日記 2020年7月 劇場でしか笑うことができないのは不幸なのか、劇場だけでも笑うことができるのは幸福なのか。
7月某日
先日、芥川賞と直木賞の発表がありました。
その際、ニコニコ動画で「文学賞メッタ斬り!」の豊崎由美と大森望を含む書評家たちが、実況中継をしていました。
僕は仕事中だったので、途切れ途切れしか見ていないのですが、受賞作が発表された後に「心の中の芥川賞、直木賞」という企画をしていました。
「受賞は逃したけど、この作品が芥川賞、直木賞を取るべきだった」という作品を順番に発表していく、というもので、豊崎由美と大森望が、舞城王太郎の「好き好き大好き超愛している」を挙げていました。
ですよね!
と僕も大いに頷きました。
その後の「ビッチマグネット」「美味しいシャワーヘッド」でも良いよ! 最悪ね! ベストは「好き好き大好き超愛している」でしたけど!(短篇五芒星はちょっとアレでしたけど)
という勢いで、「好き好き大好き超愛している」の選考委員の選評を読むと、池澤夏樹と山田詠美が推してるんですよ! 取って良いじゃん!
その裏で、石原慎太郎と河野多恵子が厳しいことを言っているんですけども、ひとまず横に置いて、今回まず紹介したい作品について書きたいと思います。
舞城王太郎の「世界は密室でできている。」です。
こちらは十三歳の男の子が主人公なのですが、そこで以下のような文章があります。
パンツ丸見え天国。これって十三歳の男子にはマジ極楽じゃないですか?セックスとかさせてくれる天国があればそっちの方が素敵そうな感じだけど、でもそんなの、なんかやり方判らなそうだし、わざわざ天国まで来て何かに困りたくなんてないし、死んでからまでいちいち頑張りたくない。
初期の舞城王太郎は暴力がメインにあって、それに対する怯えが、セックスにまで及んでいます。
同時に引用文にもある判らないことに対する躊躇も描かれます。
「暗闇の中で子供 The Childish Darkness」や、それこそ「世界は密室でできている。」にはセックスをしないことによる不幸が描かれています。
パンツ丸見え天国が極楽で、わーいって言って判らないことから逃げて、頑張らないことを選び続ければ、傷つかずに済むし、不安にもならなくて済むように見えるけど、それでは駄目なんだ。
不幸になるんだ。
ということが、初期の舞城王太郎作品にはあったように思います。
このパンツ丸見え天国は、セックスをしないことが快楽の世界であって、それを一般的な言葉で言えば、ラブコメになると僕は考えています。
今回、僕が引っ張ってきたいラブコメの定義は川田宇一郎が書く「本当はラブラブな二人のセックスを、心理的物理的すれ違いから回避すべく、必然的にマヌケなコメディになる」ものです。
……という書き出しで始まるエッセイをカクヨムにアップしようと思っていました。
けれど、途中で力尽きてしまいました。
小説を書いていたから、というよりは、最近の温度変化について行けなくてバテていた、というのが本当のところでした。
なので、日記として流用しようと、冒頭に引っぱってきました。ちなみに、この後、僕の好きな「本当はラブラブな二人のセックスを、心理的物理的すれ違いから回避すべく、必然的にマヌケなコメディ」は何かを書くつもりでした。
どうして、ラブコメについて書こうと思ったのかと言うと、「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」のアニメの一期と二期を見たからでした。
原作漫画は十六巻まで読んでいるので、一期も二期も内容は知っているんですが、これを今高校生の人達がアニメや漫画を見れるんだと思ったら、自分でも驚くほど嫉妬したんです。
もしも、僕が高校生で「かぐや様は告らせたい」を知ったら、無茶苦茶ハマっていたでしょう。
おそらく、救われた気持ちにもなっていたと思います。
「かぐや様は告らせたい」には、見た人を救ってしまうような強度があります。それは間違いないんです。
ただ、問題は僕が二十九歳で、もう「かぐや様は告らせたい」が救うだろう範囲に僕はいない、ということです。
僕は「かぐや様は告らせたい」を見て、心から共感することができません。
その悔しさから、僕が心から共感して、救われたラブコメをエッセイにして書いてやる。
という意図でエッセイを書き出したのですが、ラブコメの説明の部分で挫折してしまいました。
また、何かの機会に書こうと思います。
ちなみに、本気で僕が共感して救われたラブコメで浮かぶのは「まほろまてぃっく」「藍より青し」「半分の月がのぼる空」辺りになる気がします。
とは言え、「かぐや様は告らせたい」と対比させるのなら「とらドラ!」かな? と思っています。
「かぐや様は告らせたい」と「とらドラ!」論。
うん、面白そう。
7月某日。
アニメばかり見ている。
「かぐや様は告らせたい」を見終わったので、今更だけれど「あそびあそばせ」を見ている。
監督が岸誠二で絶対に面白いじゃんと思ったら、期待をまったく裏切らない内容だった。
僕が岸誠二の名前を知ったのは、「瀬戸の花嫁」だった。最近、「霜降り明星」のラジオをぽつぽつ聞くようになって、彼らを調べたところ、コンビ名の「霜降り明星」の明星は粗品が好きだったアニメ「瀬戸の花嫁」のお気に入りの登場人物の「不知火明乃明星」からとられた、と知った。
不知火明乃明星。
超懐かしい。
僕も好きです。
「あそびあそばせ」から話がズレてしまった。
と言っても、内容はもう見れば面白い傑作アニメなので、何も言うつもりはありません。
ただ、個人的に生徒会長が好きでした。
あと、最近好きな漫画の一つにタカノンノの「ショートショートショートさん」という漫画があります。
ツイッターでタカノンノが「あそびあそばせ」が好きだと、最近呟いていて、分かる! 超分かる! タカノンノの書く顔芸の部分とか、ホント最高やもん!
ぜひ、「ショートショートショートさん」がアニメ化する時には監督は岸誠二でお願いしたい。
7月某日。
「きのう何食べた?」を見はじめる。
最近、同期と喋っていても、今日は何を食べるのか? という話すら枯渇してきて、今日は「一週間の夕食の材料とレシピが届くサービスがあったら、加入するかも知れない」という話をした。
どこかにはありそうですよね。
一週間の夕食の食材とレシピが届くサービス。
ということでもないんですが、「きのう何食べた?」で出てくるレシピで真似ができそうなのがあったら作ろうと思う。
そう思ったきっかけは、原作者のよしながふみと佐久間宣行(テレビ東京プロデューサー)の対談を読んだからでした。
そこで、佐久間宣行が「番組の企画で、堂本剛くんの誕生日祝いにバナナのパウンドケーキを焼いてプレゼントしたこともあります。「きのう何食べた?」のレシピで作ったんです。」と言っていました。
え、めっちゃええやん。
そっか、この先誰かに手料理をふるまうなんてことになった時に「きのう何食べた?」のレシピだよ、と言えるの最高じゃないか。
あ、で言うと、「甘々と稲妻」のレシピも作ってみたい。
「甘々と稲妻」も美味しそうなレシピが結構あったんだよなぁ。あと、シチュエーションが最高なんだよな。
今は店を開いていない居酒屋の厨房を借りて娘の為の手料理を生徒から教わるって(主人公は高校の教師なんです)。
と言うことで、今後の話題作りと、まだ見ぬ手料理をふるまう可能性の為に、物語のレシピで料理を作って行こうと思っています。
7月某日。
「劇場」を見る(ここから、ややネタバレがありますので、ご注意ください)。
又吉直樹が原作で、映画の監督は行定勲で、主演は山﨑賢人と松岡茉優、と。
最強の布陣か、と。
映画を見る前に小説現代6&7の雑誌を買っていて、そこで松居大悟と又吉直樹の対談が掲載されていました。
そこで以下のようなやり取りがありました。
松居 『劇場』でも、恋愛が泥沼になっていくじゃないですか。その先には地獄しかないのに行くしかない、みたいな。又吉さんは泥沼になっていった時に、もっと行こう、ってなるんですか?
又吉 そうですね。どっちの沼がより深いか確認しあおうや、みたいな(笑)。『劇場』は書評に「最低な男」って書かれたんです。僕からすると、こいつは情けないけど可愛げあるなと思って書いたのに、嘘やろって。自分で書いていると分からないんです。でも映像化されたものを観たら、みんなが言う酷さがちょっとわかりました(笑)。
「その先には地獄しかないのに行くしかない」「どっちの沼がより深いか確認しあおうや」
本当に、その通りの映画でビックリしたわ!
映画の途中で、中上健次の「軽蔑」を町田康が論じた時に「これは恋愛の話なのではなく、争闘の話なのだ」と気づいた、という話を思い出して、もしかして「劇場」も恋愛の話に思えて、まったく別のコードが隠れているのか? と探ってしまうくらい、泥沼の深くに沈もうとする映画でした。
最後まで見ると、なるほど、この為の映画だったのか、と分かる作りにはなっていて、僕の深読みモードは一端オフになったんですが、彼らにとっての東京ってなんだろう? とか、色々考えています。
まとまったら、カクヨムの方のエッセイにしようと思っています。
個人的に「劇場」という映画を振り返って、浮かぶのは尾崎世界観と千早茜の共著「犬も食わない」でした。
その中に、こんな一文があります。
約束もなく、ただ、その日、その日を一緒に過ごす。それだけのことが人間同士だとうまくいかない。大輔はちょっと犬みたいだね。ごろごろしながら私の帰りを待って、私の作ったものを食べて、私の横で寝て、たまにくっついてきたりする。なんにもしてくれない。言葉も約束もくれない。責任とかいう概念すらないでしょ。呆れるくらい馬鹿なことをするし、ぜんぜん学習しないし、進歩もない。会ったときからそのまんまで、でも老いてはいく。これじゃ犬以下だ。可愛げもないし。こういうことを言うからいつも喧嘩になるんだけど、その通りだから大輔だって怒ったりいじけたりするんでしょう。正直言って、私、もう大輔に期待はしていない。悪い意味でも、良い意味でも。だって大輔は大輔だから。
個人的に、映画を見ている途中は「劇場」の主人公、永田はこれくらいのことは言われるべきだろ、と思っていました。
とはいえ、「犬も食わない」の主人公、大輔もまぁ情けない奴です。
別れを伝える手紙に「返せるものが鍵だけなんて、最後まで本当に申し訳ない」なんて書くんだから、仕方がありません。
それでも、「劇場」の永田よりは可愛げがありました。
個人的に永田の気持ちは分かります。共感の嵐です。
永田は僕のあり得たかも知れない一つの姿なのかも知れないとさえ思います。そして、そう思ってしまうクリエイター志望は多くいることでしょう。
ラストこの物語がなぜ「劇場」というタイトルなのかが分かるシーンであります。そこで永田が心から笑顔を見えます。映画の中でほとんど唯一の永田の笑顔です。
演劇に取り憑かれた永田にとって、心から笑い、未来を語れる場所は舞台の上(劇場)だけでした。
劇場でしか笑うことができない永田は不幸なのか、劇場だけでも笑うことができる永田は幸福なのか。
そう問いかけて「劇場」は終わります。
しばらくは「劇場」の問いについて考えようと思っています。
さてさて、最後に僕の毎日の癒しのブログを書かれている、よるさんが誕生日でしたので、お祝いを書かせてください。
誕生日、おめでとうございます。
新しい歳のよるさんの一年が健康で、幸福でゆるいものであることを祈っています。
ちなみに、よるさん。
僕の自分の中の応援歌はDREAMS COME TRUEの「何度でも」です。
10000回だめで へとへとになっても
10001回目は 何か 変わるかもしれない
だから、大丈夫。
という精神でお互い生きていきましょう。
サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。