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自分を使いきるということ

※台風19号により被災された地域の方々にはお見舞い申し上げます。これ以上被害が拡大しませんように。早い復旧を心より願っております。

「自分のカラダも心も使いきる」

役者であるのなら、それが当たり前。
そう頭では思っていたが、
実際にどう使うのか?と
具体的なところが全然わかってなかったな。

ふと、そう思った。
お風呂に入って、頭をわしわし洗いながら!

具体的に演技中の思考、カラダの状態、
これらを与えられた役として変化させなければいけないわけで。

そのためには、
今の自分のカラダ、思考、心の状態を
観客から見たらどう見えるのか?を客観的に、
かつ具体的に知っておかなければいけない。

とてもとても冷静に。

今までは、
演技レッスン中などに自分の思いとおりにカラダが動かないと、「どうして動かないんだ!なにが悪いのだ!」
そう、ただただ根性と感情論だけでやり過ごしていた。
(やり過ごしている。の言い回しはピタリとくる。本人はやった気にはなるが、なぜ動かないのか?という問題部分には具体的には触れていない)

しかし、
●「なんで動かないのだ!」という苛立ち
●カラダがなぜ思いとおりに動かないのか?

この二つを冷静に分析して再現できるようにしておけば、将来的に似たような状況の役に当たった時には演技として使えるのかもしれない。

そう思えば、役者にとって
日常生活のなかで無駄な瞬間は一秒もないのだ。

自分のことを冷静に正しく、俯瞰して見る。

そういう目で自分を見ようと思ったら、
日常で起こる頭にくること、悲しいこと、
そんな出来事に振り回されていることが
なんだか自分中心だなあ。と思えてくる。

私は宇宙のなかの、ただの一つの生物。
周りの世界があるから、私が存在できる。

私はそれ以上でも、それ以下でもない。

そんな風に少しいい加減に、
自分を扱ってみるのも面白いかもしれない。

今までは自分という存在に、
過剰すぎたような気がするので。

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