![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/44380233/rectangle_large_type_2_19828010928ec3a761eb8efee21bd404.png?width=1200)
日記 2021年1月 清潔な世界で「私が あなたの獣になってあげる」
1月某日
1月22日にツイッターのトレンドにて「国内2号店「ハードロックカフェ大阪」閉店へ 約30年の歴史に幕」という記事を見かけた。
ハードロックカフェを僕は知らなかったので、調べると「ボリュームある料理をロックを聴きながら楽しめるアメリカンレストラン」と出てきた。
そんな大阪にあるアメリカンレストランが1月末に閉店する。
理由はコロナウィルスの影響が背景にあるらしかった。
それを知った職場の後輩が「郷倉さん、俺一度は行こうと思ってたんですよ、ハードロックカフェ! なので、仕事終わりに行きませんか?」と誘ってきた。
仕事終わりに真っ直ぐ向かえば、ラストオーダーには間に合いそうで、緊急事態宣言が解除されるのを待って行こうとしても、その時には閉店している。
実際、今回を逃せば、僕は生涯「ハードロックカフェ」なるアメリカンレストランに行くことはないだろう。
そのような考えでオッケーした。
訪れたハードロックカフェの雰囲気はバーに近かった。
店内に入って、メニューの説明がなされた際に「お酒の提供はしていない」と言われた。緊急事態宣言を受けての配慮なのだろう。
僕と後輩はコカ・コーラとハンバーガーのセットとフィッシュ&チップスを頼んだ。
ハンバーガーをフォークとナイフで切って食べた。厚みのある牛肉を咀嚼している間に、なんとなく懐かしい気持ちになった。
なんだろう、と考えてみると、昔家族でこういうタイプのハンバーガー屋さん(だったかステーキ屋さん)に行ったような記憶が蘇ってきた。
多分、そこはハードロックカフェという訳ではないけれど、そういう異国の雰囲気のある店だったのだろう。
父は時折、そういう普段の日常では足を踏み入れないようなお店へ連れて行ってくれていた気がする。
それは食事というより、体験に近いなにかだった。
高校生くらいの僕は、子供の頃に父に連れていってもらった、その手のお店を思い返して、不思議になったのを覚えている。
子供の頃の意識なんて曖昧だし、記憶も安定していない。
なのに、どうして父は僕らを旅行や特別なレストランに連れて行ってくれていたのだろう。
高校生よりは大人になった今、僕が思うのは子供の頃の記憶は曖昧で、おぼろげにしか思い出すことはできない。
けれど、子供の舌はその時に食べたものを結構しっかり覚えていて、また肌で体験した空気というのもどこかには残っている。
そんな気がする。
僕が認識できない頃の僕を作ったのは父であり、母であり、弟だと思う。あるいは、母方のお婆ちゃん、近所に住んでいた年上のお兄さんたち、住宅地で突然仲良くなった男の子……。
僕は、そういう色んなものからはじまっている。
1月某日
最近、気づいたこと。
ネットで「犬を飼う人ほど「不幸を遠ざける」科学的根拠」という記事を見かける。
読んでみると「逃げるは恥だが役に立つ」の新垣結衣が演じた、みくりの言うところの「『可愛い』は最強なんです。『かっこいい』の場合かっこ悪いところを見ると幻滅するかもしれない。でも『可愛い』の場合は何をしても可愛い、『可愛い』の前では服従、全面降伏なんです!」理論は愛犬にも通じるんだと納得した。
最近、気づいたこと。
日記を読み返していると、僕は職場の同期の女の子や後輩の男のの話をし過ぎなのでは? と思う。
そろそろ、何かの拍子にバレそうな気がしていて、書くのを控えたい。
とか、考えているくせに今回の日記の冒頭は後輩の男の子と「ハードロックカフェ」へ行く話って、矛盾している。
今後の課題にしたい。
最近、気づいたこと。
倉木さとしさんから「さんかく窓の外側は夜」の映画を観てきた、という報告のLINEをいただく。
平手友梨奈ファンの彼だから、感想は映画というより、平手友梨奈に対するものだった。
次なる作品では、普通の女の子を演じてほしいと倉木さんは言っていた。
平手友梨奈が次に演じるのは、岡田准が主演の映画「ザ・ファブル」の続編で、役所は「過去のある事件をきっかけに心を閉ざした訳アリな新ヒロイン・ヒナコ」とのこと。
普通の女の子を演じるには、まだ時間がかかりそうだ。
最近、気づいたこと。
缶チューハイの「男梅サワー」なるものが美味しいと言われていて、近所のスーパーにあったので購入してみる。
駄菓子的な懐かしい味わいで、美味しかった。
1月某日
吉川トリコの「おんなのじかん」というエッセイが面白い。
「女性=ピンク」という押しつけがいやなのはもちろんだけれど、個人的にはピンクという最高にハッピーでロマンティックな色を雑に扱われることに、より強い怒りを感じる。女が100人いれば、100通りの好きなピンク嫌いなピンク許せるピンク許せないピンク惰性のピンクどうでもいいピンクがあるんだよ! ピンクならなんでもいいと思ったら大間違いだからな! ピンクなめんじゃねえよ!
最高かよ。
また、最後に2019年のあいちトリエンナーレに出展されたモニカ・メイヤーの「The Clothesline」に言及しつつ、結論やこうすべきだ、という方向には進まず、あくまで吉川トリコ個人の価値観に着地するのも素晴しかった。
1月某日
村田沙耶香の「殺人出産」を読む。
文庫本で他に「トリプル」「清潔な結婚」「余命」が収録されていた。「トリプル」は村田沙耶香の対談だったか、朝井リョウと加藤千恵のオールナイトニッポン0でゲストに登場した際に、言及していたような記憶があった。
キスするなら二人より、三人でした方が自然なんじゃないか?
そんなことを村田沙耶香は言っていたような気がする。
実際、三人でキスするシーンとセックスをするシーンがあるんだけれど、この発想はどこから出てくるんだろう、と小一時間悩むような行為だった。
一部、引用させてください。
トリプルのセックスは、カップルのセックスとは全く異なる。誕生日が早いもの順に、『マウス』という役割を担う。
マウスとは、「口」という意味だ。と同時に、私たちの可愛いネズミ、という意味も含まれているのだと思う。
前回は五月生まれの誠がマウスだったので、今回は圭太の番だ。手が鳴ったら、私たちは言葉を発さない。
マウス役の子だけが服を脱いで、他の二人は着衣のままだ。そして、マウス役の子は、身体中の穴で、他の二人のありとあらゆるものを受け止める「口」になる。
まるで儀式のようだと思ったら、本文の中で「トリプル」は「マウスにするような儀式のような行為」と言及されていた。
そして、それが『正しいセックス』なんだと、視点人物の女の子、真弓は考えている。
古川日出男がパーティの場で高橋源一郎に言われたらしいのだけれど、人間社会を描きたいのなら、人間の視点からでは無理が出てきてしまう。
だから、人間ではない視点を用意して(例えば、動物)、小説を書くようになったのだと、古川日出男が対談か何かで語っていたのを見かけたことがある。
つまり、『正しいセックス』を描こうとした時、別の『正しいセックス』の方法を提示し、今回で言えば「トリプル」と比較し描いてみる必要が出る、ってことなのかも知れない。
実際、「トリプル」の真弓は最後に友達の「カップルのセックス」を目撃し、ショックを受けてしまう。
「おぞまし」い「不気味な行為」だと、真弓は言い、二人の恋人を呼び出して、『正しいセックス』をして「私を浄化して」ほしいと懇願する。
トリプルのセックスのあと、恋人が以下のように言う。
「大丈夫。真弓は清らかだよ。きっと、真弓も、お母さんも、友達も、三人とも清らかなんだ。だから他人の清潔な世界を受け入れることができないんだ。それだけだよ」
この一文を引き出す為に「トリプル」という儀式のようなセックスが必要だったんだと思わせる力があった。
確かに清らかさ故に他人の清潔な世界を受け入れられないことってある。逆に言えば、世界の汚さを知っていくことで、受け入れられるものが増えているような気がする。
汚さ、と言うと少し語弊があるのかも知れない。
人間の複雑さ、というか、一筋縄でいかない感情や感覚を知れば知るほど、「そういうこともあるか」と思うようになる。ちょっと諦めに似ていて、けど、違うなにか。
前回の日記で、彩瀬まるの「朝が来るまでそばにいる」を読んだと書いて、今回が村田沙耶香の「殺人出産」で、今読んでいるのが井上荒野の「夜を着る」だった。
女性が書かれた小説を立て続けに読んでいる。
上手く言える気がしないけれど、僕が今面白いと感じる人たちは、そういう作家さんのようだ。
1月某日
「窮鼠はチーズの夢を見る」の映画を観る。
さきほどの僕は「人間の複雑さ、というか、一筋縄でいかない感情や感覚を知れば知るほど、「そういうこともあるか」と思うようになる」と書いたけれど、そういう前提とか関係なく、「清潔な世界」は清潔だから、って力押しで見せられる映画だった。
まず、監督が行定勲で、「きょうのできごと a day on the planet」や「世界の中心で、愛をさけぶ」から分かる通り、映像美はとんでもないレベルで、心理描写に関しても「パレード」「劇場」なんかを見れば、ずば抜けているんだから、「窮鼠はチーズの夢を見る」も同等、それ以上のレベルに達している。
所作の一つ、道具の使い方一つで、登場人物の感情を表せるんだと何度も感動した。
今ヶ瀬渉を演じた成田凌のちょっとかすれた喋り方と、タバコの吸い方が映画内で描かれなかった彼の人生を物語っているようでもあって、狂おしいくらい好きだった。
そして、その(ゲイとしての)蓄積が、かすかに見え隠れするからこそ、大伴恭一(大倉忠義)がちょっと臆したり、躊躇してしまうのも良かった。
恋愛豊富な年上の女性と付き合った時、こういう感情に陥るんだよなぁ、とか考えていたから、僕は本当に普通の恋愛映画として「窮鼠はチーズの夢を見る」を見た。
それが、たまたま男同士だっただけで。
あと、原作のタイトルが『窮鼠はチーズの夢を見る』『俎上の鯉は二度跳ねる』なんだけれど、このタイトルの付け方がむちゃくちゃ好みだった。
なんとなくのイメージだけど、BL(ボーイズラブ)レーベルの漫画って、この手の文章というか、ちょっとことわざに近い、複数の意味が読み取れる作品が多い気がする。
気のせいかな。
『窮鼠はチーズの夢を見る』はBL(ボーイズラブ)レーベルではなく、レディースコミック誌で連載されていたようだけれど。
1月某日
土曜日。
朝から映画を観に行こうと思っていたのだけれど、昼過ぎに起床した。
遅めの朝食をとって、少ししたら眠くなったので、また寝た。
起きたら夕方だった。
土曜日を有意義に過ごせたことが本当に一度もない。
疲れ果てていて、何をしてもまったく集中力が続かない。
部屋の家事をしつつ、音楽を聴く。
Siaの「Chandelier」のMVを見てから、気になってしまって最近はSiaを聴いているんだけれど、その流れなのか、自分でも良く分からないが、ビリー・アイリッシュもプレイリストに入れている。
調べてみると、ビリー・アイリッシュは2001年生まれで、ふと気になって確認すると、平手友梨奈も2001年生まれだった。だから、なんだと言う話だけれど、僕の中で二人は同じカテゴリーに入った。
ビリー・アイリッシュに関するコラムなんかを読んでいると、以下のような文章にぶつかった。
暴力すらも駆使して自分をコントロールしようとする相手に向けて〈私はこんなことでは支配されない〉という強いハートを描いている「バッド・ガイ」
「心地良いのよね あなたに主導権を握られていると たとえ 私はあなたのものじゃないって あなた自身が分かっていても その役をあなたに演じさせてあげる 私が あなたの獣になってあげる」
この格好よさは何なんだろう。
しばらくSiaとビリー・アイリッシュを聴いていようと思う。
外に出て少し、住宅街を抜けた先にある薬局とスーパーへ向かった。完全に日は落ちていて、寒かった。マスクをしていて、眼鏡が曇った。
なんとなく鬱陶しく思って、眼鏡をコートのポケットに突っ込んだ。
裸眼で夜の町を歩くと、外灯やマンションの光がぼやけて水の底を歩いているような気分になった。
いいなと思ったら応援しよう!
![さとくら](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/86257708/profile_b9f347ca4b9b6a87b857dc15e27cf245.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)