【小説】西日の中でワルツを踊れ④ 死者は最も弱い他者です。口も利かず、動きもしない。
久我家は神社を下りた駐車場の奥に一軒家だった。
隣接した家もあって「あちらにも久我家の方が住んでいるんですか?」と尋ねた。
「よその家」
と朱美が口もとを緩めた。
「まぁ、御近所付き合いはよくしているから家族みたいって言えば、そーかもね」
「なるほど?」
玄関に入って、すぐに傘立てが目に止まった。
普段見る傘よりも小さめでピンク色の取っ手の可愛らしい傘を前に、とくに考えもなく口を開いた。
「お子さんがいらっしゃるんですね」
「そーだよ。私の子」
朱美があっさりと答えた。
人は見かけによらないなぁ、と思いつつ靴を脱いだ。
居間に通されると中央に大き目のテーブルがあった。
その周囲には座布団が綺麗に並べられていて、そこにぼくと紗雪は並んで座った。
朱美がお茶を取りにキッチンへ引っ込んだ。
「ちなみにですけど」
と紗雪が言った。「朱美さんの年齢で、遥ちゃんくらい大きな子がいるのは、普通じゃないですから。特別です」
「そうなの?」
遥というのが朱美の娘の名前らしい。
「はい」
と紗雪がしっかりと頷くので、ぼくはよく分からず頷き返した。
ふと、戸棚等に目を走らせると、そこには家族写真があった。朱美はすぐに見つかった。
そして、その隣に十歳に届かないくらいの女の子がピースサインをしているのが分かった。
朱美の見た目は大学生か二十代前半だ。
その彼女に十歳くらいの娘がいる。
紗雪の言う通り、それは普通ではないことなのだろうが、深く事情を尋ねる前に朱美が戻ってきた。
手には紅茶のポットと人数分のカップ、クッキーやチョコレートの入った菓子器の乗ったお盆があった。
「常備しているお菓子で悪いんだけど、お茶請けにして」
「ありがとうございます」
とぼくは頭を下げた。
それから紗雪と朱美の他愛のない会話を聞きつつ、ぼくは出された紅茶を飲んだ。
紅茶とクッキーは町を歩き回って疲れた体には染み込むような美味さがあった。
十五分ほどが経って、話が一段落して紗雪が本題を口にした。
「それで、朱美ちゃんが『見て』ほしいって言うのは珍しいよね。というか、初めてじゃない?」
「うん。正直、紗雪ちゃんに頼るのには抵抗があるんだけど。でも、そうも言ってられない状況っぽくてね」
「その状況って?」
紗雪が言った時、ふと隣のぼくを見た。
その視線に釣られて朱美もぼくを見た。
「あ、西野くん。紗雪ちゃんの力、知らないの?」
朱美に言われて、ぼくは首を傾げる。
「紗雪、さん、のちから?」
そこで、ぼくと紗雪の視線がぶつかった。
紗雪の表情には間違いようのない困惑の色が混ざっていた。
「あ、ぼくは知らない方が、良いことなら」
外に――、
とぼくが続けるよりも前に「いえ」と紗雪が制した。
「ちゃんと、説明します。ただ、あまり人に説明をしたことがないものですから。少し、戸惑ってしまって。大丈夫です、ここに居てください」
「はい」
と、ぼくは頷いた。
朱美は眉を寄せて何か言いたげな表情を浮かべていたが、口は噤んだままだった。
「私には特別な力があります」
言って、彼女はしっかりとぼくの目を見た。「それは、他人を通して死者を『見る』力です」
「見る?」
死者、つまり幽霊が紗雪には見える?
でも、他人を通して?
「少し、正確な言葉ではありませんでしたね」
と、紗雪が申し訳なさそうな表情で訂正した。「私は町中に漂う幽霊は見えませんし、心霊スポットに行って特殊な体験をしたこともありません。気分は悪くなったりはしますけど」
言って、紗雪が僅かに笑った。
たった二回、口を開いただけで紗雪が自分の持った力を良く思っていないことはひしひしと伝わってきた。
紗雪はそこで朱美の方に視線を向けて
「私が『見る』のは、あくまで他人を通しての死者です。その条件は、名前を知っていること。例えば、朱美ちゃんが名前を知っていて、亡くなっている人を思い浮かべてくれれば、私はその死者を『見る』ことができます」と言った。
「例えば、小学三年生の時に担任のを池田先生、とかだね」
からかうような声で朱美が言った。
「下の名前は?」
「え?」
「フルネームじゃないと私、見れないからね」
「えーと、しんぞう? しんざぶろう? そんな古めかしい感じだった気が、」
朱美が誤魔化すように笑った。
「それだと、ほんのちょっと見えるかどうかかな」
紗雪も釣られるように笑って「それと、もう一つ」と続ける。
「私は死者と『会う』こともできるんです」
「会う?」
「もちろん、こちらも他人を通してです。そして、会える死者は限られています。その死者が生前深く関わり合っていた人物。背後霊、守護霊とニュアンスは一緒だと思ってもらって構いません。死者が憑いている人は『見る』んじゃなく『会う』ことが私にはできるんです」
浮かんだ疑問をとくに考えもなく口にした。
「会うって言うのは、どういうことなんだろ? 触れ合ったり、話をしたりすることができるってこと?」
「できます。時間にリミットはありますし、触れ合う感触も現実とは違いますけど」
「すごい」
素直な感想だった。
朱美が補足とばかりに口を開く。
「凄いのは、それだけじゃなくてね。紗雪ちゃんは『会う』死者と、それを通している他者を『会わせる』こともできるの」
「会わせる?」
と、ぼくは朱美の言葉を単純に繰り返した。
紗雪が朱美の説明を汲むように、口を開いた。
「私は他人を通して死者と『会う』訳ですけど、この他人と私の立場を『会う』時だけは逆転させられるんです」
「つまり、紗雪さんだけでなく、普通の人と、その守護霊的な濃い繋がりを持った死者を『会わせる』ことができるってことですか?」
「その通りです」
と頷いてから、紗雪は誰の目も見ずに続けた。
「私の力を知った人は亡くなった大切な人ともう一度会う為に、私を頼ります。多くはありませんが、私はその人と死者を会わせます。
『会わせる』時、私はその人と死者の会話を知りません。生者と死者の間で、どんな邂逅があったのか私が知る限りではありませんが、死者と会った人はそれ以降、生きる力を失う例があります」
一間、置いてから紗雪は続ける。
「死者は最も弱い他者です。口も利かず、動きもしない。そんな当たり前が崩れることは、決して良い結果を生みません」
ぼくは内心で頷いた。
確かに死者と会える。
それだけのことで、今までの人類の歴史は根底から覆るほどの大事件のように思う。
紗雪の言うような良い結果を生まないのかどうかは、今のぼくには判断がつかない。
ただ、常識が根底から覆る感触だけは確かにあった。
「でもね、紗雪ちゃん」
と、朱美は柔らかい声で言った。
「私が、君の力をそれなりに良いと思っている理由は一つでね。『見る』のは生きている私たちで選べるけど『会う』のは死者が選んでいる、ってところだと思うんだよね」
なるほど、とぼくは頷いた。
「それにね。『会わせる』って言っても、選んだのは生きている側な訳だよね? なら、もう自己責任だよ。紗雪ちゃんは無理矢理、生きている人と死んでいる人を会わせている訳じゃないんだから」
紗雪はやや自虐的な笑みを浮かべた。
「そうだね。以前にも、朱美ちゃんから同じような話をしてもらったね」
「したよ。紗雪ちゃんは何でもかんでも背負おうとするんだから。しなくて良いよ、そんなこと」
「そうだね」
言いながら、紗雪は多分また同じように悩むのだろう、とぼくは思った。
自分だけが特異な力を持ってしまっているが故に、目の前で誰かが不幸になる度に、私がいなければ、と。
それは一種、過剰な思想なのだと思う。
しかし、紗雪はそれを考え続けずにはいられないのだ。
特異な力を自分だけが持っているから。