「弱くてニューゲーム」のハードモードの日常のなかで
お仕事をご一緒していたクライアント先のスタッフが、退職した。
年末に会った時、少し元気がない様子が気になっていたのだが、年明け、彼女は出社することはなかった。
「適応障害」で、そのまま職場を去ったそうだ。
彼女の退職を聞いた古参スタッフが、このように話していた。
一度、傷つくとそこは弱点になる。
さらに、人はストレスがかかると「弱点」から崩れていく。
悲しいことに、メンタルは完治するのに時間がかかる。
ケガのように目に見えないから、「治った」と思ってムリをくり返してしまうこともあり、ますます崩れやすい「弱点」となっていく。
古参スタッフは、それを理解していたのだろう。
だから「傷んだ人は辞める可能性が高いから、今度は傷んでいない人を採用してください」と話していたのだろう。
でも、果たして、傷ついていない人などいるのだろうか。
* * *
何度か書いているけれど、私は10歳頃から母が心を病み、アルコール依存をくり返していた。
定義通りの「アダルトチルドレン」であり、大きく傷ついた過去をもつ。
そのせいもあって、私は長く「普通」に憧れていた。
普通の家族、普通の人生、普通の仕事・・・それを続けていけば、傷つくことなく、幸せでいられる可能性が高いのではないか?
そんなことを考えていた。
だけど、いざ大人になってみてわかった。
「普通の人」なんていない。
それどころか、外から見たら「普通に幸せ」と思える人でさえ、少し話し込んだら大きく傷ついていることがほとんどだ。
人と会い、語り、その結果わかったことがある。
ゲームで「強くてニューゲーム」があるけれど、どうやら逆なのだ。
私たちの人生は「弱くてニューゲーム」。
家族とはいえ、自分とは別の人間に、20年近く生殺与奪の権を握らせたまま生きなければいけないほど、私たちは弱い。
そんな状況で生き抜くのだから、傷は1つや2つで済むはずがない。
もう、生きているだけで、傷だらけなのだ。
* * *
とはいえ、そうは言っていられない事情もある。
小さな職場では、一人の退職は大きなインパクトにつながる。
件の職場では、適応障害になった彼女が抜けたことで、かなり逼迫した状態に陥っている。
人手不足が理由で顧客を制限することで、売上・利益は圧迫される。
でも、家賃や借入金の返済などは変わらない……どころか、原材料費の高騰の煽りを食って、どんどんしんどくなる。
人との別れは、やっぱり寂しい。どんな事情があっても、どれだけ経験しても、私はなかなか「退職」に慣れることができない。
でも、逼迫して余裕がなくなると、別れを悼むことさえできなくなる。
傷には手当が必要だ。
でも、ビジネスというゲームの上では、時に手当をする暇さえ許されないような状況に陥ることがある。
となると、知らず知らずのうちに手当されない傷が増えていき、傷ついていること、痛みを抱えていることがデフォルトとなることも多い。(スタートアップなど、余裕のない職場は、こういう状況が日常化しているように感じる)
* * *
ーーこのように考えいくと、別の世界が見えてくる。
件の職場について、古参スタッフこそが傷ついているのではないだろうか。
「彼女は、最初から傷んだ人だった。傷んだ人は辞める可能性が高いから、今度は傷んでいない人を採用してください」
この言葉からは、古参スタッフ自身の傷みも聞こえてくる。
多くの退職者を見送りながら、それでも気丈に職場を維持し、仕事を回そうと振る舞い続けてきた彼女の傷は、十分に手当されているのだろうか。
一つひとつの別れ、傷みは、悼まれているのだろうか。
ケアされているのだろうか。
そして、そこに傷みを感じる私自身も、漏れなく痛みを抱えている。
この「弱くてニューゲーム」モードの世界で、ビジネスという無理ゲーを営む立場として、そこに共鳴せずにはいられないのだろう。
私が、この一連の出来事から、自分自身の傷・痛みの深さを知った。
* * *
「傷み」「痛み」とよく似た「悲しみ」という感情。
これは、もともと「愛しみ」と書いたらしい。
と、詩人の若松英輔氏は著している。
(「見えない涙 ~かなしみの詩学~」)
愛しているが故の傷み(痛み)。
誰かに対する深い慈しみ。
傷や痛みの向こう側にこそ、人の本来の美しさが眠っているのだろう。
私は「傷ついていない人」を選びたいとは思わない。
私が魅力を感じるのは「傷ついた経験のある人」だ。
傷を適切にケアして、その向こうにある「愛」に出会ったことのある人は、やさしくて、強くて、美しい。そういう人と、共に歩みたい。
だから思うのだ。
弱くてもいい、傷ついてもいい、痛んでもいい。
ただ、それを認めて、ケアしてあげてほしい。
ちゃんとケアすれば、そう遠くないうちに傷は癒えて、よりしなやかに逞しくなっていく。どうか「カサブタ」が自然と剥がれるのを待つだけのゆとりを、自分に与えてほしいのだ。
大丈夫、傷は必ず癒えるから。
まずは立ち止まり、痛み、悲しむことを自分に許してあげてほしい。