人を愛そうとすることで傷つけてしまう瞬間について。村上春樹の「蛍」とホモソーシャルな社会。
村上春樹の「蛍」という短編小説をご存じですか?
「ノルウェイの森」の元になった短編なのですが、2015年の冬の文藝で森泉岳土によって漫画化されています。
16ページにまとめられた蛍の漫画は見事で、必要な説明は簡潔にまとめられ、彼らが散歩する町並みや景色が印象的に描かれています。
落ち葉で溢れた道、雪が積もった公園。
ページをめくるごとに季節を巡っていく構成。
本当に素晴らしい漫画です。
個人的にとくに良いと思ったのは、彼らの散歩のシーンでは必ず彼女が先を歩いていることでした(ワンシーンだけ二人が隣り合って歩くシーンがあります)。
蛍という物語は言ってしまえば、そういう物語です。
物語のラスト一文にもそれは表れていますので、引用させてください。
僕は何度もそんな闇の中にそっと手を伸ばしてみた。指は何にも触れなかった。その小さな光は、いつも僕の指のほんの少し先にあった。
ほんの少し先にあったのは去っていってしまった彼女の比喩ですね。
話をとても簡単にまとめさせていただければ、高校時代に仲の良かった友人が自殺し、その恋人と東京で再会し、デートを繰り返す。
彼女の誕生日の日に寝たことによって、遠くへ彼女が行ってしまった。
そういう物語です。
ノルウェイの森を読んだことがある人は彼女が「直子」で、高校時代の友人が「キズキ」と変換されると思うのですが、蛍に彼らの名前は登場しません。
直子は「彼女」、キヅキは「彼」です。
今回は「ノルウェイの森」ではなく、あくまで蛍という短編にのみ、スポットを当てて考えたいと思います。
ちなみに僕は前回、蛍とホモソーシャルについて書ければ良いなぁと思っています。
ホモソーシャルという単語をみなさまは御存知でしょうか?
僕はこの言葉を石原千秋の本から学んだ為、そちらの文章を交えつつ説明をさせてください。
ソーシャルは「社会構造」のことである為、男性中心社会をホモソーシャルと言います。
ホモソーシャルな社会では男たちが社会を支配しており、この男たちはあるやり方で男同士の絆を深めていきます。
それは「女のやりとり」です。ホモソーシャルの構図の中では、女性は「貨幣」のように男同士の絆を強めるためにやりとりされます。
つまり、ホモソーシャルな社会では「女性蔑視」の思想がベースにあります。
分かり易いのは、社長令嬢が優秀な社員と結婚するというものでしょうか。社長が優秀な社員に娘(女性)を渡すことで、彼らの絆は強まります。
ここで反論としてあるのは、女性から見れば「自分は愛し合って彼と結婚したのであって、決して貨幣のように扱われていない」であり、男性からすれば「彼女を貨幣のように扱った覚えはない」となります。
個人がそう考えるのは自由です。
しかし、「だから自分はホモソーシャルの構図に収まっていない」ということにはなりません。
これを前提に蛍を考えた時、彼が自殺したことによって、彼女が貨幣のように「僕」へと渡されたことになります。
少なくとも彼女が彼との思い出を共有できる相手は「僕」だけです。
その為に「僕」が彼女と寝た後、それでも一緒にいた場合、ホモソーシャルの構図に彼らは収まってしまいます。
蛍という短編は、言ってしまえば彼女がホモソーシャルの構図に決して収まらない、貨幣などになってたまるか、と抗う物語でした。
もっと言えば、対等だったはずの幼なじみの彼から彼女は物のように扱われてしまったことが許せなかった、とも読み取ることができます。
その枠組みを理解していないのが、蛍の主人公である「僕」でした。それ故に「僕」は蛍のラストで離れていく光に指先さえ触れられません。
恋愛に正しい相手がいるとすれば、それは「他ならぬこの私」を承認してくれる人です。彼女にとって正しい恋愛の相手は幼なじみの自殺してしまった彼だったはずです。
しかし、自殺してしまった彼は彼女のことを正しい恋愛の相手と考えていたのか。
考えていたとして、ではなぜ自殺してしまったのか。
それが分かる為には彼自身が語る必要があります(遺書がない以上、その機会は永遠に失われてしまったことになります)。
ちなみに、「村上さんのところ」という村上春樹が読者からの質問に答える本があります。
今回、該当箇所を見つけられなかったのですが、ある読者が
「ノルウェイの森のキヅキはどうして自殺してしまったのですか」
と質問をしていました。
村上春樹の回答は
「あの物語はキヅキがなぜ死んだのかを巡る物語じゃなかったでしたっけ」
という内容でした(うろ覚えです、すみません)。
「ノルウェイの森」の主題は「なぜキヅキが自殺してしまったのか」というものになります。それは「なぜ、直子が自殺してしまったのか」にも繋がる問いのようです。
こちらについては、また別の機会に語りたいと思います。
ホモソーシャルについても詳しく語れていないので、こちらもどこかで。