日記 2021年10月 この身体に「別な生き物を飼う」時、僕は「窓際」に近づくのか遠ざかるのか。
10月某日
2回目のワクチン接種の当日。
あまりにもコロナワクチン接種のことを職場で言い触らしすぎて、早上がりする際、上司や先輩方に「頑張ってきてください☆」と言われまくる。
もう、この時点で恥ずかしい。
前回は空腹状態でワクチン接種しに行って、酷い目にあったので、今回は電車に乗って乗り継ぎの駅で銀だこの「タレかつ丼」なるものを食べた。
ご飯の上に揚げたてのカツ3つとちょっと甘いタレがかかっていて、美味しい。揚げ物の揚げたてって、なんでこんなにサクサクで美味しいんだ。
銀だこってタコ焼きだけじゃないんだと認識を新たにして、お店を出る。
ワクチン接種会場は一度行っているので、電車もルートも迷うことはなかった。緊張も心配も殆どなかった。
前回は待ち時間が少しあって、その際に読むように本を用意した。今回も一応、川上弘美の「パスタマシーンの幽霊」を持参した。
けれど、一度も待たされることなく、スムーズに案内されてあっさり注射された。
注射は1回目よりも痛く感じた。
接種済みのシールを貼られて「新型コロナウィルスワクチン 予防接種済証(臨時)」なるカード?の空欄部分2つが埋まった状態になり、案内の方に「大事に保管しておいてください」と言われる。
使う時があるのだろうか。
その後、15分ほど待ち合室のような場所で待機するよう言われて、席に座って「パスタマシーンの幽霊」を読む。本作は数ページで終わる掌編がまとめられていて、川上弘美節のなんとなく達観した女の子たちが幽霊だったり、小人だったり、未来の自分が一瞬見えたりしつつ、何でもない日常を送っていく。
どんな特別なことが起きても日常はそれほど変わらず、ずっとそこにある。そこにある世界みたいなものは変わらない。
川上弘美はずっとそういう空気を書いている気がして、個人的に大好きだ。
逆に最近は私達だったら世界を変えられるって言っている小説や現実の人たちに、なんとなく苦手意識を持ちつつある。
もちろん世界は良くなればいいと思うんだけど。
帰りの電車もとくに迷わず、なんなら前回よりも最短ルートに気付いて帰宅した。1回目のワクチン接種は本当に浮かれていたのか、空腹のせいか、どうかしていたようだ。
部屋に戻って、安心と共に少し怠くなったので、タレかつ丼を食べた後だけれど、一応作っておいたシチューも温めて食べ、ベッドに潜った。
深夜目覚めて、身体が重いことに気がつく。また、シチューを温めて食べる。音が欲しくて最近見ている海外ドラマ「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」を流す。
しばらく見ていたが、ホームズが「リーガル・ハイ」の時の堺雅人なみに早口で喋っていくので、ちょっとついて行けなくなる。
とくに何もできず、冷えピタを貼って寝る。
10月某日
朝目覚めて、熱を測ると38°だった。
何もしたくなくなり、ソファーでごろごろして、気付いたら寝ていた。寒気がある訳ではないけれど、考え事をしようとしてもすぐに糸が切れてしまうような感覚があった。
有給はワクチン接種の翌日しか取っていなかった。可能であれば、有給の間に復活して本を読んだり、小説を書きたいと思っていたが、それは叶わずまた眠った。
夜に少し目覚めて届いていたLINEを返して、また眠った。
10月某日
翌日、朝に熱を測ると36.9°だった。
ぎりぎり出勤できるかな?と思って、部屋を出た。昼過ぎまで身体は重かったけれど、働けないほどではなかった。
10月某日
突然、唐揚げを揚げることにハマる。
揚げ物ができる鍋と、残った油を入れるオイルポットと油こし紙を買う。鳥もも肉も買って調味料で下味をつけて……という作業が何だか楽しい。
小説やエッセイを書こうとすると、どんな着地をするのか分からず、手を動かしている時間がある。暗闇で手の感触だけで何かを作るような作業で、時々何だかうんざりしてしまう。
そういう時に溜まっている洗濯物を洗ったり、部屋を片付けたり浴室を磨いたりすると、気持ちがすっきりする。
多分、それは洗濯物を洗えば、干して、服が乾いて明日着ることができると知っているから、なんだろう。
小説やエッセイを書いていても、それがどういうものになるか僕は知らない。この知らない、ってことが時々ストレスになっちゃって知っているものに逃げちゃう、ということなんだろう。
僕は家事が下手だけど、それなりに好きなのは、小説やエッセイを書いているからと言えるのかも知れない。
そして、その延長で唐揚げもある。
下味をつけて、衣をつけて揚げれば、見た目が唐揚げっぽいものはできる。
それが美味しいかどうかは別の問題だけれど。
今のところ、当然だけれど、お弁当屋さんで買う唐揚げの方が美味しい。
究極の唐揚げを目指して今後も精進していきたい。
10月某日
海外ドラマ「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」の第1シーズンを見る。
こちらは2012年9月27日から2019年8月15日まで放送された人気ドラマで、調べると第7シーズンまで放送された。
基本的には1話完結のミステリーもので、タイトルに「ホームズ」とある通り、アーサー・コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズが下敷きとなった作品になっている。
僕は「シャーロック・ホームズ」シリーズの熱心な読者ではないので、どういった部分が変更されているのか分からないが、大幅な変更があったことはタイトルからも分かる。
というのも「in NY」とある通り、舞台はニューヨークなのだ。そして、主人公のホームズは元薬物依存者で、そんな彼の回復をサポートする「付添人」としてホームズの父親に雇われたのが、ワトソンだった。
ワトソンはアジア系の女性のルーシー・リューで、これも原作とは大きく違う点だろう。
マーベル映画「シャン・チー/テン・リングスの伝説」が上映された際、主演のシム・リウがあるインタビューにおいて以下のような発言をしていた。
「僕たちの(アジア系アメリカ人)コミュニティにおいて、アジア系男性がアジア系女性を攻撃する時に、非常に危険な言い分が話されている時があると思う。『アジア系女性として、こんな特権を持っているじゃないか』というものだ。なぜなら、アジア系女性のほうが魅力的で、社会的立場が(アジア系男性よりも)高いと見られるから。
アメリカにおいて、アジア系女性は特権を持っているのか?という疑問をこの時に僕は持ったけれど、「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」を見て、ワトソン訳がアジア系女性で、ほとんど第二の主人公として振る舞う姿を見て、アジア系アメリカ人の男性が特権的だと感じたのだとすれば、まぁそうかな? とは思う(ワトソンは元々男性なんだし)。
アメリカのドラマ内で、アジア系男性が主役として描かれたものを僕はまだ見たことがない。
最近、僕はアジアという一括りで何かものを考えられないか、と思っている節があって、こういう部分にはちょっと敏感に反応してしまう。
けれど、明確な言葉にはならないので、まとまったらまた何か書こうと思う。
とりあえず、「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」だ。シャーロック・ホームズ訳を演じたのはジョニー・リー・ミラーで、元薬物依存者という設定で偏屈で早口で常に自分が正しいと述べまくしたてる。
最初は名探偵という感じはなかったけれど、元薬物依存者という弱味を最初から提示されていることで人間らしい泥臭いヒーローとして見られるようになった。
「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」のホームズは間違いなく魅力的なキャラクターだと思う。
薬に依存するきっかけや、薬に手を伸ばしかけてしまう瞬間なんかも描かれていて、実際にそういう経験をした人からすると、応援せずにはいられないキャラクターになっているし、そんな彼を支えつつ、常に対等に接してくるワトソンという存在が依存者にとってどれだけ大切か、というのも伝わってくる。
そういう部分からも視聴者をちょっと大人向けに作られているんだろうと予想できるのだけれど、最初に引っかかってしまったのはホームズに至るところに入れられたタトゥーだった。
何となく日本ではまだタトゥー文化はポピュラーになっておらず、ドラマの主役の手首や背中にタトゥーがある、という作品は今のところ見たことがない。
アメリカのドラマではタトゥーはファッションの一部として定着していて、ドラマの主役も当然のように入れてるんだな、という点に軽いカルチャーショックを受けた。
ちなみに、タトゥーに関して最近読んだネット記事が面白かった。
専用マシンを使った「機械彫り」は、手彫りに比べて、施術に時間がかからず値段も安い。なので、私の体に入っている3つのタトゥーの施術時間はトータルでも30分程度ではないだろうか。値段は合計2万5000円。
え、それくらいの価格でタトゥー、正確には「ファッションタトゥー」が入れられるの?
ちなみに、僕の職場はタトゥーとか全然オッケーなところだ。本当に一切なんの理由も流儀もなく、それくらい簡単に入れられるのなら、タトゥーを入れても良いかもと思う瞬間が僕にはある。
ピアスと同じような感覚だ。
さっきのネット記事にはタトゥーを入れた後のお風呂事情や保険関係のあれこれがエピソードとして語られている。
読んだ感じ、これくらいの苦労だったら、入れても良いかな?と思う僕がいるのは、昔タトゥーを入れた女の子と付き合っていた時に、「彫り師の人に彫ってもらう時に、タトゥーを入れるってことは身体に別の生き物を飼うようなものって言われたんだよね」と話を聞いたのもあるかも知れない。
ちなみに、その当時お付き合いしていた方のタトゥーは花と蝶で家族がずっと一緒にいる、という意味が込められているんだと言っていた。
僕はおそらく、そういう仰々しい意味は含まれないけれど、単純に自分の身体に別の生き物を飼うって言うのは、なんか良いなと思う部分がある。
今まで僕は一人で生活してきたし、多分この先も一人だろうし、そういう日々にどこか飽きている。だからってペットを飼うのは色んな責任がかかるから、タトゥーは丁度いいかな? くらいの感じだ。
随分、長い日記になっている。
最後に岩井俊二の映画「スワロウテイル」の台詞を引用して、終わろう。
「入れ墨は体に別な生き物を飼うようなもんだ。そいつが人格を変えてしまうこともある。そして運命さえも。何でも彫ればいいってわけじゃないんだ」
昔お付き合いしていた方が彫ってもらった彫り師は多分、岩井俊二のファンだろうと勝手に思っている。
10月某日
夕飯の準備をしていたら、友人から突然電話があった。
出ると、「彼女と別れた。あと俺、鬱だ」とのことだった。
友人は少々厄介な女の子と付き合っていて、その関係でルームシェアするほど仲が良かった後輩が彼から離れて行き、僕を含めた友達連中も彼のあれこれについて行けなくて、距離をとる状態になっていた。
正直、僕は友人が彼女にのめり込んでいる間、冷静な会話や議論を放棄していた。人間まともに会話ができる状態とそうでない状態というのはあって、そうでない時は笑いを取ったり茶化して距離を離れすぎないようにするくらいしかない。
そんな彼女と別れたということなので、電話があった翌日に飲みに誘った。
鬱だ、ということで食欲もないし寝れない、と友人は言う。とりあえず共通の友人も呼んで、酒を飲んだ。
久しぶりなのもあって三人で盛り上がり、その日終電を逃してしまった。タクシーで僕の部屋に二人が来ることになり、せっかくならと近所の銭湯が深夜2時までやっているので、寄った。
お風呂から上がって、近所のコンビニで酒を買い、僕の部屋で飲み直した。
途中で呼びつけた友人は翌日も仕事だと言って早々に眠り、僕と鬱の友人は朝方までやいやいやっていた。
結果、鬱の友人は昼過ぎまで寝て、夕方引っぱって行った回転ずしでもそこそこ食べていた。
ちょっとは元気になったかな?と思ったところで、彼に大阪の飲食店を紹介するライター募集しているところがある、と言う話をした。
鬱だと言う友人はウーバーイーツで生計を立てていて、今は週に二回しか配達できないと言っていた。
そんな彼なら飲食店を紹介するライター業はできるんじゃないか、と思った。
単純に僕がしたかったのだが、条件に平日稼働とあって、カレンダー通りに働いている僕には難しかった。
話を聞いた友人は「ふーん」くらいの反応だった。突然、まったく働いたことがない業種の話をしても面喰うだけ、というのも分かる。
けれど、後日「詳細を教えてくれ」と友人からLINEがあって、URLを送った。
その結果、受かったとのことだった。
ライター業が彼に合うのか分からないけれど、気晴らしの一つになれば良いな、と思う。
あと、普通に僕も大阪の飲食店を紹介するライター業はやってみたかった。
10月某日
もう冬だなぁと思う。
スマホの壁紙を冬っぽいものに変更したいと考えネットで色々探してみる。結果、映画の「ノルウェイの森」のワンシーンを壁紙に設定した。
主人公役の松山ケンイチとヒロインの一人、緑役の水原希子が鍋を挟んで見つめ合っている画像だった。
僕はノルウェイの森のヒロインで好きなのは、緑ではなく、直子なのだけれど、彼女とのシーンは常に性的だったり、悲劇的すぎて、スマホの壁紙には適さなかった。
なんとなく、一緒にいるなら緑みたいなフレンドリーで、明るい女の子が良いんだろうか、という気持ちになる。
壁紙一つで、何を考えているんだろう。
10月某日
美容室に行ってパーマをあてる際、「スパイラルパーマやってみます?」と言われた。
何のことか分からず聞いてみると、担当してくれているお兄さんが今スパイラルパーマなんだ、ということだった。
初めていく美容室で、とりあえずイケメンなお兄さんだったので「スパイラルで!」と頷いた。
結果、髪むちゃくちゃ短くなっていて、久しぶりに前髪を上げる感じになった。冷静に考えると、眉毛を隠さない髪型にしたのは十代からないのではないだろうか。
美容師のお兄さんいわく「長くなると良い感じになるんですよ」とのことだった。
え? 今は? 今は良い感じじゃないの?
と聞きたくなったが、髪は長くはならないから、良いかと思う。
あと、僕はまだ生え際が危ないということもないので、おでこを出して歩くのも悪くないかも知れない、と思い直す。
ちなみに、美容室を予約する際、ポイントが溜まっていて2000円安くできた(スパイラルパーマで+1000円だったけれど)。
そんな気持ちがあったせいか、帰りの古本屋で本を2000円分の本を買った。
買った本の中に、金原ひとみの「パリの砂漠、東京の蜃気楼」というエッセイがあった。
そのエッセイの帯に以下のような文章が並んでいた。
帰宅すると、ネットでピアスを検索し、サイズ違いのセグメントリングとサーキュラーバーベルとラブレットを二つずつ買った。とにかく何かをし続けていないと、自分の信じていることをしていないと、窓際への誘惑に負けてしまいそうだった。これまでしてきたすべての決断は、きっと同じ理由からだったのだろう。不登校だったことも、リストカットも、摂食障害も薬の乱用もアルコール依存もピアスも小説も、フランスに来たこともフランスから去ることも、きっと全て窓際から遠ざかるためだったのだ。そうしないと落ちてしまう。潰れてしまう。ぐちゃぐちゃになってしまうからだ。
僕は少し前から強力な磁石みたいな力で金原ひとみの文章に惹かれているのは、コロナ禍だからなのか、三十歳になったからなのかは分からないけれど、彼女の書く「窓際への誘惑」を肌感覚で理解できるようになったからかも知れない。
本当に時々、僕は僕の信じていることをしていない、とよく分からない暗闇に飲まれてしまうような感覚になる。