生きるとは、差別すること
最終更新(2024/12/10)参考文献一覧の最下段に3つの記事を追加
第一章 「区別と差別」のエッセンス
「区別と差別は違う」と言われるのが私は嫌いだ。
話を聞いてみると大抵の場合は「区別は良くて、差別はダメだ」と話されている。
私はむしろ「ポジティブな差別は勧められるべきであり、ネガティブな差別とポジティブな差別とを別ける区別が必要だ」と思っています。
まず初めに「区別と差別は使い方が全く異なるもの」です。
区別とは基本的には比較できない、あるいは比較してはならないものを別ける事です。
つまり「毒キノコと可食用のキノコを別ける」というのは区別です。
ただし、「今晩のおかずは」と言ったとたんに差別が生じます。差を前提にして区別しているのですから差別が生じるのが正しいのです。
差別とは基本的には差別を目的として別ける区別の事を言うのです。
また「今晩のおかずは」と言った時に、区別と言えるのはせいぜいが「肉か魚か、米か小麦か」くらいまでで、選択(比較)しようとした段階から差別と言えるでしょう。および、選択肢を恣意的に狭めて提示する行為もまた差別と言えるでしょう。
肉や魚の中にも多様性はありますし、調理方法での別もあります。選択肢がより具体的なメニューに近づいていけば、それだけ多様な選択肢から選ぶ複雑さ困難さに私達は曝される事になります。
しかし、「小麦が良い」と言われても「パンか、パスタか、ラーメンか」わかりません。つまり、この文脈では差別する事が目的であり、より細かく差別していく事が推奨されたりもするわけです。
また、実際に「今晩のおかず」を決定する際には、選択(比較)の基準も「食べたい物、量、予算、距離、重量、調理の手間、片付けの手間」などの多岐にわたる基準で構成されているという多様性に富んだものとなっています。
だから「今晩のおかず」を決定するというのは重労働なのです、というお話は差別だろうか。
あまり難しい事はわからないよって方は第二章を飛ばしてください。むしろ第三章では第二章のエッセンス的なものを話しています。例えば遠回しに、選民思想や優生思想などにおける悪い面での使われ方に区別や差別が道具として使われない事を私は願っています。
第二章 「区別と差別」の区別と応用
第一章では区別と差別の基本的な使い方を見てきました。第二章では具体的な設問に取り組むことで、区別と差別の応用的な使い方を見ていきたいと思います。
では、「女性専用車両が出来たのだから、女性は女性専用車両に乗るべきだ」という意見は区別でしょうか差別でしょうか。
「女性専用車両を設けた趣旨は、男女で区別をしようという事ではない」のですから、この文脈で「男女で区別しよう」という意見は区別と言うよりも「あっちへ行けよ」というネガティブな差別に近いと言って構わないものでしょう。
ただし、満員電車に乗っていて隣の女性専用車両がガラガラだったら、目の前の人が女性に見えるというだけの理由で、誰かと一緒に乗っているからとか、女性専用車両に乗らないあるいは乗れない理由を考慮せずに私も上記の意見に賛成してしまう時があるかもしれない。
これは女性専用車両が必要だというポジティブな差別によって差別が区別として設けられたために発生したネガティブな差別であるという見方もできるでしょう。
情報をあえて制限するというのは、それが区別なのか差別なのかを知る手がかりにはなるけれど、それがどの様な差別なのかを判断する時には逆効果となってしまう。また、区別を差別して良い理由として受け取ることが差別である事は非常に多い。
次に、トイレ問題と言った時に最初に思い浮かべるのは何でしょうか。普通の男女別のトイレが使用できない人々の事でしょうか。
法改正により令和3年頃から名称変更の動きがあり、多目的トイレやみんなのトイレはバリアフリートイレへと名称変更されていきました。名称変更の目的は必要とされている設備を明確にし、必要としている利用者が優先的に利用できるようにする事でした。
法改正の時にバリアフリートイレの利用者として想定されていたのは身体障害のある人々、子育て中の人々、介護中の人々であったりしました。これらの政策はポジティブな差別と言える事でしょう。
では一方で、昔からある差別である女性に見えないからという理由で女子トイレから排除されてきた人々の事はどうなったのでしょうか。また、過去のある事柄が原因で男女別のトイレという空間に入ること自体がトラウマになっている人々の事などはどうなったのでしょうか。想定されていないと思うんですよね。バリアフリートイレという名称に変更されましたがそこから除外もっと言えば排除されていると言えるんですよね。政策のこの部分についてはネガティブな差別だという事が言えるでしょう。
蛇足かもしれないけれど、トランスジェンダーのトイレ問題というものにも背景には「バリアフリートイレからも排除すると言うのならば男女別のトイレを使わせてよ」という意見が少なからず存在しているかもしれないと思いました。あるいは、現行の法制度上ではバリアフリートイレを使ってくださいと誘導する事が出来ないようになっているとも言えるのかもしれない、情報不足でそこまでの判断は私には出来ません。
特例法適用者については既に法律上(戸籍上、民法上)は法律適用後の性別として扱うものとなっているので、こうした検討自体が限りなく法律に反しかねない行為に近くなってしまっている事も事実ではあるのですが、性別の話としてではなく障害の話として、バリアフリートイレを積極的に使用している特例法適用者はいったいどれくらいいらっしゃるのでしょうか。
バリアフリートイレを必要としている人々の定義が揺らいできましたね?
話をトランスジェンダーに戻すと、このままバリアフリートイレ(差別)からもトランスジェンダーを消極的にでも排除し続ける(差別による差別)のであれば、バリアフリートイレを積極的に利用していただけるようにするために(差別による差別への差別)、いつか特例法適用者を含めた性別違和/性別不合(旧診断基準名の性同一性障害者を含む)の診断を得ている人々は障害のある人々という枠に再定義し直すこと(差別による差別への差別のための区別)を検討しようという日が来るかもしれません。
差別に対抗する差別をするために区別をしようという訳のわからない区別の使い方をしようという事になります。区別という概念を使用する事で一旦議論が収まるせいで問題が解決したように見える事が原因で差別のための区別という概念が使われるわけです。
ただ、先に例に挙げた女性専用車両の場合と同様に、特例法適用者やトランスジェンダーにバリアフリートイレを使っていただくという事がそもそも差別ではないとは言い切れないと言う問題です。
しかしながら、それを望んでいるのがどこの誰なのかというのも問題ではあり、推測や仮定の域を出られないのでとりあえず横に置いておくことにします。
ICD-11を真に受けると医療側では「医療は必要だけれど障害枠ではない」という判断に改訂されてしまっているとも言えるので、いまさら障害枠に放り込んで解決というのも難しいとだろうなとは個人的には判断します。
そこで原点に立ち戻りたいのですが、障害のある人々だからバリアフリートイレが必要なのでしょうか、そうではないですよね。障害のある人々に拘るのであれば、子育て中の人々や介護中の人々も除外あるいは排除されていたはずです。
むしろトランスジェンダーがバリアフリートイレの利用候補者からこぼれ落ちたのは、街からトランスジェンダーを排除したいという差別によるものでないとするならば、特例法適用者は男女別のトイレを使用すればいいという判断がネガティブな影響を与え見落としを発生させたとの判断はできないでしょうか。あるいはトランスジェンダーはさっさと特例法を適用されるように努力しなさいよという差別が影響しなかったという判断はできるのでしょうか。あくまでもどれも推測の域を出ませんけれどね。
何が何でも区別や差別に対して賛成や反対したいという訳では無いのですけれど、逃し弁や安全弁(余裕、遊び、融通などと表現することも出来ると思う)みたいなものは社会的にある程度あった方がいいよねと私は思います。
例えば体重別で階級を分けるルールのスポーツでも、どうしたって各階級内で有利不利が生じるし失格も生じるのです。もともと女性を差別するために作られた女子スポーツでの性別問題でも言える事ですが、ルールによる女子スポーツからの排除だけを考えるのは良くないと私は考えています。女子スポーツの枠内に留めて置きながらでも女子スポーツとしてルールの細分化を検討していこうとする事は可能性として可能であり得ると私は判断しているからです。それも差別のための区別であるという事に変わりはないのですけれど。
「区別と差別は違う」と言う前に、こういった気づき難い差別や差別のための区別というものが今もあるいは昔からもあるよねという前提から話し始めてもらいたいと思う今日この頃です。
第三章 あとがきと、心得と、答え合わせ
「区別と差別」について語ることの難しさに対して、そこまで戦々恐々に身構える必要もないのものだとは思いますが、自他を守るためには特に「ガスライティング」と「セカンドハラスメント」への構造的な知識および理解はあった方が無難だろうと言えます。
他には各種法律、公共の制度、ガイドラインなど、テーマとする分野への構造的な知識および理解があるに越したことはないのですが、私もある程度はざっと調べたり確認したりしながら執筆していますが抜けたことを話している事もよくあります。
また、我を見失いそうになっていた時に私の過去の記事を思い出させてくださった方に助けられたこともありました、ありがとう。身の周りの人々を大切にするという事には、自分自身を大切にしていくという事も含まれているのだと私はもう知ってしまっている、その事に改めて気づかされました、ありがとう。
そして長くなりましたがお付き合いありがとうございました、お疲れ様です。
『だから「今晩のおかず」を決定するというのは重労働なのです、というお話は差別だろうか』、これの答えは文脈次第だと私は思います。
せっかく作ったのに食べてくれない、文句を言われる、外食にしたいと言う、出掛けたくないから出前や家にあるものにしたかったのに、せめて作り置きや冷凍物を消化したい、なのにいつもがんばっているんだから今日くらい楽をしてもいいだろうなどと軽口を叩く、いただいた招待券の期限が迫っているんだとか、知人が店を開いたので挨拶に連れていきたいんだとか、などなど。傍から見るといちゃついてるだけのように見えて結構高度な空中戦を母上様の誕生日にしていたりする、こともある。
参考文献一覧
(参考文献 多目的トイレと呼ばないで 不適切利用頻発、指針改正へ:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASP287GVJP25UTIL03P.html )
(参考文献 バリアフリー:令和2年度第2回「共生社会におけるトイレの環境整備に関する調査研究検討会」 - 国土交通省 https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/barrierfree/sosei_barrierfree_tk_000255.html )
(参考文献 バリアフリー:多機能トイレへの利用集中の実態把握と今後の方向性について―多様な利用者に配慮したトイレの整備方策に関する調査研究― - 国土交通省 https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/barrierfree/sosei_barrierfree_tk_000016.html )
(参考文献 バリアフリー:心のバリアフリー/障害の社会モデル - 国土交通省 https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/barrierfree/sosei_barrierfree_tk_000014.html )
(参考文献 法改正で「みんなの・だれでも・多目的」トイレ表示はガイドライン違反 – IKINARI LARC https://ikinarilarc.com/2021/04/30/accessibility-toilet/ )
(参考文献 モラハラとどう違う?「お前はおかしい」ガスライティングという支配の形を知ろう | TRILL【トリル】 https://trilltrill.jp/articles/3889750 )
(参考文献 セカンドハラスメントとは?種類や原因、対策について解説 | アドバンテッジJOURNAL https://www.armg.jp/journal/355-2/ )
(参考文献 「性的マイノリティのトイレ利用に関するアンケート調査」結果公表外出先トイレでトランスジェンダー※1の感じるストレス「トイレに入る際の周囲の視線」が最多の31.1% 2019年01月15日 : ニュースリリース : TOTO https://jp.toto.com/company/press/20190115005472/ )
(参考文献 「トイレのオールジェンダー利用に関する研究会」による意識調査 結果報告/トランスジェンダーの性自認に沿ったトイレ利用、シスジェンダーの意識に変化/金沢大学、コマニー、LIXILの産学共同研究会が報告|Newsroom|LIXIL https://newsroom.lixil.com/ja/20230608_01 )
(参考文献 多目的トイレ②多目的トイレとトランスジェンダーと車いすと|大学生車いすユーザーのみのりある話 https://note.com/minori_pictinclu/n/nab73aca08e71 )