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わたしなんか生まれてこなければ良かったという人生
今日浮上してきた言葉です。
自分の整理のために残しています。
少し強烈な内容も含みますので、どうぞスルーしてください🙇♂️
🍀🍀🍀
朝、じいさん猫のトイレを掃除していたら
また、ふと言葉が出てきた。
「わたしなんか生まれてこなければ良かった」
ここ数日、色んなことがあって
処理できないモヤモヤがあった。
昔ならそのモヤモヤと向き合うことを拒否して、平気な振りをして、なにも無かったかのように自分に嘘をついて生活してただろう。
だけどなんとなく「これは逃げちゃいけないヤツだな」と感じて、連日それに付き合うことにした。
そうした時に突如として出てきた言葉。
これは中学生の頃、
夜仕事で母親が家にいない間、
毎晩のように考えていたことだ。
そして、
「死んだらどんな感じだろう?」と、自宅の6階ベランダから外を眺めて想像していた。
私が高校生から社会人になった頃、
ちょうど「完全自殺のマニュアル」なんて本が出版されで話題になった。
私のように自殺願望に取りつかれた若者が、この本を参考に自殺してしまったりしたからだ。
だけど、私には自殺する勇気も無かった。
そんな自分を弱虫野郎だと思っていた。
「私なんか生まれてこなければ良かった。どうして必要とされてないのに生まれてきたんだろう?なんで母親の勝手な思いだけで私なんか生んだんだ?大人なんか信じない。心を見せず、頼らず、自分の力で生きる」
死ねないなら、そうやって強く生きていこうと決めたのが中学生くらいだった。
きっと思春期もあったんだろう。
どうやって生きたら良いのか良くわからない。
自分の髪型を変えたくて衝動にかられて自分の髪をハサミで切った時もあった。
自分の扱い方がまったく分からなかった。
真っ暗なトンネルのなかを歩いてるみたいだった。
未来がまったく見えない暗黒期。
当時、毎晩抱えていた
「わたしなんか生まれてこなければ良かった」
その感覚がフラッシュバックした。
(猫のトイレを掃除しながら)
ああ。これか。と思った。
私はこれを自分の生き方の土台に抱えながら大人になってしまったのかと思った。
そう思ったら勝手に泣けてきて止まらない。
嗚咽さえも出てくる。
子どもが近くにいて見せたくないとも思うが、どうしようもない。止められない。
慌てて旦那さんが肩を叩く。
「猫のトイレを掃除してたら急に悲しくなったの?」
後から、旦那さんに対して「私の扱いに随分慣れたもんだなあ。凄いなあ」と、はじめて思えた。
ひとしきり泣いたら落ち着くことができた。
「当時の感情を追体験すると手放せる」と心理学で聞いたことあるが、こういうことなのか??
色んな出来事が、
ここに向き合えと言われたような瞬間だった。
「いまなら向き合えるよ」と神様に言われてるみたいな。
子どもの頃に作ってしまったこの信念はかなり強固に自分を守っていたので、なにかあるごとに、また浮上してくるかもしれない。
でも、それと向き合い、また付き合っていくしかない…。
でも、もう私はあの頃とは環境も感じ方も違う。
向き合う度にそれに気付けば良いのだと、今回感じた。
今の私には信じて見守ってくれる人がいる。
多くは語らなくて良い。
本当に感謝です。
少しずつだけど大人になりたい。