ちょっと長い文章ですが、これからの世界の変化に深く関わる話なので、ぜひ、読んで下さい。
●序章
ボクは、お金は汚いもの、不道徳なものという意識が根っこにある印象がある「清貧思想」もあります。しかし、お金自体にきれいも汚いもないはずです。人間のどういう想念が込められているか、どのように生み出され、使われてきたかが重要です。
本来のポジティブなお金は、人間同士が、お互いに相手に奉仕し合う、助け合う、愛の行為を媒体するものです。愛を与え合う意識が、お金の交換という物理的行為に伴うことが大事です。
お金はまた「感謝」の気持ちを表現する手段です。つまり「分離」ではなく、人と人を統合(縁結びだから縁=円)するためのものです。しかし、お金を巡って(例えば相続など)、家族や親族の間でも、「分離」に至る争いが絶えないのは悲しいことです。
現代の金融システムは投機的行為と、レートの操作で、お金を増やし、富を蓄積することが自己目的化している狂った世界になっています。まさに実の経済の何倍もの「虚のマネー」の溢れる「カジノ経済」に堕しています。
このようなしくみは、ほんとうの意味で、実体経済を発展させることに全く繋がっていません。経済はもともとは経世済民=世の中をうまくいくように営んで、民衆を救う(救済の済)という意味です。金(富)を増やすことやGDPを増やすのは本質ではないのです。
怪しげな金融工学なる似非学問を駆使した金融商品(サブプライムローンはその典型)が開発され、多くの人が詐取され、大損しています。NISAは庶民の懐まで手を合法的な博打の罠を突っ込んできましたね。こんなものは決して引っかからぬようにしてください。
金の切れ目が縁の切れ目と言わんばかりにお金のあるなしが、人と人の関係性を支配しています。
人々はお金を支配するのではなく,お金に支配されて、もっと言えば囚われて奴隷になっています。
自分の良心すらもお金で売り飛ばす者もいます。
自分が使うお金が、(大抵は消費や投資行為を通じて)人や地球を傷つけ支配する道具になっていないかどうか。人と人、人と地球やすべてのいのちが繋がって調和して、共に生きていくための、糊や潤滑油みたいにお金を使えれば、お金自身もきっと喜ぶでしょう。
お金を人や社会を幸せにする創造のエネルギーとして使われれば、この世界はもっと素晴らしいものになるでしょう。
お金さえあれば大抵のモノは買えるし、サービスも受けることができます。
そのお金の特性ゆえに
「お金があれば何でもやりたいことができるのに…」
「なんで自分だけお金に不自由しているんだろう…」といった妬み
お金がないと安心できないといった欠落感や失うことへの恐怖
思うようにお金が入ってこないことへの苛立ちなど
実に様々な煩悩を生み出し
どんどん増幅させていってしまうのです。
でも、お金で買えないものもたくさんあるでしょう。お金持ちが不幸になるのは、そのことに気づいた時です。
「もっとほしい」
「まだ足りない」
「うらやましい」
このように、心がお金(マネー)にとらわれてしまい
抜け出せなくなっている状態を「マネーの墓に入る」と呼びます。
ドイツの童話作家で思想家であった「ミヒャエル・エンデ」は晩年、お金というもの、マネタリー経済の本質的欠陥と自己矛盾、を深く考察し喝破していました。
「ある人が西暦元年に1マルク預金したとして、それを年5%の複利で計算すると、その人は現在、太陽と同じ大きさの金塊を四個分!!所有することになります。別の人が西暦元年から毎日8時間働き続けてきたとします。彼の財産はどの位になるのでしょうか。わずか1.5M(Mはmillion、100万です)の金の延べ棒一本に過ぎないのです。」
エンデの指摘からは、国際金融システムが儲けるためカラクリである「利子」や「利ざや」という、お金の自己増殖(お金がお金を産む)の仕組みがいかに狂ったものかこれで理解できるはずです。永久に成長し続けるマネタリー経済などあり得ないのはお分かりでしょう。
このシステムの自己矛盾を避けるために金本位制に基づく兌換紙幣で制約が昔はかけられていました。今は、一部の偽ユダヤ国際金融資本家が乗っ取って所有支配してきた民間銀行でしかない「中央銀行」がお金を刷りたいだけ刷れるしくみになっています。
バビロニアをルーツに持つ金融システムの欺瞞を、なんと!12歳のカナダの少女が理路整然と暴露しています。現在の金融システムは一部の者たちが、自分たちとそのシンジケート(利益複合体)が儲けるためだけに、様々な金融経済指標を意図的に内輪で操作しています。毎日のニュースでも流れるそんな情報に振り回されるのは愚かなことです。
ここにお金(金融)の仕組みがいかに歪んだ不公正なものになっているかの本質が語られています。下記の YouTube映像を御覧ください。
*「腐敗した銀行制度」カナダ12歳の少女による講演
● 聖なる経済学- 感謝とギフトの経済へ
#社会創造 #loveデモ Charles Eisenstein
貨幣は契約であり、みんなが同意しているから価値があります。
これであらゆるモノが買えますが、一方で生活を惨めなものに
することもあります。
社会の借金や利子のために、競争に追いやられます。
経済活動とは、自然にあったものを商品にしたり、自然な行動だった
ものを、サービスとして『有料』にしたりします。
自然をモノのようにしか見ていません。
私たちは自然から切り離されています。
この『経済の成長』ではもはや地球は維持できず、私たちの社会は
もはや限界に来ていることに目醒める必要があります。
人々は、もともと感謝の気持ちを持っています。
人生とはそもそもギフト/贈り物だと知っています。
だとすればお返しは・・・
『ギフト経済』は貨幣経済と違い、競争ではなく、
必要以上に持っていれば、他人に分け与えます。
互いに支えあい、助け合う精神性の高いコミュニティーが生まれていくのです。
ギフト原則に基づく経済は、真実の経済です。
お金は愛と感謝を込めた贈り物の表現(人だけでなく自然(地球)に対しても同様です)だと、明確に示すことです。
そうすれば環境汚染もなくなり、次の世代への負担もありません。
コミュニティでの富の共有。
多くの経済は再ローカル化されます。
人から人への経済になります。
経済成長の維持には、実は、得る利益以上の高い隠されたコスト費用がかかっています。ツケを貧しい人々や将来世代に漬け回ししています。それを負担せず、地球にただ乗りしているのが、今の私たちの経済社会です。宇宙船地球号に切符代を払っている人っていますか?
もう現代の経済システムは機能できません。
限界点に達しています。
地球を愛するようになって初めて、私たちは地球市民になれます。
古い世界が崩壊し、新しい世界が生まれます。
私たちは大人になり、技術と文化の贈り物を
真の目的のために利用する時がきたのです。
最初は、被害を癒すことから始めます。
大変多くの『癒し』が必要になってくるのです。
新しい見方をする世界(ギフトの経済)なら、
それが可能です。