ナインティナインから学ぶ家の地下室に潜む腐臭を放つトラウマとの向き合い方。
少し前ですが、ナインティナインの岡村隆史が結婚しましたね。今回はその話をさせてください。
僕は四月の岡村隆史のラジオでの不用意な発言から、翌週の矢部浩之が乱入して行われた公開説教を聞いて「ナインティナインのオールナイトニッポン」のリスナーになりました。
すごく簡単に言えば、僕は矢部浩之の公開説教に感動したんです。
どの部分に感動したのか、を語る上でまず思い浮かぶのがオードリーの若林正恭の言葉です。
南海キャンディーズの山里亮太とやったライブ「さよならたりないふたり」の最後に若林が「人間は常に新しい環境の新人です」と言っていました。
足りない足りていない以前に、常に我々は足りないんだ、と。
新しい環境、立場に立てば当然、そこに順応する必要が出てきます。けれど、逆に言えば新しい環境へと足を踏み入れなければ、人は新人にならなくても良くなります。
最近、ふと思い出してぞっとしたのですが、父親が僕と弟を早く結婚させたいと思ってなのか、自分の奥さん(僕らから見れば母)の自慢をしてくることが増えました。
それ自体は別に構わないのですが、「料理なんて、未だに出来ないからな。全部、母さんがしてくれるからな」と出来ないことを誇らしげに言っていて、あ、やばい人だ、と普通に思いました。
けれど、父親からすれば、それが当たり前の環境で、母との関係が続く以上は料理に関する新人にならなくて良い訳です。
そういう環境を当然だと受け入れている父に対し、それが彼の人生なんだと思う反面、危うくも感じます。
還暦を迎えた父が、もし仮に新しい環境へと足を踏み入れた時、自分を新人だと受け入れられるのだろうか。
世の中には、その時にならないと分からないことで満ち溢れているけれど、しておいた方が良いことって絶対あるから、お父さま、料理は自分でも出来るようになっておこう、まじで。
話を戻して岡村隆史の不用意な発言の背景について簡単に整理しつつ、彼の結婚に関して思ったことを書かせてください。
「ナインティナインのオールナイトニッポン」がはじまったのが、1994年でした。その後、2014年に矢部浩之が抜けて「岡村隆史のオールナイトニッポン」がはじまりました。
不用意な発言があった時、岡村隆史で一人ラジオをしている状況にありました。
ラジオは公共的な電波ではあるにしても、それを聴くリスナーは岡村隆史を好きな人たちで、リスナーが好む話題や、盛り上がるネタといった内輪的な蓄積があったように思います(そして、僕自身その内輪的なノリについていけず、毎週は聞けずにいました)。
浅田彰の「逃走論」で、「人間にはパラノ型とスキゾ型の二つがある」と定義しています。パラノ型は「偏執型(パラノイア)のことで、過去のすべてを積分=統合化(インテグレート)して背負ってるようなことをいう」そうで、基本的な行動は《住む》ことなんだそうです。
この《住む》ことの問題点として浅田彰が書いているのは、「家の地下室あたりでは、必ずトラウマってヤツが、大昔のふかーい心の傷あとが、腐臭を放ってるんだ」というものです。
どんなコンテンツであっても長く続けばこの地下室のような場所はできてしまうのだと思います。
それと如何に上手く付き合っていくのか、あるいは解消していくのか、というのが長く続くのコンテンツの命題になっている、という印象を僕は抱いています。
そんな見方で岡村隆史の不用意な発言に目を向けると、その場だけの問題ではなく、大昔からあった腐臭を放つ何かがあって、それが露見したように見えてきます。
そして、実際に不用意な発言の後の矢部浩之の公開説教にて、「ナインティナイ」のコンビとしての問題点が以前からあったことが明かされていました。
不用意な発言があった時、あらゆる記事やブログ、ツイッターで岡村隆史の問題点が指摘されていました。しかし、その中で「ナインティナイ」というコンビに問題があった、と語られているものをありませんでした。少なくとも僕は、そういう記事を読みませんでした。
発言自体は岡村隆史の問題で、彼だけのものではあるんですが、ナインティナイの「岡村隆史」というタレントを形成させる要素は彼個人だけではない為に、あの発言は岡村隆史とその周囲にいる人の問題だと考えられます。
そして、その問題を矢部浩之は公開説教として、またその後のラジオの復活という形で、背負おうとしている印象がありました。
僕は矢部浩之のそういう姿に感動し、また脈々と続く地下室にあるトラウマとも向き合おうとしているようにも思えて、「ナインティナインのオールナイトニッポン」を毎週聞くようになりました。
今回の岡村隆史の結婚は一つの区切りのように感じます。この区切りによって岡村隆史が変わり、またナインティナインというコンビがどのような方向へと進んでいくのか、僕はそれがとても楽しみです。
同時に、僕が思ってしまうのは父親のことです。
ここ数年、父親と一緒にお酒を飲みながら、一人の人間として彼の地下室はどこにあるのか、そして、その問題はどのようなものなのか、について考え続けています。
いつか僕は父親が抱えた地下室にあるトラウマと向き合う瞬間が訪れるのかも知れません。
その時がきた時、目を逸らさないでいようとだけ決めています。
サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。