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映画「グッド・ストライプス」を通して考える父と息子の「素晴らしき平行線」。

 僕が初めて結婚って良いものかも知れないと思ったのは、岨手由貴子監督の「グッド・ストライプス」という映画だった。


 お話は交際して四年、お互い別れることを考え始めたカップルが、彼女の妊娠をきっかけに一緒に住み、結婚の準備をはじめる、というもの。育ちも考え方も違う二人が干渉しすぎず、けれど、離れすぎずに日常を歩んでいく。グッド・ストライプスの意味は「素晴らしき平行線」。

 最近、改めて主演の俳優へのインタビュー「菊池亜希子が求める“深化” そして手にした結婚についての教訓を読んで、その中でタイトルの意味が「互いの価値観を無理に交わらせるのではなく、共に歩んでいくこと」だと知った。
 個人的に平行線であり続けるのもしんどいんじゃないか、と思わないでもないが、「グッド・ストライプス」の内容で考えると、お互い自分の交友関係は結婚しても継続していた。この交友関係が平行線でありつつ、パートナーが自然と自分の中に席を置いていて、独身時代とは異なった関わり方になっていく。

 この辺の感じは最近、結婚した身としてはよく分かる。一人暮らし時代、独身時代をなんと呼んでも良いけれど、当時は熱を持って語れたことが、今は白けた気持ちになることが増えた。
 要因は幾つもあるのだろうけれど、「素晴らしき平行線」はそれでも互いに影響を与え合う関係性にあるのだろう。僕自身、妻の影響は自覚的、無自覚的どちらも強く受けている実感はある。

 この影響の一つに妻が自分の親と関わってくれる、というのがある。
グッド・ストライプス」の二人は実家や親とあまり上手くいっていない。生まれてからずっと関わる親。だからこそ、言えなくなってしまったこと、反撥してしまうことが蓄積されてしまう。
 けれど、結婚相手からすればパートナーの親であり、他人だ。それ故に上手くやれてしまったり、本人が言えないことを軽く言えてしまったりする。
 僕が「グッド・ストライプス」を見た時、感動したのはここにあった。結婚すると、パートナーと自分の親の関係性が望むと望まぬに関わらず始まる。そして、それが自分と両親の関係において良い方に転ぶ。

 正直、僕は妻とうちの父を関わらせたくなかった。母は良い。おそらく仲良くなれると思っていた。実際、同棲をはじめてすぐ母に妻(当時は彼女)を紹介した。
 ただ、父は違う。彼は妻に失礼なこと、気が緩んだようなことを言い出す可能性があった。僕はそれを許す気がまったくなかった。妻(当時は彼女)にも口酸っぱく父とは仲良くならなくていいし、不快な言動したら我慢とかせずに言ってほしいし、この先会いたくないと思ったらそうするから、と言い続けた。

 なんなら、今も言っている。
 結果、妻はうちの父に対して身構えている。ただ、実際に父に会うと気さくで礼儀正しくするので、「良い人じゃない」と妻は僕に言う。
 確かに初対面の女性に対して突然、失礼な物言いをするタイプの人ではなかった。あくまで初対面の時は。

 これに関して、弟が分かりやすい表現をしていた。
「父はサイコロで、悪い目がでたら面倒くさいんだよね。で、その悪い目が六面中一つってわけじゃないっていうのが厄介で、俺は会う度にギャンブルしているような気持ちになるよ」

 正確には父の中に父なりのルールやロジックがある。
 サイコロのようにコロコロと言うことを変えているわけではない。ただ、傍目から見れば弟の表現は同意できる。
 と同時に、おそらく父自身が、僕たちに距離を取られていることは感じていて、だからこそ、新しい関係性としての僕の妻や弟の奥さんには良い人であろうとしているのも分かる。
 妻の中で僕の父は「良い人」で、今のところ父の頑張りは報われている。

素晴らしき平行線」が「互いの価値観を無理に交わらせるのではなく、共に歩んでいくこと」であり、それを父と息子に当てはめて良いのなら、僕らの価値観はこの先交わらず、しかしお互いに「良い人」であり続けられることを望みたい。

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