなの?」
正直思いました。
父が怖かったので言えませんでしたが。
急いで家を出ても遅刻するくらいの時間になってしまっていたので、準備を済ませ、家を出ました。
なんで自分がそうしたのか、どんな気持ちで会場に向かったのか、そんなことはあまり覚えていません。
ただ、父に言われるがままに部活に行き、先生に
「遅刻してしまい申し訳ありません。祖父が亡くなったので遅刻しました。明日はお休みをいただきます。」
といった趣旨のことを伝えました。
普段は遅刻しようものなら烈火のごとく怒る先生も流石に困惑した様子で、
「お、おう…大丈夫か?」
と言っていた、と思います。
練習試合を終えて、家に帰ると、そこで待っていたのは久しぶりに家に帰ってきた、大好きなおじいちゃんでした。
眠っている姿を見て一番最初に浮かんだのは、自責の念。
「家で待っていて おかえり と言えなくてごめんなさい」
「なんで自分は父に逆らってでも、近くに居られなかったんだろう」
ありがとう や 安らかに なんて出てきませんでした。
ただひたすら、自分が嫌いになって「ごめんなさい」「なんで自分は…」を繰り返していました。
そんな日々の中でも、笑顔で外に出ることはそこまで難しくなかったし、気丈に振舞っているうちに苦しさが回復していくような気がして、「周囲に心配をかけない常に明るいわたし」を次第に演じるようになります。
でも「自分は近くに居られなかった」その事実はずっと消えず、まるで発作のように気づいたら苦しくなるり、吐くほど泣く。
自分の陽と陰が常に自分の中にいる。
どちらも大切なのに、普段 陰 を無視しすぎて、急に大きな仕打ちを受ける。
そんな状況だったのかもしれません。
勉強も部活もこなせちゃう「最強」のはずのわたしは、祖父の死、そしてそれを放って部活に行った自分を受け入れられず、人知れず、しばらく壊れていました。
そんなわたしの今
そんな日々から7年が経ちました。
もう、わたしの陰は、そんなに頻繁には出てきません。
それはもしかしたら、今身を潜めているだけかもしれません。
いつか、気丈に振る舞うことなんてできないくらいの仕打ちをされるかもしれません。
でももしかしたら、「あの日部活に飛び出して、気丈にふるまった」経験が、自分の中で糧になってるんじゃないか。
陰だと思っていたものが実は今のわたしの陽になっているんじゃないか。
今はそう思うことにしています。
7年前のわたしへ
あの日、お父さんにNOを言えなかったことを後悔していると思うんだけど、そんなに自分とお父さんのことを責めないであげてください。
お父さんは、怖いし、逆らえないけれど、思っているよりずっと、家族を大切に思っているよ。
この間まで「スマホは絶対に買わない」って言ってたくせに、待ち合わせに娘とすぐに連絡取れないのは困るってだけで、iPhoneの新機種を買っちゃうくらい。
(短気なので設定を店員さんにお願いできず、私にやらせたけど)
(Facebookの引き継ぎはパスワードもIDもわからなくて苦労したけど)
そんなくらい怖いけど優しい人が、行けって言ったんだから、きっと意味はあるはずです。
少なくとも、それを否定しちゃ、自分がしんどいだけよ。
おじいちゃんは、戻ってきません。
自分の行いを悔いても、戻ってきません。
反抗期が終わりきらない7年前の私だから「知ってるよ、んなこと」なんて言われるかもだけど、それでも、言います。戻ってきません。
だから、忘れよう。
忘れないで、忘れよう。
それがいちばんの餞よ、きっと。
ひたすら今は走ろう。
んで、将来おじいちゃんとお父さんの後を継ごうな。