六月のひきだし

六月になればきまって抽出しの開かぬ机に伏して眠りぬ  花山多佳子

 抽出しに詰まっているのはどんなものだろう。

 飲み忘れた薬。予備のボタン。植物の種。ややこしい契約書。返事を出しそびれた手紙。

 そんな過去への後悔と未来への不安、そしてわずかな希望が詰まっているのが抽出しだと思う。

 六月は、人事異動の四月、五月病の五月を通り越して、ほとほと疲れ切った月というイメージがある。

 六月の悩みでいっぱいになった頭を、古い木の机に突っ伏して眠れば、うなされそうでいて、不思議と深く眠れるような気がする。

 だって、抽出しが壊れて開かないから。開かない抽出しが、問題を「どうにもできないこと」にすることで、一時の安らぎを与えてくれるのだ。諦めをつけて、少し寝た方がいいアイディアが浮かぶということもある。

 「きまって」という表現がポイントになっている。おそらく、最初の頃は、ぐったり疲れた結果、意に反してうたた寝してしまっていた。けれども、「きまって」という語により、昼寝を決め込むというか、確信的にそうしているニュアンスが入ってくると思う。

 「六月になればきまって」というから、何年もの歳月の流れを感じさせる。そして、どんなに悩んでも、いつかは立ち直るということを繰り返す、人間のたくましさの歌だと私は思いたい。