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【良い母でなければならない自分のこと】



去年、書いた私の生い立ち記録。
読んでくれた友人の中には、映画化したらどうだ?なんて言って配役まで考えてくれた人も(笑)

これには続編があって、
まだまだ見ないようにしてた内面を発見しました…

残したい衝動で書きますので、
どうぞスルーしてくださいね。

ちなみに友人が考えていた妄想の配役
母→吉田羊さん
父→吉田鋼太郎さん
リリー・フランキーさんもどこかで出演して欲しい❣️

そんなおふざけは置いておいて、
文章をまとめたいと思う。
↓↓↓

🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀

【良い母でなければならない自分のこと】

獅子座満月の前日。

子ども達と私と三人でお腹の調子が悪く、
学校なり保育園なりをおやすみ。

本来なら朝の忙しい時間帯だが、
各々がボケっと好きなことをして過ごしていた。
子ども達が自分たちだけで色々やれると言うので、私は寝室でひとり二度寝することにした。

こんな風に子どもが家にいる時に、
ひとりの時間を持てるようになるなんて…
ホッとする反面、静かな時間に少し居心地悪さもある。
複雑な感じをひたひたと感じる。

「あぁ。色んなことがあってここまできたんだよなぁ」

ふと、急に、
長女が赤ちゃんだった頃が思い出された。

あれはお宮参りの時だったか?
旦那さんと激しい口論になったことがあった。

その時、
わたしは激しい怒りをぶつける先がなく、
抱き抱えていた長女を床に投げつけたい衝動にかられた。

もちろん瞬時にその衝動は振り払い行動には起こさない。

が、
わたしの頭のなかには投げつけるイメージがはっきりとあった。

そのあと、
なにがどうなったかはちっとも覚えてないが、(無事にお宮参りは終えている)その瞬間の自分の「狂気」だけは鮮明に覚えている。
いま思い出しても恐ろしい。
本当に恐ろしい。

あれが自分自身だなんて思いたくない。

こんな事を思うなんて、
「やっぱり私は母親失格だ」
「やっぱりわたしは母親に向いていない」

そうやって常に常に、
自分を罰してきたように思う。
(正確には親になる前からかもしれないが)

前回の生い立ち記録にあるように、
母は夜の世界を第一線でバリバリ働いていた。

なので、幼少期の私は、
母とのコミュニケーションはほとんど無かった。
(父も不在だし私は一体誰とコミュニケーションを学んできたんだろう…よく今まで生きてきたな)

母と関わりがあるとすれば、

酒に酔って「お前なんなんだよぉ~」なんて調子で息巻いてるか、
無言で何かを言いたげだが怒ったような表情をしてだだ私を見つめているか…

そんな記憶しかない。

自分が幼少期に母とコミュニケーションを取れていないので、今度は自分が親になったら子どもにどう接して良いかが分からない。

例えば、
自分が子どもの頃にされた喜びが無いから、
子どもに絵本を読み聞かせる必要性もわからない。

今になり私が子ども達に絵本を読むと、楽しそうなのを見て「へぇ~これは楽しいのかぁ~」と一緒に一から体験するような感じだ。

幼少期に体験して作られていくはずの感覚や感情が、とにかく欠如しているのかもしれない…
自分が親になってからそう感じることが増えて、それがコンプレックスとなっていく。

「只でさえ欠陥だらけな人間なんだから、良い母になろうと努力しなければ」

セリフにしたら、
こんな感じだろうか…

とにかく幼少期に持っていたコンプレックスが、大人になり行動範囲が広がると他の事で気が紛れて薄れていた。
しかし自分が親になったことでまた炙り出される。

目の前にいる娘の生き様を見ることで、
自分の幼少期を追体験しているかのようだった。

見たくなくて封印していた部分を、
子どもと向き合うことでむき出しにされる。

育児はとても辛かった。

以前、友人と二人で話していた時に
その友人はポロリとつぶやいた。

「まきちゃんは子どもが可愛いと思う?私は最初は全然可愛いと思えなかった!」

同じような辛さを感じてる人がいて、
わたしは凄くびっくりした。
そしてそれをハッキリと他人に言えることにも驚いた。

わたしには素直に言える勇気が無かった。

この時に自分の辛さを素直に語れたら良かったのだが、私は「良い母になることを頑張る」ことを緩めることが出来なかったように記憶している。

いま思えば、
あれだけの葛藤を抱えていたのだから、
そんな友人が目の前にいたら涙のひとつも流しておかしくないだろう…

あまり記憶が残っていないから、
きっと本音を言わず、
体よく話を収めてしまったんじゃないかな。

あぁ。わたしは弱いなぁ。本当に。

そんな風にして、
自分の本当の気持ちを出さず、
しかも常に出てきた気持ちを否定していたんだろう。

「わたしは欠陥だらけだから」と。

そんなこんな思い出が、
アルバムに挟んだ写真のように浮かんできた。

母親になってから9年分の心のアルバム
自分も環境も家族も…
否定してばかりで楽しい思い出はほとんど無い。

そんな自分の心にはじめて気付けた。
はじめて…

児童虐待のニュースを見る度、
心がざわざわしたり、ぎゅうと苦しくなる。
だけど、それは、
「もしかしたらいつか私もそうなるんじゃないか?」
「わたしも虐待してるんじゃないか?」
そんな不安にかられるからかもしれない。

「どうして自分の子どもを殺したり出来るんだろうね」
そういう言葉をたまに聞く。

でも、私は知ってる。
自分のなかにある「狂気」を。

だから別世界とは思えない部分がある。

悲しいニュースは現実にある。
しかし、それは「人にはそういう風になれる部分もある」という事実でもある気がする。

だとしたら…

私の「狂気」も。
「これは悪だ」と一方的に否定して、
無かったことにするんじゃなくて、
正直な今の自分としてきちんと向き合ってみたらどうか。

それも私の一部であることに違いないのだから。
否定せず、
受け入れて耳を傾けてやるしかないんだろう。
生涯を共にする自分自身なのだから。

自分を欠陥だらけと思うなら
良いも悪いも置いておいて、
今からたくさんの体験をする勇気を持とう。

見ようとしなかった部分を紐解いて、
知ることは辛くとも。

少しずつでいいから。


🍀🍀🍀

最後まで読んでくださった方へ
ありがとうございます。


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