再検査の手記。~24時間なにも食べないと人間はどうなるのか編~
日記にちょっと書いたのですが、今年に入って受けた健康診断で再検査になったんです。
その数日後に僕は三十歳になったので、大人になるってこういうことを言うんだなぁ、と思った次第です。
実際、僕の周囲にいる友人連中は三十歳になってから、持病を抱えたり、アレルギーが見つかったりしていました。なので、僕も三十歳になって、持病やアレルギーと付き合う日々が始まる、ということはあり得るだろう、と思っていました。
で、僕が引っかかったものなんですが、ちょっと汚い話なので、嫌な人はここで回れ右していただければ幸いです。
というか、僕はエッセイに書くネタがないからって、こういうことまで書き出すのか。
いや、でも、これを書かないのも何か違うのかな? と、もう一人の僕が言っているので、記録として今回は書き進めたいと思います。
はい、では、もう大丈夫ですかね?
そこまで確認することでもないんでしょうけど。
僕が引っかかったのは、便に血が混ざっている、というものでした。で、受けるのは大腸内視鏡検査というもので、お尻からカメラを入れて大腸全体を観察する、というもの。
これで分かるのは、大腸がん、大腸ポリープ、大腸憩室症、炎症性腸疾患など、らしいです。
そんな説明をお医者さんから受けた時、ポリープを摘出する際は場合によっては入院になります、と言われました。
また、検査結果は二週間後にお伝えします、とのことでした。
大腸内視鏡検査は平日しか受けられず、また二週間後の検査結果も平日になるので、都合上二度は仕事を休む必要がありました。
これは仕方がないのですが、地味に嫌でした。
大腸の検査をする為に、お尻からカメラを入れるって言う話は誰にでもできるな、と思うんですが、職場というか僕が属している部署って女性ばかりで、同僚の男(僕)のそういう話って普通に聞きたくないだろうなぁ、と思うんです。
考えすぎなのかも知れないんですが、その手の笑い話をして気を使わせる、というか、不快感を味あわせてしまうのは申し訳ないな、と。
そんな訳で、同期の女の子(は、まぁ大丈夫と知ってる)と上司にだけ伝えていました。
あとは、なんか再検査するっぽいくらいで、いけるんじゃないかって思ったんですが、同期の女の子が嬉々として言い触らしてくれたので、気づけば広がっていました。
まぁ、同期の女の子から伝わる分には、笑いになるので多少は不快感も薄れるかな? というか、そんな配慮をすることが既にキモい可能性もあるなぁ、と出口のない心配の迷路に迷い込みました。
この辺の配慮って、人それぞれすぎて難しいなぁと改めて思います。
ちなみに、便に血が混ざっていた、と聞いた際に僕が最初に浮かんだのは痔なのかな?でした。
痔だった場合、直木賞作家の朝井リョウと一緒じゃんっとなりました。
となると、朝井リョウのエッセイ「風と共にゆとりぬ」に収録されている、「痔瘻の発症、手術、入院――著者の肛門にまつわるすべてをしたためた100枚超の手記「肛門記」」を読まなければならないな、と思ったんです。
また、大腸がんとかの、結構深刻なものだった場合は、白石一文の「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」の主人公が、癌治療後の成人男性なので、そちらを改めて読もうと思いました。
小説に詳しいって、こういう時に便利ですよね。
色んなパターンの自分に対するオススメ小説を用意していく中で、当日に入院となった際は、何を読むかで悩みました。
今は恩田陸の「六番目の小夜子」を読んでいて、半分くらいまで来ているので、入院となってしまうと全て読んで手持無沙汰になりそうでした。
更に言えば、人生初の入院した日の夜の読書です。
ちょっと特別な一冊を読みたい。
そんな訳で本棚を見渡し、選んだのが奥泉光の「ビビビ・ビ・バップ」でした。ページ数にして八百ページほど。帯には、SF+ジャズ+落語+ミステリとある、まさにあらゆる要素を詰め込んだ一冊で、面白くない訳がありません。
少々(物理的に)重いですが、仕方ありません。
特別な夜には、それなりの苦労が必要です。
そのようにして、僕は大腸内視鏡検査の前日を迎えました。前日は素うどんや塩むすび、プレーンのパンとヨーグルト、アイスしか食べてはいけない、と案内に書かれていました。
そして、十九時からは絶食で、水やお茶は飲んで良いとありました。
当然だけど、お酒は駄目なのね。
が、僕の最初の感想でした。我ながら終わってます、色んな意味で。
前日は朝一番にプレーンのヨーグルトを食べれるだけ食べて、セブイレブンで買った昆布だしで炊いたお米をにぎった、塩むすびを二つ買って、それを昼食として十二時頃に食べました。
仕事が終わる時間には、絶食タイムに入っているので、夕食は諦めていたのですが、それを同期の女の子とかに言うと、ドン引きされました。
「絶対にお腹すくって」
と言われていたんですが、実際には我慢できないほどではありませんでした。流石に、パソコンの前に座ってエッセイや小説を書けるほどではありませんが、翌日の準備をして、二十一時に飲むよう指定されていた薬を飲んでから、「ソードアート・オンライン アリシゼーション」を見るくらいは元気でした。
「ソードアート~」が結構、面白くて二十三時くらいまで見て、眠りにつきました。
翌朝、六時半から飲むよう指定された薬を飲んで、また少し眠り、七時半から1800CCのポカリスエットっぽい味の下剤を七分から八分の間に飲む、というのをやりました。これがマジできつかったです。
二十分くらいかけて、七、八割を飲んで断念。
ホント無理。
途中から、普通に吐いたわ。
ちくしょうめ(涙目)。
十一時半までに病院とあったので、二時間くらいは不貞寝して、気持ちを立て直してから部屋を出ました。
病院に行く間に母親にLINEをすると、「貴重な体験をしかと味わって(顔文字)」と返信がありました。
確かに中々ない体験だなぁと思って、ちょっとテンションが上がるのだから、僕は本当に単純です。
病院に入ってからは、看護師さんに誘導されて、あっちへ行って、こっちへ行って、という具合で最後に病室で待機となりました。一人の看護師さんが病室まで案内してくれることになりました。
エレベーターで二人になった際、試しに母親にLINEした話をすると、「私も大腸内視鏡検査したことがあって、結構貴重な体験でしたよ」と言われて、結構ポピュラーなのね、と納得。
案内された病室は六人部屋で、一人奥にいるようでした。
僕は一番手前の左側を案内されて、呼ばれるまで待機しているよう言われました。
カーテンで仕切られたベッドの上で、僕は持ってきていた「六番目の小夜子」を読んでいました。三十分が経った頃、新しい患者さんが入ってきました。
姿は見えませんが、声からしておじいちゃんで、一度入院してから自宅療養になり、そこで再度、病気が再発したようでした。看護婦さんが意識確認の為に「ここはどこですか?」と尋ねました。
「病院」とおじいちゃんは答えます。
「なに病院?」と看護婦さんが踏み込んだ質問をしますが、おじいちゃんは答えられません。
看護婦さんは改めて「何年生まれ?」と尋ねます。
「昭和8年」とおじいちゃんが答えます。
「今、お幾つ?」と看護婦さんがまた踏み込むと、おじいちゃんはやっぱり答えられません。
僕はスマホで『昭和8年』と調べました。
1933年、今年88歳。
終戦が1945年だから、カーテンの向こう側にいるおじいちゃんはその当時12歳。小説家で言うと、渡辺淳一や半村良と同じ年に生まれています。
まじか。
その後、家族の方も入ってきたので、聞き耳を立てるのは良くないな、と思って「六番目の小夜子」に戻りました。
検査は十三時から、と案内にはありましたが、看護婦さんが僕を呼びに来たのは十三時四十分くらいでした。僕は前日の十二時くらいから何も食べていないので、検査の時から二十四時間は何も食べていない計算になります。
案内された手術室?っぽいところの中心にベッドがあって、その近くに黒い大きな機械があり、そこにコードが繋がれていて、先端がカラフルに光っていました。
後から、そのコードがカメラだと分かったのですが、最初はカラフルな光が暗めな手術室?を照らしていて、少々アンバランスな印象を持ちました。
ベッドに横たわって、検査の間は点滴に繋がれ、そこから痛み止めや腸の動きをゆっくりにさせる薬が入れられると、看護師さんが説明をしてくれました。
また、「そこのモニターに検査しているカメラの映像が見れるから、気分が悪くならないなら見てね。自分の腸の中を見れる機会って、あんまりないから」
とのことでした。
担当のお医者さんが現れて、あれこれ言って、三分後くらいにはあっさりお尻にカメラを入れられたのですが、痛み止めのせいなのか、痛くはなかったです。ちょっと苦しい感じはありましたが、耐えられないほどではありませんでした。
それより、カメラを通して見た腸の中がまぁまぁ綺麗と言うか、普段見かけることのないピンク色で、鮮度の良い肉?の感じがありました。
仮に僕が捌かれて肉屋に売られるとしても、腸はそこそこの値段で売られても良いくらいには、鮮度が良いな、と。
お医者さんは美術館の案内人みたいに、腸の中を一つ一つ丁寧に説明して行ってくれました。その中で、ポリープがあって、「この大きさなら、手術するほどじゃないね」とカメラから細いトングみたいなもの通して、それで挟んで摘出してくれました。
摘出される瞬間、風船が静かに破裂する感じで血が溢れ出ました。カメラが一瞬、真っ赤に染まって「おぉ」って声をあげました。
というのも、全然痛くないんですよね。
看護婦さんがすかさず、「カメラだと血がいっぱいだけど、実際にはそれほど出ていないから」と説明してくれました。
全体的に看護婦さんの声掛けが的確すぎて、もう何十、何百とこの検査の患者と接してきたのが窺えました。どこで患者が不安になって、どこで何を言えば安心するのか、全てを把握しているのでしょう。
カメラが抜かれた後、「お疲れ様でした」とお医者さんに言われて、ひとまず今日は手術とかにはならないようだ、と安心しました。
「今から、車椅子を持ってくるので、ちょっと待ってね」
と、看護婦さんに言われて、え? なんで? となったんですが、点滴に繋がれたままだし、薬も体内を巡っている状態なので倒れられたら困るのだろう、と納得。
その待ち時間に、「ちなみに、この流れだと二週間後の検査結果は聞きに来ないといけないんですかね?」と尋ねてみた。
「いやいや、来てください」
「あ、そうなんですね。来なくて良い場合もあるって説明にあったんですが、今回は二週間後も……、ですか?」
面倒臭くて、二週間後は休みを取らずにいたので、正直行かなくて良いなら来たくなかった僕です。ごめんなさい。
「ポリープを摘出したので、その結果が二週間後に分かります。なので、ちゃんと来てくださいね」
と看護師さんに駄々っ子に言い聞かせるような優しい声で言われて、「はい」と答える精神年齢十歳児の僕。
車椅子に乗せられて、採血室へと運ばれ、ベッドの上で何やら別の点滴を受け、「終わって、元気ならそのまま帰ってもらいます」と言われる。
「あ、はい」
ということで、点滴の時間をぼーっと過ごす。
携帯も文庫本の手元にない。
さて、どうしたものか。
採血室の看護師さんたちの会話を聞いていると、看護婦ってホント大変な仕事だなぁ。母は医療系の介護の仕事をしているけれど、こんな常に慌ただしい場所にいるんだとしたら、そりゃあ何度か倒れるわな。
とか、考えていると看護婦さんが入ってきて、「さとくらさん元気ですか?」と尋ねれ、「ええ、まぁ」と答えました。
「今、点滴しているのって、脱水症状にならない為の、いわばポカリスエットみたいなものなのね。血の中に流しているから、こっちの方が効くけど、口から摂取しても全然良いの。若いし、元気なら、このまま帰ってもらって良いよ」
「あ、はい。じゃあ、帰ります。お世話になりました」
「分かりました。ちなみに、帰り道に食事をとると気分が悪くなる人がいるから、家に帰ってからご飯は食べてね。あと、今日一日はゆっくりしていてください。お酒も飲まないでください」
え、お酒も?
という感じで、点滴を抜いてもらって、私物を置いている病室に戻り、服を着替えて清算をする為に一階へ。
まだ薬が残っているのか、不思議とお腹は空いていませんでした。清算した際、いや、分かってた、分かっていたけれど、なかなかの値段でした。
これだけのお金があれば、本が何冊買えたか……。
ホント、健康であるって大事だよなぁ。
そんなことを考えつつ、駅へ向かって歩き出しました。
判断力が低下していて、スポーツドリンクと一緒にサンドイッチを買ってしまう。更に、ミスドでドーナッツを二つ。スーパーでビールと巻き寿司と鶏肉、ピーマン、春キャベツ、お茶、チョコパイを買いました。
部屋に戻って、シャワーを浴びてから、ビーマンをバターで炒めて、塩と醤油で味付けしたものと巻き寿司を食べて、スイッチが切れたように眠りました。
検査の結果はまだ出ていないので、また病院へ行ってきます。何かあれば、その際もエッセイにしたいと思います。
今回の体験は総じて、貴重なものでした。
せっかくなので、こうして書き残してみましたが、誰に需要があるのか一切分かりません。ただ、こんなに長く、個人的な文章を読んで下さった全ての方に最大の感謝を述べたいと思います。
ありがとうござます。