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日記 2020年4月 不健全な日常が続く中での物語の役割。

 4月12日(日)

 朝、雨が降っていることに気づいて気分が落ちる。
 もう4月なのに、全然暖かくならない。
 寒い。
 布団に入りたいのを我慢してnoteのアカウントを作る。
 自己紹介と日記を載せる。
 使い方がいまいち分からない。ついでに、ツイッターのアカウントも作るけど、誰をフォローすれば良いのか分からない。
 続けていれば、その内に分かって来るだろうと思って、ハイボールを作る。寒いのに、氷を山のようにグラスに入れる。
 時々、自分は救いようのない馬鹿な気がする。
 カクヨムに載せている「あの海に落ちた月に触れる」という短編小説に「夜景や風の表現の仕方とか、境内で吸えもしない煙草を大人ぶって吸うシーンの描き方とか、幼馴染との微妙な関係についての葛藤とか、どれもまったく無駄がなく、それでいて味のある文章になっているような気がします。」とコメントをいただく。
 有難い。

 4月13日(月)
 
 今日も雨が降っている。
 気分は落ちたまま。
 今更アニメの『SSSS.GRIDMAN』を最後まで見る。

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 1993年から1994年にかけて放送された特撮ドラマを原作としたアニメーションでウィキペディアの情報によると、特撮を知らないアニメファンが、原作などの特撮を知る入口となる作品にすることが重要視されている、となっていた。
 特撮ドラマである原作が前提にあり、あらゆる縛りやこだわりの中で作られた作品であることは承知した上で思ったのだけれど、悩んでいるのは女の子ばかりで、男の子はたいして悩まないんだなぁということでした。
 本編で男の子が真剣に悩んだことは「自分は選ばれない」という一点でした。
 逆に『SSSS.GRIDMAN』で描かれる女の子が抱える悩みや葛藤は重く自分の存在理由を根底からひっくり返されるようなものでした。
 このギャップは何だろう? と思って、友人の倉木さとしにメールしたところ、『SSSS.GRIDMAN』は「新条アカネの物語だから」というLINEが届く。
 新条アカネという女の子が作った世界が『SSSS.GRIDMAN』である為、根本的に男の子が悩むという余地がない物語なんだと納得。
 けれど、特撮ドラマを原作にした作品で男の子に悩む余地がないのは、如何なものだろう? と思ってしまった。

『SSSS.GRIDMAN』を知らない方は意味が分からない話で、申し訳ありません。

 4月14日(火)

 朝方に尾崎世界観と千早茜の共作「犬も食わない」を最後まで読む。

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「みんなさ、いろいろなものを愛とか好きとか口当たりのいい言葉でおおって、見ないふりしてるだけじゃないかな。大輔はどう思う?」
 という一文が最後の方に出てきて考え込んでしまう。
 僕が書く小説はどこか「口当たりのいい言葉でおおって」、それが良いものなんだとしてしまう癖がある気がする。
 それは僕の経験不足や考えの足りなさから来る気がして、反省する。
 朝の七時を回ったころにベッドに入る。
 連休によって僕の生活リズムは完全に逆転していた。
 昼過ぎに起きて、ごろごろやっているとツイッターで「♯文字書き繋がれ」という物書き自己紹介リレーのようなものが回ってくる。
 それを作っているうちに夕方が過ぎて、夕食を作る。
 なんとか昼寝をせずに過ごせそうだと安心して、二十三時頃にベッドに入る。明日は五日ぶりの仕事だった。
 しかし、二十五時過ぎに一度目がさめて、しばらく眠れなくなる。更に、この連休中、ほとんど部屋にいたにも関わらず、左足の筋がずきずきと痛む。
 どういうことだろう?

 4月15日(水)

 五日ぶりの職場だった。
 気持ちとしては、徹夜明けの出勤だった。
 実際には断続的ではあるが、四時間は寝ている。
 職場に行くと温度計を借りて体温を測る。熱はない。
 仕事もない。
 本当にびっくりするくらい仕事がない。
 僕が本来、やっていた仕事はクローズしているので、新しい仕事のスキルを取得する研修中なのだが、その仕事がコロナのせいか、まったくない。
 研修として成り立っていない。
 夕方すぎに眠すぎて、後輩と目を合わせて苦笑いを浮かべるレベルだった。
 後輩は友人と音楽を友人とやっていて、その友人二人は現在、仕事がなく、出勤もできず、給料もでないらしい。
 仕事はなくとも、出勤できて、給料もでるのなら、それで良いのかも知れない。
 家に帰って、カクヨムのエッセイに届いていたコメントに返信した後、すぐさまベッドにもぐりこんだ。

 4月16日(木)

 ぎりぎりまで寝ると思ったが、本来起きるべき時間よりも一時間早く起床。
 部屋が寒い為、コートを着こんで出るが通勤中は少し暑く感じる。
 本日も仕事はないが、職場の性質上、人の生活に関わる部署がある為に、センターを閉じることはできない、らしい。
 僕たちが本来働いていた部署はクローズしている訳だけれど、緊急事態宣言が解除されれば、業務は再開されるのか上司に聞いてみる。
「今は、本当になんとも言えないな。もしかすると、二年間くらいはこの状況が続くかもねって話が出てるよ。そんな訳ないけどね」
 と上司は笑ったけれど、二年間は日常が戻ってこないかも知れない。その予想は少し的を得ている気がして、笑うに笑えなかった。
 その後、今スキルを所得している部署の人たちを集めたミーティングに呼ばれる。
 お世辞にも広いと言えない会議室に九人の人間が集まって、あーだこーだと喋っていて、この状況の方が不健全なのではないか、と思う。
 夕方に緊急事態宣言の範囲が全国になるニュースを見る。
 両親や弟の仕事はどうなるのだろう? と心配になった。
 夜、家に帰ってツイッターを見るとライター・エッセイストの生湯葉シホさんが離婚したとツイートされていた。
 社会的に大きな出来事ではないけど、自分でも意外なほどビックリしてしまった。
 少し時間を置いて考えてみると、生湯葉シホさんのnoteの記事「けんかして思ったこと」が好きで何度も読み返していたからかも知れない。

 4月17日(金)

 緊急事態宣言の影響で金曜日が休みになったので昼前まで寝ていたら、インターフォンが鳴り荷物が届いた。
 母親から食料物資だった。
 その中にはマスクも入っていた有難い。
 昼過ぎに業務用スーパーと薬局へ行き、外出をしなくても良いだけの食糧などを購入。帰宅してスマホを開くとカクヨムに載せている「あの海に落ちた月に触れる」にコメントが届いている。
「明日の夜にツイキャスで朗読をする予定なのですが、郷倉さんの本作をお借りしても大丈夫ですか? 1話分読みたいと思います」
 と書かれていた。
 ツイキャスで僕の作品を読む?
 初めての話で戸惑うも、断る理由もとくになかった為「大丈夫です」と返答。
 休日なので、部屋のあれこれをしつつ「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ゼロ)」と「山里亮太の不毛な議論」を聞く。
 佐久間宣行が「自宅待機が2週間続いて身体よりも心の方が疲れてくる頃」と言っていて、確かにそうだなと思う。
「そんな時こそ、お家エンタメです」と続けてもいました。
 同意的な気持ちと共に、書評家の豊崎由美が「テキストを読むっていうのは意外なほど頭を使うので、体や心が弱っていたり、直近の金策に悩んでいるような精神状態では楽しめないと思うから。読書が“負担”になるケースもある」と書いていたことを思い出す。
 小説だけでなく、漫画もアニメも映画もドラマも楽しめる精神状態というのはあって、そうでない時に見ると逆に苦しい思いをする場合がある気がする。
 少なくとも、僕にはそういう時期があった。
 だから、今お家エンタメを楽しむのであれば、何度も見て親しんでいる物語の方が良いのかも知れない。
 
 4月18日(土)

 朝、少し雨が降っていたけれど、部屋を出る頃には止んでいた。土曜日に職場に出勤するのは、ほとんど1年ぶりだった。
 電車の時間が違うと思って、少し早く出る。
 駅にも、電車の中にも人は少ない。
 職場へ行って、席について回される仕事はない。
 今の僕は何もしないを売りに出している商人みたいだ。
 けれど、そんな妄想も5分と経たず飽きる。
 上司に見つかったら、怒られるかなぁと思いつつ、noteの記事を延々と読む。
 チョコアという方の記事を最新のものから順番に読んで行き、一番最初に書かれた記事「【書評】東京を生きるさびしさ。つよさ。 雨宮まみ『東京を生きる』」に行き着く。


 全部、面白かった。
 小説を書いてらっしゃる方で、新潮新人賞に応募されているみたいだった。読んでらっしゃる作品も分かる分かる、と頷くものや、読みたかったものなどが並んでいて、おこがましくも感性や触れてきたものが似ている方だなぁと親近感が湧いた。
 時間ができたら、スキとコメントも書いて行けたらと思う。
 とくに何もしていない仕事を終え、家に帰り、夕飯を食べた頃に昨日「あの海に落ちた月に触れる」にコメントいただけた方のツイキャスがはじまった。
 自分の作品が朗読される、という体験は初めてで新鮮だった。


サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。