見出し画像

人間は「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人)ー楽しめば楽しむほどお金も引き寄せられる?

日々の生活に追われ、お金を使うより、お金に使われ(振り回されて)、人間関係のシガラミやら世間体(常識)にがんじがらめになり、周りに気を遣いすぎていると、心から今を生きることを楽しむことを忘れてしまいがちです。

本当は”楽しむ”ためにこの地球に生まれてきたのに、いつの間にやらそれどころではなくなってしまっているのではないでしょうか?

人生とは究極的には『遊びを楽しむこと』です。人間の本質とは「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人) です。

いわゆる遊び人とか、チャラ男になれって言っているんではないです(笑)

「ホモ・ルーデンス」とはラテン語で「遊ぶ人」という意味。 20世紀最大の文化史家と称されるホイジンガが、今から80年以上前に発表した概念です。 かみ砕いて言うなら人間社会はその歴史において遊びをベースに発展してきたんだと論じています。

その意味で、この地球は「光の遊星」なのです。「遊び」こそやっていてワクワクすることで自分の波動を高め、愛と光を放つ存在になり、まわりもしあわせにすることなんです。

法華経の如来寿量品でも「衆生の遊楽する所なり」(衆生所遊楽)とある。「衆生」とは凡夫、「遊楽」とは遊び楽しむことで幸福境涯をさし、「所」とは娑婆世界(現実社会)のこと。
現実社会こそ妙法(宇宙の法則)においては衆生の最高の遊楽の場所であるとされているのです。

「成功したから遊べるのではなく、遊んだから成功する」という至言もあります。パタゴニアというアウトドアスポーツ用品の会社は、社長自ら休みを自由にとって遊ぶ、社員にももっと遊べと奨励している会社。遊び体験から会社の商品の創造力が湧き上がるのです。

一方で日本の大企業がどんどん凋落している本当の理由の一つは、”遊び”がなくなったからではないでしょうか?。隙間もない、まともに休みすらとれず、遊べないブラックな労働環境で、無能なトップ経営者の社畜化してしまうと創造性など生まれない。

皆、学歴社会の勝者ばかりの答えの決まった問題しか解けない人ばかりになって、いわゆる気楽な稼業であると揶揄されるサラリーマン化しているからもうだめでしょう。


本田宗一郎が、ガレージで車を組み立てた時代は、彼ら、彼の同志皆が車が好きで、車で遊ぶこと=仕事だったから。寝食忘れて仕事しても、過労死などありませんでした。
F1にこだわってきたのも技術開発だけでなく、レースは大きな楽しい遊びであるからです。好きこそものの上手なれですね。

遊び心なしで、独創性(クリエーティビティ)も生まれません。それと、しがらみや束縛のない自由度という”遊び”=人と人の適度な隙間がないと、人間関係もギスギスするでしょう。
一緒に遊べば、お互いも和む。上司や得意先に媚びへつらいための社用のゴルフではない、本業でのミッションと喜びのシェア共感につながる「遊び」です。

”志事”で遊んで楽しめば楽しむほどお金(三次元的成功の指標)が引き寄せられる、それが宇宙の真理です。

どうせなら、あなたの居場所で毎日やること(仕事でも家事でもいい)で遊んで楽しみましょう。それが人生の創造です。

とにかくいい学校に入って、いい給料をもらえる会社に入って、大きなお家を建てて、出世して天下りしてたくさん退職金を得てお金持ちになって、最後にやっと好きなことをして”遊ぶ”ために、今は我慢と忍耐と自縄自縛して学校でも会社でも必死で競争する。それってなんか変ですよね?
よく生きるということに関して、手段と目的を顚倒してて本末転倒じゃないだろうか?。
今を楽しく生きていないのに幸せと言えるんだろうか?

こういうエリート(幹部候補生とか上級職・総合職とかいう区分)の人ばかりになると、会社(役所)はどんどん劣化していき、最後は、大企業でさえも企業崩壊しています。そんな会社どことは言えないけど、いっぱいありますよ。あなたの会社、本当に大丈夫ですか?
「ほりえもん」は99%の会社は今や不要と言っていますね、ここでいう墓穴に陥って行き詰まっている会社が多いので、その通りです。

それにしても「アリとキリギリス」の寓話で、今を楽しむ遊びへの罪悪感や、お金がなくなる=食べられなくなる、という恐怖感を刷り込まれています。
この寓話って、イルミさんが大衆を奴隷にする目的で創作した洗脳かもです。

心底、あなたが今を楽しんで生きていれば、魂的なバイブレーションが上がって、自然とまわりの人にもその喜びの波動エネルギーが共鳴して「幸せ」な気持ちにすることができます。

愛とはそういうものではないでしょうか。

そのような愛の創造エネルギー=光を発する人こそ「ライトワーカー」ではないかと思います。


(文責・執筆)能村聡

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?