【小説】西日の中でワルツを踊れ⑩ 田宮由紀夫と川田元幸。どちらかの名前に聞き覚えってある?

前回

あらすじ。
記憶を失って入院している西野ナツキ。川田元幸という男を探す紗雪。ナツキの同室の空野有の同級生、田宮かの子が記憶喪失以前のナツキを知っていると言った。ナツキはかの子の言葉を確認するため、彼女の家を訪ねる。

 朝食を終えた後、しばらく有と談笑して病院を出た。かの子の家がある隣町へと足を向けた。

 病院前のバス停から四つ目が、かの子の家の近所らしいと有から聞いていた。
 その停留所に下りて、ぼくは田宮の家を探した。
 三十分か四十分ほど歩き回って田宮という表札の家に行きついた。
 高い壁で覆われた田宮邸のチャイムをぼくは躊躇なく鳴らした。
 やくざの人間と言えど、訪ねてきた人間を乱暴に扱ったりはしないだろう。

 甘い判断だったかも知れない。
 しかし、情報の少ないぼくには選べる選択肢は限られている。
『はい』
 とインターホン越しに、男の声が返ってきた。
「こんにちは、田宮由紀夫くんはご在宅でしょうか?」
『お名前は何とおっしゃるんですか?』
 名前? ぼくの?
「西野ナツキ、と言います。田宮くんはっ」
『ご用件はなんでしょうか?』
 ぼくの言葉を遮って、男は言った。
「ぼくは田宮くんの友達です。本人に聞いてもらえば分かります。田宮くんに繋いでもらえないでしょうか?」
『申し訳ありませんが、由紀夫様は家にはおりません。お帰りください』
「いつ帰ってくるか、分かるでしょうか?」
『お帰りください』
 しっかりとした否定の言葉を残して、インターホンが切れた。

 ある程度、予想していたとは言え、ここまで取り付く島がないとは思わなかった。
 しばらく田宮の家を見張るというのも考えたが、妙な誤解を向こうに与えるのは得策とは思えず、その場を後にした。

 ぼくが田宮のパシリだったのなら、顔見知りが周辺にいるかなと考え、寄り道をしながら岩田屋町へ向かって歩いた。
 可能な限り人通りの多い道を選び、声をかけられたりするのを期待してみたが、そんな人は現れず岩田屋町についてしまった。

 無自覚にため息が漏れた。
 朝から歩き通しだった為に空腹を覚えて、ぼくは見かけた喫茶店『コーヒーショップ・香』に入った。
 入るとすぐ両脇には漫画がびっしりと詰め込まれた本棚が並んでいて、それを通り過ぎるとカウンター席とテーブル席が四つ並んでいた。
 BGMは天井近くに設置されたテレビで、香りはコーヒーショップとありながらカレーだった。

 空腹を抱えているぼくからすると、カレーの香りは刺激が強かった。
 一番手前のカウンターに座ると、銀縁眼鏡をかけた若い男が
「いらっしゃいませ」
 と言って、お冷を目の前においてくれた。
 メニューを見て、カレーの並と食後のコーヒーを頼んだ。

 注文を聞くと若い男は「少々お待ちください」と言って、奥へと引っ込んだ。
 改めて店内を見渡すと、小さな本屋よりも漫画の揃えは良さそうだった。
 記憶を失っていても、見覚えのあるタイトルが幾つかあった。
 カウンターの端に一人の女性が座って漫画を読んでいるだけで、他にお客はいないようだった。

 ん? 
 と思って、もう一度、女性を観察すると久我朱美だった。
 ぼくの遠慮のない視線に朱美が気付いたのか、顔を上げた。目が合い、彼女がにっと笑った。

「あらぁ、紗雪ちゃんの彼氏の西野ナツキくんじゃない」
「こんにちは」
 頭を下げると、朱美は漫画と残ったコーヒーのカップを持って、ぼくの横の席に座った。
「記憶の方は戻ったの?」
「いいえ、まったくです」
「ふむ。手がかりも、相変わらずゼロなの?」
 そう言われて、ぼくは田宮のパシリだったらしい話をした。

「へぇ、ナツキくんってパシリだったんだ。まー、後輩キャラって感じはあるよね」
「そうですか? というか、それって褒めてませんよね?」
「ん? そんなことないよ、伸びしろがあるってことなんだから、褒めてる褒めてる」
 物は言いようという感じだ、と思いつつ本題に入った。
「それで、朱美さん。田宮由紀夫って名前に聞き覚えはありませんか?」
「んー、ないかな」
 じゃあ、と一瞬だけ躊躇した後に
「川田元幸って名前には?」
「川田元幸? んー、そっちもないかな。川田くんは、ナツキくんとはどーいう関係なの?」
「えっと、ぼくが行方を知っているらしい人です」

 そういえば、川田元幸も行方不明だ。紗雪はいつから彼が姿を消したのか言っていなかった。
 次に会った時に尋ねなければ……。
「ナツキくんが知っている人? どーいうこと?」
「分からないんです」
 朱美は、あぁと納得した。
「記憶を失っているから、そりゃあそーだよね。じゃあ、誰がその川田元幸をナツキくんが知っていると言ったの?」
「紗雪さんのお父さんらしい、です」
「ふーん。なに、じゃあ紗雪ちゃんが探しているの?」
「そうです。紗雪さんのお兄さん、らしいです」
「ん? 誰が?」
「ですから、川田元幸が」

 朱美が目を細めた。
「兄? でも、紗雪ちゃんの名字は川田じゃなかったはずだよ」
「へ?」
「井原紗雪。うん、そう。紗雪ちゃんの名字は井原だよ」
 名字が違う? 
 それでも兄妹であることは十分に有り得る。
 けれど、ならそれを紗雪が説明しなかったのは、何故?

 単純に忘れていただけ?
 それとも、意図的に避けていた?

 思考の泥に足を取られている間に、若い男が現れてぼくの前にカレーを置いてくれた。
「お待たせしました。……というか、朱美さん。どーして、席替えしてるんですか?」
「んー、どーしてだと思う? 守田くん」

 守田と呼ばれた若い男をぼくは改めて観察する。
 茶髪で銀縁の眼鏡をかけている。
 見るからに遊び慣れた感じはあるが間近にすると、若い男というか学生の印象が強かった。
 ニヤっと笑って守田が口を開く。

「合コンですかね! なら、俺も混ぜて欲しいっすね」
「子持ちが参加する合コンがあるか」
「ありますよ。つーか、子持ちでも、朱美さんは全然オッケーですよ、俺」
「はいはい」
 と朱美は軽く流すように頷くが、守田はへこたれない。

「ちなみに朱美さんは再婚の予定はあるんですか?」
「再婚って、あたしはまだ未婚だって」
「え? じゃあ、遥ちゃんは誰の子に……」
「いいでしょ? 大人には色々あんのよ」
「出た! 大人だから発言っ! 俺と朱美さんの間にそーいう、」
「はいはい、ホントもう良いから」

 朱美は話を遮った後に、ぼくの方を見て「ちなみに、守田くん」と言った。
「はい?」
「田宮由紀夫と川田元幸。どちらかの名前に聞き覚えってある?」
「ん? んー。どっちも男ですよね?」
「そーね。由紀夫って言う女の子が居たら、会ってみたいわね」
「じゃあ、知らないっすね。つーか、興味ないっす」

 清々しいほどあっさりと言った守田に対し、朱美は呆れ顔を浮かべた。
「守田くん、ホント。そーいうところ、素直よね」
「それが俺の美点ですからね」
「はいはい」

 では、と言って守田は奥の方に引っ込んでしまった。
「ナツキくん、力になれなくて悪いね」
 ぼくは首を横に振った。
「いえ、尋ねてくれてありがとうございます」
「うん。ナツキくん、カレー食べなよ。ここのカレー、美味しいからさ」
「はい」

 ぼくは手を合わせてからカレーを食べはじめた。
 朱美はコーヒーを飲みつつ、漫画の続きを読み始めた。

つづく


ツイッターの話題を見ると「ナンパ界隈」があった。今のナンパ界隈はビジネス界隈が繋がっていって云々という話が主な感じだった。十代の終わりから二十代前半まで僕はナンパ界隈のウォッチャーだった時期があるけど、あの頃はビジネスとナンパは距離があって、もう少し純粋に女の子と仲良くなりたい的な空気があって良かったのになぁ、と思ったり。最近、なんでもビジネスにしないと気が済まない空気を感じて息苦しい。

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