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年年歳歳人同じからず
毎年毎年、人の姿は変化していくこと。
自然は不変だが人間は無常ではかないことをいったもの。
(劉希夷:りゅうきい)
毎年毎年、
人の姿は
変化していくこと。
自然は不変だが
人間は無常で
はかないことを
謡った詩です。
端的に訳すと
年々人の様子が
変わっていく
ということを
表しています。
自然の中には
変わらないものが
ありますが、
人間は絶えず
変化するものです。
例えば、
春と冬の季節を
考えてみましょう。
春には桜が咲き、
暖かくなり、
鳥たちもさえずり
始めます。
そして、
冬になると
葉は枯れなくなり、
寒さが厳しくなり、
鳥たちも
静かになります。
![](https://assets.st-note.com/img/1709276191206-ITFS09YQNe.jpg?width=1200)
この詩では、
春が人間の
内面の変化を
表していると
いいます。
春になると
人間も活気づき、
新しいことに
挑戦したり
成長したりします。
そして、
冬が自然の
不変性を
表しています。
自然は四季が
巡っても変わらず
存在し続けますが、
人間は
季節ごとに変化し、
成長していくのです。
つまり、
人間が絶えず
変化し続ける
存在であり
それは自然の
雄大さと比べると
なんと儚いものか
ということを
教えています。
![](https://assets.st-note.com/img/1709275921325-3ymhu4Dlp2.png?width=1200)
中国の初唐の詩人、
劉希夷(651~679ころ)の
七言古詩の十二句目のことば。
「洛陽の町の東で桃や李の花が散る姿を眺めていた昔の人はもはやいない。しかし今の人が花を落とす風の前に立っている。毎年同じように花は咲くが、それを眺める人の姿は変わっていくのである。若々しい少年たちよ聞いてくれ。半ば死にかけた白髪の老人をあわれんであげなさい」
とあります。
洛陽の桃や李の
花の美しさを
懐かしんでいる。
昔の人々は
花を楽しんでいたが、
今の人々は
花の美しさに
感嘆している。
年々変わる
人の姿と対比させ、
老人を思いやる
ように伝える。
若者たちは
老人を優しく
見守ってほしい。
……という思いが
感じられます。
![](https://assets.st-note.com/img/1709276966990-gpFCiHKMNe.jpg?width=1200)
なおこの詩は、
劉希夷が
「毎年毎歳、花が咲くように、
毎年毎歳、日が変わっていく」
という二句を
作ったときに、
不吉な予感を
感じていたが、
そのときは
気のせいだと思い
そのままにして
しまいました。
しかし、
その予感通り、
劉希夷の舅である
初唐の詩人
「宋之問」(?~712)が
この詩を自分のものに
したいと頼んだが、
劉希夷が断ったために
殺されたという話が
伝えられています。
その後、宋之問は
この詩を自分の作品に
組み込んだと言われています。
実際に、
宋之問の詩集には、
「思い出す」というタイトルで
この詩が収められているそうです。
また、日本の詩集『和漢郎詠集』の
「無常」の部分でも有名です。
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