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番犬とともに、形を手放し、価値観に手を伸ばす ストレングスファインダーセッションを受けてきました

 かたちを遺すことへのこだわりを、手放せ。

 思い立って、しずかみちこさんの、ストレングスファインダー個別セッションを受けてきた。
 数多いらっしゃるストレングスファインダーのコーチの中から、しずかみちこさんにお願いした理由は、自問自答ファッション界隈をはじめとして体験されている方の書いたレポートが、どれも面白いので、信頼できそうだなと素直に思ったことだ。
 あと、ストレングスファインダーは、基本的には「強みを活かして社会活動を」な流れになるもの(という偏見が私にはある)。しかししずかみちこさんのセッションは、もっと広い、「強みを活かしてどう日々を送るのがよいか」という視点なのが、特に目立った社会活動をしていない私にも意義がありそうだったので。


人生の切り替わりの前に、自分の輪郭を確定させておきたかった

 なぜ今この時にセッションを受けたのかという自分語りをしておくと。
 はるか昔、どうも15年以上前……?に、たまたまストレングスファインダーのことを本で読んで、テストもオンラインで受けた。で、結果を読んで「まあそうだろうな、納得」という感じで、それ以上にはならなかった。

 あれから幾星霜が過ぎ、私の人生はこの2-3年で大きく変わりそうだなという時期になった。肉体的にも今までとは違う扱いをしないともたない実感が来ているし、環境も激変する見込みがある(自分以外の人が関わる話が多いので、ここではその詳細は書かない)。
 となれば当然、心身共に負荷がかかる訳なので、それを上手に乗りこなしていくためにも、自分の思考のクセというか発想の輪郭をしっかり掴んでおきたくなった。ムーンプランナーさんの手帳カウンセリングで、「人間みんなそうやってると信じて疑わなかった思考のラインが、自分だけのものだった」という体験をしたこともあり、思っている以上に自分と他人は違うぞ……? いやもちろん違うと心底思っていたけれど、そんな実感すら上回るレベルで違う可能性があるぞ……? ならば、完全は無理でも、ある程度それを把握しておいた方がよいぞ……? というのが、一番の動機だった。

 実際に受けてみて、とてもよかった。
 しずかさんが、思考の流れを見事な表現で伝えてくれ、私の陥りやすい罠を指摘し、向いている方法を示してくれた、その優しくも的確な語り口については、もうたくさんの方が繰り返し書いていることなので、申し訳ないけれどここでは詳述しない。ご興味のある方は、他の方の感想を読んで見てほしい。

 これから書くのは、私がセッションを受けて何を考えたか、という完全なる自己対話だ。

偏りが可視化されて、まあそうだなと思いかけたが……

 テストを受けた時に出た上位資質は、以下のようなものだった。
1. 親密性
2. 個別化
3. 内省
4. 運命思考
5. 最上志向
6. 着想
7. 学習欲
8. 原点思考
9. 収集心
10. ポジティブ
 ほう、親密性が1位か……。と、ちょっと新鮮な驚きがあった。人間関係にまつわるものが、上位に来るイメージがなかったのだ。この時点で、すでに自己認識がずいぶん偏っているのを実感する。
 ちなみに、15年以上前に受けた時の結果は、上位5種しか記録を残してなかったのだが、「収集心」「最上志向」「内省」「運命思考」「コミュニケーション」
であった。
 順位はさておき、項目だけを素直に見るなら、コミュニケーションが親密性に置き換わったということになる。これは素直に納得できる。広く色々な人に自分の心を伝えたい・伝えるべきという欲求(というか理想)が、昔はもっと強かった。昔は小説家になりたいと思っていたくらいだ。それが次第に、一対一や少人数の関係性の中で醸成されていく自分の方に興味が移ったし、また腑に落ちる場面が増えていった。
(ちなみに今でもひとりでしゃべってしまう癖は抜けないので、コミュニケーションがなくなった訳では全くない。今回は15位だった)

 こうしてみると、自分の偏りがかなり明確に可視化されたなという印象だ。見事なまでに実行力系がない。人に影響を与える力系も弱い。全34資質の一覧では、青(人間関係構築力)と緑(戦略的思考力)が、試験管の中で分離した油のように見事に上の方に凝集し、赤(実行力)と黄(人に影響を与える力)が下にどどどっと沈んでいる(笑)。下位資質は「達成欲」と「競争性」の2つで、これはもう本当にない、全くないと断言できる。
(私の座右の銘は「無理をしない」だ)

 私という人間は、色々な思考が自分の中で廻り、変化し、納得し、完結する。
 だが、その「自分の中」というものが指すものは、収集心や学習欲や原点思考や着想、そして親密な関係を築いた他者(人間に限らず概念やジャンルも含めて)から自分というフィルターを通じて抽出した、無数の種類のエキスが入り乱れている状態である。

 私はよく「自分の中に常に他者が在る、そして他人の中に自分を見てしまう」という心境になる。
(ちなみにこれは「愛する推しと自分を同一視できる」みたいな感覚、とは違う)
 ムーンプランナーさんにも「とても極端な基準による思考スタイルをする」「常に複数の視点が並立していて、しかもその視点がどちらも極端で距離が遠い」と指摘してもらったのだが、ストレングスファインダーという言語で表現するとこういう形になるのか……という納得感が強かった。
 そして、「社会的に認められるような形のある成果をあげる」ということに、これほどまで向いていないのか、ということも深く心に刻みつけられた。

 だが、この納得感の嵐の中で、唯一「ポジティブ」だけが、よくわからなかった。

「ポジティブ」 それは私の忠実なる番犬

 他のところでも書いた覚えがあるが、私は結構な心配性である。
 些細な症状で病気を疑って診察を受けることが多いし、健康診断のたぐいは欠かさないし、予防接種は可能な限り全部受ける。遠出する時は、途中で交通機関がストップすることに備えて、飲料軽食と携帯トイレを持って行く。つれあいが連絡なしで帰宅時間が遅くなると、「事故に遭ったか?」「駅の階段で突然死してないか?」「通り魔が出たニュースとか流れてないか?」「私に嫌気が差してもっと美しく心持ちのいい誰かと駆け落ちした可能性もゼロではない」といった思考フルコースが1秒で出てくる。
 なのにポジティブが10位。(ちなみに慎重さは19位) 何故?

 ひとつには、年を食ったら、幼い頃に心配していたようなことは大半起こらないし、何とかなってしまうということを経験したことがあるだろう。

 また、ストレングスファインダーの「ポジティブ」は「相手のいいところや物事のいい面を見つける」側面も指しているそうで、私の親密性や収集心、そして最上志向のベクトルは確かに「他者の善き部分、成し遂げようとしているもの」に向かうことが多い。
 私は若い頃、「他人から奇妙に期待される」と感じる場面が多かった。たとえば色々な学習場面で「あの先生の一番弟子」みたいに、他のメンバーや先生自身から扱われることがあったのだ(そしてそれらは全部、期待外れに終わって失望された訳だが)。今思うと、「他者が目指している理想の形」を無意識にキャッチする能力が私にはあって、「これを受け止めてくれるからにはこの人は私の弟子・理解者・後継者になってくれるに違いない!」みたいな誤解を生じさせやすかったのかも知れない。

 そういった側面とはまた別に、私の中の「ポジティブ」資質の意味が浮かび上がってきたのは、作っていただいた強み路線図を見た時である。

見事なまでの一直線路線図

 あっ、と思ったのは、「ポジティブ」が緑と青の境界に位置していることだ。
 ポジティブより上「自分の価値観を信じて、見つける」緑の部分の流れは、私にとっては完全に自動操縦できるものである。こうしよう、などという意志力はひとかけらも必要としない。完全フルオートバックグラウンド処理可能、無意識レベルの基幹OSと言っていい。可視化された時に「そうじゃない人がいるって考えたこともなかったですわー」ぐらい言い放ってしまいそうな流れである。

 ポジティブより下「見つけたものを発展させ広げる」の部分は、自動処理で出力された思考を材料に、かなり意識的に組み上げている自覚がある。これは無理をしているということではなくて、そのままでは混沌として形にならない思惟やイメージを、自分が腑に落ちる感覚が得られる形に彫琢していく作業だ。
 例えるなら、何も着てない素っ裸の自分が緑部分で、服を着て小物をつけて必要ならメイクをして香水をまとう過程が青部分である。それは「完全なる素の自分」ではないかも知れないが、別にウソをついたり取り繕ったりしているのではない。裸体よりも、服を着ている時の方がより自然で自由で自分らしいという場面も、存在するように。
 そして、この境界に存在する「ポジティブ」は、私にとって自分と他人・無意識と意識を繋ぐものである。

 私は「ポジティブ」に動いている時とそうでない時があり、ポジティブに動いている時は問題なくなめらかにコトが進み、そうでない時には八方塞がりになることが多い。それはポジティブ心理学いうところの「成功するから幸せなのではなく、幸せだから成功するのだ」的なものなのかな、と今までは思っていた。
 だが、もしかしたら私にとって「ポジティブ」は、「このまま進めても大丈夫ですよ」というチェックポイントなのではないか。

 ポジティブが働いていない、ポジティブになれないという時は、私にとって何かがおかしく、無理をしていて、そのまま進んではいけない時なのだ。
 忠実な番犬が激しく吠えている時に「うるさいな」で片付けてはいけないように、ポジティブになれない時に「心配しすぎだよ!」「我慢しなよ!」「前向きになりなよ!」と片付けてはいけないのだ、私の場合は。
(繰り返すが「私の場合」はそうなのであって、他の人の場合はそうではないことの方が多いだろう)

「かたちある成果を未来に遺す」呪縛を手放そう

 自分にとっての「ポジティブ」の意味が腑に落ちたのと同じくらい、「ああそういうことかー」と今回身にしみたのは、実行力系の資質がことごとく中位以下で、さらに未来志向や目標志向などが低い(達成欲に至っては最下位)ということだ。
 私は、自分の中にある様々な流れを、自分が納得できるような文章にして書き出すことには力を注げるけれど、それを他人にとって意味のある存在(つまりお金や評価に換算できるということだ)に整えることには全然熱意がわかない。小説家にならなかった(し、これからなろうとも思わない)最大の理由はこれだと思う。
 そして、自己啓発の定番「未来や目標をイメージして、そこに向かって行動を積み上げよう!」というメソッドが、うまくいった試しがない。いわゆる「妄想」もあまりしない。(ちなみに「妄想クローゼット」は何度かチャレンジしたのだが、自分の血肉になった実感がない)
 私は、今の自分が納得できる「しっくりくる」感覚を常に追い求めているけれど、それは大きな目標に向かって自分を拡張する感覚とは全く違う。たぶんこれが、「未来志向」と「最上志向」の違いなのだろう。

 そんな私でも「私が生きた証になるような、他人がはっきりと認識できる形のある成果を、未来に遺すべきなのでは」という漠然とした気持ちがあった。それは希望や願いというよりも、「そうしなければ私は無にされてしまう」という恐怖、死回避行動に近い。
 私は子供を持たない人生を選択し、それを後悔したことは一度たりともないのだが、その分他のところで何か形を遺さないと、「『死後無にされるという恐れ』に囚われるのではないかという恐怖」があったのだ。変な表現だが、死後無になるのが怖いというよりも、「いつか無にされるのを実感して怖くなるのだろうという予想」が怖かったのである。

 だが、私はそういう形のある何かを遺すような人間ではないのだ、と今回しみじみ考えた。
 そして私は自分が思っていた以上に、人間関係構築力系の強みが多い。私が生きた証というものがもしどこかに残るとしたら、それは自分が関わらない多くの人の心に訴えるものではなく、ピンポイントな、縁のあった誰か(その人に私が直接会うとは限らないが)の心にふと働きかける見えない何か、というものになるのだろう。
「見えない何かを遺す」なんて、見える成果をあげられない無能さの言い訳ではないか……と思考も、正直ある。けれど、人間が鳥の如く空を飛べず鳥が人間の如く本を読めないように、発揮するべきものに違いがあるということは、もっと素直に受け容れてもいいのだろう。

最上志向として今を生きる……ために考えないといけないこと

 そんなこんなで、何か突き詰めたひとつの形ある成果を遺さねば……みたいな強迫観念は脇に置き、未来をどうしたいかをイメージしましょう!といった不向きな目標はスルーして、私のこれからの人生は、その時々で「自分が納得できるもの、こと」を愚直に追い続ける繰り返しだろうし、またそれが最上の生き方であり、ふさわしいのではないかという結論になった。
 その積み重ねの先に、何か形があるのかも知れないし、ないまま終わって通夜の席で家族と少数の友人が「さとみんとは何だったのか」と首をひねるのかも知れないが、どっちになっても、まあそれはそれでよいのだ。(それでよい、と思っているあたりがポジティブなのだろう)
 ただ、そうやって生きるためにこれから考え、慎重に計画したり選択しなければならないポイントはある。

 その最たるものは、番犬ポジティブくんが吠えずに通過させてくれるものに絞ってさえ、興味がわくこと・やりたいこと・読みたい本は大量にあって、仮に残りの人生をそれらの追求に全振りできたとしても追いつかないであろうということだ。
 そのためには、ポジティブくんだけでなく、「最上志向」も意識的に活用して、自分に一番しっくりくるもの以外へ振り向けるリソースを、ちょっと落とさないといけないだろう。
「学習欲がある人は、飽きてもいい、むしろ飽きることが必要不可欠」というしずかさんの言葉を胸に刻み(笑)、なんか違ってきたなと思ったらそれ以上深入りせず引き返す勇気を持たないとだ。
 そして、面白そう!と思ったものはフットワークよく試す自分の傾向は大切にしつつ、一度にたくさんのリソース(お金にしろ時間にしろ体力にしろ)を注ぎ込まないように注意したい。

 こう書いていても、正直どうすれば「やりたいことが多すぎてお金と時間が全然追いつかない問題」を解決できるのか、まだ見えてはこない。
 でもまあ、少なくとも、「形ある成果を遺さなければ」という思い込みと、それにまつわるあれこれは、今回手放せるのではないかという希望がある。生き方を変える必要は、たぶんない。一生懸命、この瞬間にやりたいことをやることが、私の使命である。

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