国際女性デーに寄せて #MeTooの持つ力
Happy International Woman's Day!
昨日、3月8日は国連の定めた国際女性デーでした!
私はHeForSheのカンファレンスに訪れ
改めて、この日が女性のためだけでなく男性のための日でもあることを
学ばされました。
↑(Emma Watsonさんが国連で「If not me, who? If not now,when?」というスピーチをしたことで有名な He For She )
この日に寄せて、常々思い巡らせている
女性としての尊厳を守ることと、他者を思いやることについて
私の体験も交えて少し著したいと思います。
これまでの23年間を振り返ってみると、私自身が
女性、しかも学生で地位も権力もないという立場にあったことで
性的な搾取の対象になったことが幾度もありました。
それは、性的な言葉を掛けられることであったり
不本意な触れられ方をすることだったり
ときには暴力的な嫌がらせを受けることでもありました。
その度に、私は自分自身の弱さや欠点のせいにして自分を責めたり
ぐっと涙をこらえたり、仕方ないことだと目を瞑るようにしていました。
そんな中、
ジャーナリストの伊藤詩織さんやはあちゅうさんの告発によって
日本国内でも#MeTooの動きが広がっていきました。
中でも、私にとって大きな出来事だったのが
カナダで一緒にメディア「CLTV」の活動をしていた吉田貴臣さんが
オンタリオ政府のセクハラ防止の啓発ビデオに日本語字幕を付けtweetしたところ大きな反響があり
ハフポストや全国紙の記事に取り上げれるまで拡散したことです。
私自身が受けたハラスメントについて相談していたことも
字幕作成と拡散のきっかけのひとつになったのだと思います。
https://www.huffingtonpost.jp/2017/12/20/metoo-canada-campaign_a_23312560/
(↑ハフポストの記事のURLとYouTubeに掲載されている動画)
小さな、身近なアクションが
大きなムーブメントへと発展していくことを身を持って感じた出来事でした。
全くの非力だと感じていた私は、
これらの動きによって仲間がいることを実感し
今までに感じた事のない力強さを感じました。
見えている世界が180度変わったよう、
曇り空だった景色が一気に晴れていくような感覚でした。
一方的に、弱い立場にあるものが我慢しなければいけない時代が
変わっていくように感じました。
それと同時に、
私自身も変わらなければいけないと強く感じました。
きちんと声を発信していかなければと。
大事として取りざたされることがなくても
小さなハラスメントに傷つけられている人は身近にたくさいるはずです。
例えば、大学のサークルの飲み会で、容姿によって優劣を付けられたり
不当な飲まされ方をしたり。
男女の間で下ネタが飛び交ったとき、露骨に拒否反応をすると「キャパがない」と言われたり。
体型のことを指摘され、笑いの対象にされたり。
また、街中でナンパをされることだってそうなのです。
どんな些細なことであっても、受け取った人が ”気持ち悪い” ”嫌だな” ”悔しい” ”みじめだ”
そう思うことがあれば、立派なハラスメントだと私は感じます。
ほんの少しだけでも、他者が
あなたの行為によってどんな思いをするのか
想像力を働かせる必要があるのです。
幼い頃に教わったこの教訓は、いつしか大人になり
少し社会的な特権を得ることによって忘れていってしまうようです。
社会経験もない、ひとりの小娘が何をつらつら書いているのだと
面倒なやつだなと心のどこかで感じている人もいるでしょう。
そう思われるのは百も承知だし、気にしません。
でも、これだけははっきりと伝えます。
全ての人間は、平等の下に生まれ
尊厳を持ちながら生きる権利があるということ。
いつの時代でも、どこの国でも、どんな立場にあっても
決して変わることのない自明の理なのです。
どんなにお金があっても、活躍していても、社会的な地位があっても
このことを忘れ去っていては意味がないと思うのです。
この理をいつだって大切にし、振舞える人の方が数万倍尊敬されるし、
されるべきです。
私のこのnoteにまとめた文章や想いは、
モノや人、情報や時間が濁流のように流れる今の世の中では
ほんの小さなささやき程度でしかないでしょう。
でも、この文章を今、何かの拍子で目に触れてくれている
あなたに直接語り掛けたいのです。
想像力を働かせて、他者に思いやりと尊敬を持って下さい。
本当の愛と信頼によって多くの関係を築いて下さい。
また、搾取されていると感じる人たち。
声を上げる勇気を失くさないでください。
私は今まで、嫌だと感じても笑っていました。
ひどいことをされても言われても、傷ついていないふりをしていました。
流されるように赦していました。
でもそれでは何も状況が変わらなかった。
そんな私にも責任があったと気づきました。
#Metooが生まれた今 、もうひとりぼっちではないのです。
だからもう
”No”というのを躊躇わないで下さい。
女性も男性も、年齢も、地位も関わらず
全ての人が自由に自分らしく挑戦できる世界になるよう、
私は心を強く持ち続けていきます。
まだまだ書き足りないのですが、今日、想い記すのはここまでに!
今までの自分への決別という決意も込めて。
私は、
全ての人が、特に弱い立場に居る人が、誰にも搾取されず尊厳を持って生きる社会作りに賛同します。
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