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【対談】人生を狂わす実写化映画の地図 2010-2020 「2010年を語る」後編。

 前回はこちらです。

【2010年 実写化映画】もしも、異世界転生モノを書くなら。

『倉木』

 記号的といえば、最近、転生モノの作品をつまみ食いしてるんやけど。
 ライアーゲームの映画を観たときのように、設定やなんやらが穴だらけのように感じた。人が死ぬような世界観であったら、ベルセルクより面白くはないし、誰も死なないゆっくりとした話の場合、いつになったら悪いやつが出てきて、暗い展開になるんやと期待して、肩透かしをくらってしまう。

 勝手な印象やけど、アニメの放送枠を次の番組改変まで維持するために、とりあえず作品を放送しましたってのが多いように思えた。だから、一年後には、いや半年後にさえ話題にあがらない作品が量産されているのではないかな。
 結局、いまの流行りがわかるだけで、執筆の参考にはならんと感じた。

 それよりも、転生モノを自分が書こうというのならば、映画を観るべきだとやっぱり思うわけで。せっかくなので、異世界ファンタジーの転生モノを執筆する前に、観たほうがいいと思う映画をピックアップしてみます。

『郷倉』

 おぉ、良いですね!
 僕も最近、「ソードアート・オンライン アリシゼーション」をちらっと見たところでした。

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ソードアート・オンライン」って一時期のライトノベルを先遣した作品で、それこそ僕らが学生の頃からふつふつと人気が出ていったと記憶しています。

 そんな「ソードアート・オンライン」は基本的にVRMMORPGという、バーチャル世界でのゲームがメインなのですが、「アリシゼーション」は主人公の意識が、バーチャル世界に囚われてしまって、それを現実にいる登場人物が助けに行こうとするって話なんですよね。
 で、この主人公が過ごすバーチャル世界は、まさに転生モノの世界なんです。
「ソードアート・オンライン」の設定を使えば、現実で転生モノができる、と示そうとする作品になっているんですよね。

 それが成功しているか、失敗しているか。
 また、「ソードアート・オンライン」の世界観で、それをしなければならなかったのか? という問いはあるにせよ、意欲作であることは間違いありませんでした。
 ラノベ業界にとって、異世界転生モノは絶対に無視できないコンテンツまで膨れ上がってしまったんだなぁ、と最近は思います。

 これまた、それが良いとか悪いとかではなく、ライトノベルを語ったり、分析する上で必須項目までせり上がってきているので、倉木さんから見た異世界転生モノを執筆する前に見ておいた方が良い作品は楽しみです。

『倉木』

 一本目、ロード・オブ・ザ・リング

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『指輪物語』を原作とする実写映画化作品。絶大な力を秘めた「一つの指輪」をめぐり、選ばれし旅の仲間9人と、冥王復活を目論む闇の軍勢との戦いと冒険を描く。(Wikipediaより)

 さらに、Wikipediaでは、あらすじだけでも、プロローグ、旅立ち、集結、試練、一行の離散と分けて説明されていました。
旅の仲間』『二つの塔』『王の帰還』の三部構成をとりあえず観てもらいたい。前日譚にあたる『ホビットの冒険』の三部作は、元気があれば観る感じでいいんじゃないかな。
 オススメするにあたり、公開年を確認したら、2001年という20年も前の作品だと知った。最近の映画だと思っていたのに、そんなに前だとは思わなかった。どうりで、僕も白髪が増えたわけや。

 さてさて、本作を観てもらいたい層はどんな人だろう。ゲームの世界観が好きでファンタジーを書きたいと思った人。最近の転生モノしか見たことがない人。ここらへんかな。

 鑑賞中に、どこかで見たことがあると感じるシーンや設定が出てくるだろう。それは当たり前。だって、色んなファンタジーの原点に位置する作品の一つが、ロード・オブ・ザ・リングやからね。原点にして頂点という言葉が似合うともいえるでしょう。
 自らがファンタジーを執筆するならば、同じジャンルなので、これと勝負しなければならないってのを忘れないでもらいたい。
 でもまぁ、最近はファンタジーとなにかをプラスしているのが主流だからなぁ。真っ向勝負してないんだよな。
 ファンタジー、転生、プラスアルファ。要は組み合わせで面白さを見出している。
 でも、こういう変化球的な作品が主流になっているとはいえ、あくまで日本でも一部の層での流行りなのかもね。海外の映画で、そういうのをまだお目にかかっていないのも事実なわけで。そもそも、海外の役者が、転生してうだうだやってるのなんか、正直、実写でみたくないなぁ。
 ど真ん中ストレートでないから、細部に誤魔化しの多いファンタジー風のものが増えているのであれば虚しさを覚える。だからこそ、一度は王道作品に触れてもらいたいのかも。

 二本目、キャスト・アウェイ

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 フェデックス倉庫の生産性解決に世界中を飛び回るシステムエンジニアの男には、長年付き合っている彼女や、クリスマスを楽しく過ごす親族もいる。仕事ができるので会社内での信頼も高い。
 そんな主人公の乗った貨物機は太平洋に墜落する。彼は沈みゆく機体から一人だけ脱出し、流れ着いた無人島でサバイバル生活をすることとなる。

 シーンのほとんどを主人公のトム・ハンクス1人で演じているのだが、それでも問題なく面白いのは、役者、脚本、演出がどれも一流にほかならないからだろうね。

 本作に転生モノの要素があるとすれば、突然おとずれた新天地での生き残り方に通じるものがあるように感じた。
 しかも、オススメするのだから、物語の説得力は、キャスト・アウェイのほうが量産型の異世界転生モノのそれとは格がちがう。

 そもそも考えてみたら当たり前のことを描いてくれてんよね。転生前の人生が順調だった人間だからこそ、知恵と根性を駆使して生き残れるという至極当然な物語。逆にさ、ぽっと転生した学生や、不満たらたらで現実を生きてきた人間ならば、新天地でも、あっさりと死ぬと思う。
 そして、トム・ハンクス演じる主人公のようにスペック高めな男でも、運がなければどうしようもないというリアルなところまでも描いてくれている。

 主人公が墜落した機体には、フェデックスが運搬途中だったお客様への配達荷物も載っており、その中のいくつかは、主人公のあとを追うように、無人島の海岸に流れ着くのだ。
 この展開は、最近のファンタジー物のゲーム性に通じるとも感じた。というも、これってゲームでいうところの無課金アイテムが最初に与えられるのと形は同じやろ。ただ違うのは、課金ができない。初期アイテムを大事にしないと、追加は配布されないという点だろうか。

 ここで、荷物を回収した主人公の行動で、性格が細部で描かれている。
 本作では、なかなか箱を開けていかないのだ。無茶苦茶好きな演出ですよ。

 あくまで、お客様の荷物だから最初は開けない。いままでの常識と繋がっている感覚では、生き残れないだろうとハラハラして観ていたら、結局は一つの荷物を残すだけで、あとの荷物を取り出してサバイバル生活にいかしていく。

 この、一つだけ残しているという演出が憎いほどミソな映画です。この開けなかった荷物は、主人公が元いた世界との最後の繋がりといっても過言ではない。
 こういうものが転生モノの流行りにもあってほしい。それを思い出さんほど、転生前の現実がいやだったんなら、仕方ないけれども。

 本作は、物語終盤で無人島からの脱出が行われるんやけど、元の場所に戻ろうとする行動であるはずなのに、自らの死に方を選んで動き出したようにも見えてしまう。
 そして、苦労して脱出したところで、主人公が無人島で暮らした四年の間に、元いた暮らしの環境は変わってしまっている。たとえば、無人島で、いつも眺めていた写真の彼女は、新しい人生を歩き始めていたりしてね。

 そうなると、主人公も新しい人生を歩き出さなければならない。そのきっかけを与えるのが、無人島から共に脱出した未開封の荷物というギミック。何年もかかったけど、荷物を配達に訪れるという演出は、言葉では陳腐になりそうなものを最高な形で演出してくれた。

 ストーリーラインは、実にシンプルなのに、長尺の映画でした。別に、テンポが悪くないので、丁寧にやればこんだけ尺が必要になるって当然なことを教えてくれる作品。
 本作を転生モノが好きな人や、執筆したいと思っている人が観たとき、物語のはじまりと終盤の展開で、参考になることが多いと思う。
 つまり①異世界に来た。②そこに馴染むまでの流れ、③脱出までの流れ④戻ってきてからのこれから。
 お手本のような起承転結が、描かれている作品として勉強になる。ようは②の部分で引き伸ばすかどうかの違いやからね。

 三つ目、マイ・インターン

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 転生モノを見はじめて、一作目で思ったのは、職業モノと似ているなぁ、ってことやった。

 異世界という新天地は、新しい職場という新天地と重なる。過去の経験をいかして何かを有利にすすめられる。新しい場所だからこその壁にぶつかる。両方のジャンルで共通していることは他にも多いはずや。
 そう考えると、死んでしまってとか、召喚されてとか、とにかく自分が意図していない形で新天地に行き、なにかを頑張るってのは、キッカケとして卑怯だな、と思えてくる。そんなことで、新天地で頑張れるものかねぇ。

 だって、それって転職したいのに、その度胸がないから、なにかに巻き込まれるのを待っているようなもんやろ。あるいは、いまの現実が苦しいから、別のところならなんとかなると思っている。思っているだけで、自分からはなにもしない。バカかよ。

 さきほど話したキャスト・アウェイの主人公は、バリバリ仕事できたから、なんとか知恵を絞って生き残れた。それだけ大変な世界が新天地ではないのか。
 思っているだけで、自分からはなにもしない奴に、なんとかなるってファンタジー世界を甘くみすぎやろ。というか、ファンタジー世界を見下してるのが、最近の流行りなのか。たとえば、剣と魔法があって、現代日本よりも過ごしやすいって到底思えないのだが。

 異世界で簡単に過ごすために、チート能力を神みたいな奴が与えてくるのも理解ができん。なんで、そいつにだけそんなん与えるねん。だいたい、転生させる基準もわからん。「ドリフターズ」みたいに、歴史上の英雄たちが、死ぬ前に新天地に送られるっていうのでない限り納得できんぞ。

 愚痴が長くなった。
 まとめると、異世界にいったものが、順調に過ごすためには、それなりの人生経験や行動力があってこそだと思うわけで。
 だったら、ハナからチート級の奴が、新しいことに挑戦する映画で職業モノを探したところ「マイ・インターン」をオススメすることにしました。最初は、職業モノってことで「プラダを着た悪魔」を話そうと思ったけど、こっちのほうがよりチートな主人公かと思ったのでね。

 以下、あらすじ。

 若き女社長ジュールズのアパレル関係の会社に、シニア・インターン制度で採用された70歳の老人ベンがやってくる。若者ばかりの社内で当然浮いた存在になってしまうベンだったが、いつしか彼はその誠実で穏やかな人柄によって社内の人気者になっていく。やがてジュールズもベンを頼りにし、彼女の抱えている様々な難問に立ち向かっていく。

 70歳で妻に先立たれた老人にとって、それまで経験のなかったアパレル業界で働くのなんて、まさにファンタジー世界となんらかわらない。
 つまり、転生しなくても、それこそ寿命を全うする前でも、新しい世界に飛び込んでいけるやんって感じた。ただ、これを面白いと思う層には、転生モノが刺さらんっていうのも理解できる。たとえ、つくりが似ていても、好みがわかれるだろうね。

 それに、現実世界を描いている分、ファンタジー世界のように誤魔化しがきかなくなっている。アパレル業界の実情、若い女社長ゆえの悩み、再雇用で活躍するための方法、などなど。ラノベなどで見られる転生モノでは、ギャグやルールが曖昧な魔法のようなもので誤魔化すところを真っ向から解決してくれるのが、本作だ。
 そもそも、ここまでクオリティーの高いシナリオが用意できるのならば、わざわざ色々と面倒なファンタジー物を書く必要がないのかもしれんな。

 なんにせよ、リアルを描けないからファンタジーを描くというのは、物書きとしてはあってはならない逃げだと思う。


 さくさくっと、最近流行りの異世界転生モノに通じる映画をオススメするつもりだったのに、熱く語ってしまった。
 2010年の漫画原作実写映画という狭いくくりではなく、面白い作品から選べたので喋りすぎたのかもしね。
 それから、転生モノ=職業モノという僕の持論の場合、これぞ現代の異世界といえそうな「闇金ウシジマくん」を忘れてはいけないでしょう。
 その年がきたら、ウシジマを語りたいなぁ。

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【2010年 実写化映画】物語の中心は私(主人公)ではない。

『郷倉』

 めちゃくちゃ面白いですね。
 とくに「キャスト・アウェイ」は最高ですね。
 異世界転生モノって、現実への帰還ってあまり描かれないんですよね。ぱっと浮かぶのでも、秋口ぎぐる先生の「いつか、勇者だった少年」くらいです。

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 おそらく、他にもあるんでしょうけれど、あまり流行っていない印象がありますね。あー、「ソードアート・オンライン アリシゼーション」 はファンタジーからの帰還が描かれるでしょうから、その辺がシリーズものの強みと言える訳ですね。

 それとは別に「異セカイ系」も推せるのか。

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 ふむー。
 個人的に異世界転生モノとかを書いている人に言いたいことを、ちょっと書かせてください。

 異世界転生モノの天下がどこで、誰が握っているのか僕は知りませんが、ネットに「アニメ「されど罪人は竜と踊る」特集 浅井ラボ×長月達平×カルロ・ゼン鼎談」なる記事があります。

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 内容はもちろん、素晴しいので必読すべき内容です。
 で、こちらの副題は「ファンタジーを舞台にグロテスクな現実と向き合う理由」です。

 副題良いですよね。
 ファンタジーを舞台にする以上、「グロテスクな現実と向き合う」必要があるんですよ。
 そう浅井ラボ長月達平カルロ・ゼンは言っている訳です。
 ちなみに、異世界転生モノを書こうとしている方で、この三名の名前を知らない人はいないと思いますが、あえて作品名を紹介します。

 浅井ラボ「されど罪人は竜と踊る
 長月達平「Re:ゼロから始める異世界生活
 カルロ・ゼン「幼女戦記

 まぁ、錚々たるメンツですよ。
 あと地味に異世界転生モノは「まおゆう魔王勇者」や「オーバーロード」からの影響を受けた作品群もあるんですが、今回は割愛します。

アニメ「されど罪人は竜と踊る」特集 浅井ラボ×長月達平×カルロ・ゼン鼎談」の内容は、簡単に言えば、長月達平とカルロ・ゼンが「され竜」から多大な影響を受けて、ファンタジー小説ってこうある方が面白いみたいなことを語っているんですよね。

 例えば、司会者が「皆さん現実的ですね(笑)。今のお話にも表れていますが、「され竜」も「幼女戦記」も「リゼロ」も、ファンタジー的な世界観でありつつ、決して夢物語ではないですよね。ちゃんと戦って血が流れる話というか。
 に対する、答えが以下です。

 浅井 現実がそうですから。
 
 長月 人は死にますからね。
 
 カルロ 大きな嘘はつきますけど、小さな嘘はあんまりつきたくないですよね。
 
 長月 そうだね。現実を飛び越える嘘はつくべきだけど、現実の中におさまる嘘をつくのは、単純に物語のスケールを縮めるだけというか。
 
 カルロ 奇跡でみんなが助かるなら、がんばった必要がなくなってしまいますし。
 
 浅井 設定は非現実的でも「そういう世界です」で終わりにできるので、大事にするなら心理的リアリティでしょうかね。実際に人がその場でどうするかの心理は、なるべく本当にしないと、人間ではないほかの存在の話になりますからね。

 もう最高じゃないですか?
 異世界ファンタジーの世界は夢物語ではなくて、現実の一つなんですよね。全ての転生モノが、そういう前提に描かれているのか僕は分かりませんが、少なくとも浅井ラボや、それに影響を受けた作家にはそれがある、というのは一つの収穫でした。

 結局、一番小説の参考になるのは小説なので、異世界転生モノを書きたいのであれば「されど罪人は竜と踊る」辺りから始めるのは、いかがでしょうか。

 これは昔からですが、小説を読まなくても小説を書けますよね?系の言説ってずっとあって、学生時代の友人、知人もよく言うんですよね。
 そんな訳ないじゃないですか?
 小説の参考になるのは小説です。読書をしない人間が面白い小説なんて書ける訳ないんですよ。

 と僕が言っても、何の説得力がないのも分かってはいるんですけどね。

 さてさて、脱線してしまったので、ここから僕が考える2010年の重要作品とは何か、ということを書きたいと思います。

 まず、結論を言えば重要作品は「大奥〈男女逆転〉」です。
 今回の連載以前から、僕は結構、少女漫画原作の実写映画を観てきていて、少し前から気になる言動があるんです。

 それが「女の子なんだから」「女の子だからよね」です。

 これは、「溺れるナイフ」の冒頭の父親と母親の会話です。

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「溺れるナイフ」に限らず、少女漫画原作の実写映画はこの「女の子だから」という言説が使われます。あるいは、キャラクターの行動の前提が「女の子なんだから、こうなんだ」みたいな作りになっていることが当然になっていたりします。

 女の子なんだから、可愛くあろうとするのは当然とか、恋をして当然とか、言わなくても分かっているよね、という前提情報が少女漫画原作の実写映画には薄く、張り巡らされています。

 物語の中心は私(主人公)だから、という訳です。

 その当然が2020年に寄っていくことで、あえてそれを裏切る作品が現れてきます。
 例えば、「恋は雨上がりのように」とかは、少女漫画の構造に大泉洋のおっさん視点をぶち込んで、世界は女の子中心に回っている訳ではない、と示します。
 示した上で、けど、中心にいない君たちを大切に思う人はいるし、恋愛(女の子の欲望)がすべてでもない、と言っていて、最高でした。

 そういう構造で言うと、倉木さんが先ほど例に出した「マイ・インターン」も同様の構図を持っていますね。
 ジュールズ・オースティンアン・ハサウェイ)の世界にシニア・インターン制度で採用された70歳の老人ベンロバート・デ・ニーロ)が異物として混入してきて、世界が変わっていく。

 ラストは女社長のジョールズと老人ベンは対等な友人関係を築きます。「マイ・インターン」の肝はジョールズとベンが恋愛関係に陥らなかった、という点にあると思うんです。
 ラブストーリーって基本的に私と貴方の二人の世界しか描かれないので、対等な関係でいられるのが、恋愛をしている二人だけになっちゃうんですよね。

 それを否定するような物語として「マイ・インターン」はあったんですよね。「恋は雨上がりのように」は若干そういう部分がありつつ、少々危うい部分もあって、グレーかなって感じもあります。
 面白いんですけどね。

 というようなことで、まず少女漫画原作の実写映画には、女の子の欲望が前提化されています。
 それは「大奥〈男女逆転〉」も同様です。

「大奥〈男女逆転〉」で優先された女の子の欲望は、二宮和也の幼なじみの堀北真希です。
 二宮和也と堀北真希は両想いで、けれど身分の違いから、お互いに一歩を踏み出せず、二宮和也はその想いを断ち切る為に大奥入りを決めます。

 つまり、二宮和也の行動理由は堀北真希への想いなんです。
 それに本人も途中まで気づいてない節があり、後半辺りで、二宮和也は徳川八代目将軍の柴咲コウの初めての相手になることで、彼女を抱いた後に自分は殺されるんだと知ります。
 そこで、ニ宮和也は堀北真希への想いに気づくんです。

 そして、柴咲コウを抱く時に、堀北真希の名前「お信」と柴咲コウを呼んでも良いか、とニ宮和也は尋ねるんです。

 これほど、物語の中心は私(主人公)だから、を体現しているシーンはないのに、画面には堀北真希は映っていないし、映画の中でもまとめれば十五分くらいしか、出番はありません。
 そういう点で、少女漫画的なお約束を裏切っています。

 また、副題で〈男女逆転〉とある通り、女性の仕事は政治であり、とくに徳川八代目将軍の柴咲コウはそれにしか興味がありません。

 逆に男たちの役割は如何に柴咲コウに取り入るかしかなく、日常の仕事は掃除や食事を運ぶこと、そして、政治的に柴咲コウに近い男に好かれる為に、自分の体を差し出したりしています。

 BL的な空間のオンパレードなんですよね。
 また、女性とのセックスは子種を植え付け、女性たちの生きる目的を与えるもの、となっているので、なんか、セックスシーンが基本、義務的というか、淡泊です。

 まとめます。
「大奥〈男女逆転〉」は「女の子なんだから」「女の子だからよね」という、本来の欲望とは反転している世界です。

 その反転している世界で、なお男らしくあろうとする主人公、ニ宮和也の行動はスカッとすると同時に、男性が女性社会のドロドロを生きるとしたら、こういう行動をとる他ないよな、とも考えさせられます。

 また、政治にしか興味がない徳川八代目将軍の柴咲コウは逆転と言う意味では男らしいキャラクターであるはずですが、終盤では、「私も女だった、ということだ」と認めてしまうシーンもあります。

 与えられた役割(欲望)が逆転しても、男の変わらない部分、女の変わらない部分を描ききった名作として、2010年の重要作品を「大奥〈男女逆転〉」にしたいと思います。

【2010年 実写化映画】男女を逆転してもたどり着く結末は一緒。

『倉木』

 面白そうやな大奥。さすが説明上手や。
 ネットフリックスで見てから色々言いたいが、これ以上睡眠不足になったら仕事でヘマしそうでこわい。

 視聴前の僕が興味深いと感じてるのは、男女逆転という要素やな。
 物語が地味だったり意外性がなかった場合、逆転させるという手法がある。
 性別や年齢や性格を逆転させるだけで、同じストーリーでも違った面白いものにできる手法ですね。
 恋姫無双も三國志を女性にするという手法でヒットしたゲームやったし、この男女逆転要素が好きな人に対して、オリジナル作品からなにかが逆転して成功した映画もオススメしていける気もするね。

 そして、原作漫画から実写化にあたり、逆転させてはいけない要素を逆転させて失敗するパターンもよくある。
 そういった反面教師作品のオススメする足がかりにもなりそうやね。

(※郷倉が返信を考えている間に倉木さんから再度、メッセージ)

『倉木』

 視聴した。重要作品という点では異論ないかも。

 漫画原作で、失敗しやすい要素をとりいれた上で成功した作品だと感じた。
 成功しているにも関わらず、うーんって個人的に感じるところはあったけどね。

『郷倉』

 今、返信を考えている最中でした。笑
 ありがとうございます。

 僕も、うーんって感じる部分はあるのですが、少女漫画原作の実写映画というラインで見れば、重要かな? というやや曖昧な評価になっています。

 あと、2012年に「大奥 永遠[右衛門佐・綱吉篇]」が公開されています。原作はよしながふみですが、「大奥〈男女逆転〉」と同じ設定でありつつ、独立した物語として見ることができました。

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 あらすじはあえて、引用しませんが、堺雅人が大奥の中での異物として立ち回っていく、構造はとても良かったです。
 堺雅人は本当に一癖も二癖もあるキャラを演じさせると光りますね。ただ、映画の内容が政治的かつ女性の仄暗い部分がメインである為に、映画としては地味で、動きのない画になっていました。

 倉木さんのおっしゃる逆転という視点は、僕自身あまり注目している訳ではなかったので、新鮮な意見でした。
 逆転させて失敗するパターンも分かります。

 あまり、逆転要素のある作品を見てきていないで、言い切ることはできませんが、逆転してもたどり着く結末、テーマは一緒、というような作品は優れた名作と呼べるのかも知れない、と思います。

『倉木』

 個人的に、うーんって感じたところが改善されてる作品が、令和に近づくにつれてでてきてほしい。

 なんにせよ、この大奥の設定は、見事なSF要素やと思う。SF時代劇と考えたら、銀魂よりもちゃんとSFしてらぁ。

 あと、時代劇っていうジャンルは、特撮よりも歴史が長いので、邦画としても強いね。
 実写化にあたり、原作のイメージへ寄せるにつれて、コスプレ感が出る場合も多い。なのに、時代劇が関わることで、漫画よりも実写化されたほうが現実的にさえなる。
 この視点は、るろうに剣心の成功理由と共通してそう。

 さらに、設定がいいからイケメンを揃えても納得やし。性を取り扱ってて下品にならないのならば、アイドルを主演にしても問題ないよねって映画でした。

 大奥の続編は、ネットフリックスにないなぁ。

『郷倉』

 個人的に、よしながふみの「大奥」に関しては、性を神聖なものとして描いていない部分が良かったと思っています。

 性っていうかセックスって結局、下品で、結構やばい行為だよね。けど、それから逃げられないんだよなぁ、が「大奥〈男女逆転〉」と「大奥 永遠[右衛門佐・綱吉篇]」にはありました。
 そして、実は「溺れるナイフ」までの少女漫画の実写映画にも、繋がるテーマはそこにあるような気もします。

 令和に近付くにつれて、辛く苦しい現実を描く作品が減っていくような印象を僕は思っています。
 惡の華は、まだ観ていませんが、おそらく傑作です。
 ただ、そこに至るまでには「るろうに剣心」が受けてしまったが故に、テーマとかいらなくね?病にかかって、とりあえず、観ている人を心地良くしよう、に舵を切ってしまっている印象が僕にはあります。

 なので、僕はこと漫画の実写映画に関しては2010年前半の方が熱く語っている可能性があります。

“編集後記”

 【郷倉】 編集の中で削りましたが、僕と倉木さんの間で喧嘩が何度も勃発しました。出会って十年くらい経ってますけど、喧嘩したの初めてじゃないかな?

 【倉木】 掲載日を先送りにする過程で「対談をしながら、他人様が読める対談に編集していくのは、アクセルとブレーキを踏みながら進むぐらい無理です」と郷倉くんに言われました。あのとき、『ヒール&トゥ』というドライビングテクニングがあれば可能だよ、と返信しようとしていました。そんなことを言ってたら、また喧嘩になってたかも。

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さとくら
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