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ネガティブにはポジティブを返す-常不軽菩薩の教え
この世界のいわゆる闇の輩たちは、真実を伝え、人々の覚醒を促そうとしている方を死に物狂いで妨害し、罠に陥れようと最期の悪あがきをしていますね。でも、もう彼らと戦うのはやめましょう。なぜそう思うのかを話します。
『法華経』常不軽菩薩品第二十に出てくる常不軽菩薩は、”増上慢”の人々に対してさえも、呼びかけ、礼拝し、賛嘆しました。
すると彼らは「なにをふざけたことを言いやがる」と腹をたて、悪口罵詈、杖や枝、瓦石をもって常不軽菩薩を迫害しました。
常不軽菩薩はこれに対して「我、あえて汝らを軽んぜず。汝ら皆まさに作仏すべし」(汝らは皆、菩薩の道を行じて、仏となるのだから)と返したんです。
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”増上慢”とは、自分がいちばん偉い、正しいと奢り高ぶっている人のことです。この日本でもいわゆるなになにの権威といわれたり、世間的に高い地位について権力を自分たちのエゴで振りかざす、自らの過ちや無知無能を認めず”お偉い先生”と言われる方。
まさに最近トランプさんのおかげで人口に膾炙するようになったディープステートとかカバルと呼ばれるお歴々がそうです。
この三次元世界には「目には目を歯に歯を」、憎しみには憎しみを返すという負のカルマのスパイラルを陥っている方もまだ多いですが、常不軽菩薩は憎しみに対して、愛を、尊敬を、信ずることを返しました。「すさまじい楽天主義」だと思います。
この世界が戦争や争いの重い負のカルマの連鎖から抜け出して、善と悪や、光と闇が、統合された高次元意識に進化するには、憎しみに対しても愛を返すしかないと思います。それがもっとも厳しい魂の浄化のための最終段階?の修行です。
増上慢の者たちも、常不軽菩薩品の法華経の説法を聞き、最終的には、皆が信じ伏し随従したと言われています。まさに悪と戦って殲滅するのではなく、闇を抱き参らせたのです。
宮沢賢治も実はこの常不軽菩薩のように生きたいと願い、この菩薩をモデルとして手帳に「雨ニモマケズ」を書いたと言われています。
あなたは自分の子や親を殺した人を赦せますか?愛せますか?これは常識的には凄まじいことです。凡夫(ふつうのひとびと)には、とても真似ができないと多くの人は思うでしょうけど、でも神の愛、仏の慈悲を本当に知る悟りとはそういう意識なのかもしれません
人類がこの境地に至れば、戦争や争いなど起こりえないですね。
人間はすばらしい。自然はすばらしい。生まれてくるってすばらしい。死ぬってこともすばらしい。病気になるってのもすばらしい、という風に、二元性のジャッジメントを捨てて、徹底的に信じ通すのです。肯定、肯定、絶対肯定してゆくことです。
実は、イエスも同じことを語っていますね。マタイ福音書第5章には、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」とあり、ルカ福音書第6章にも、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」とあります。
そして「右の頬を打つ者があれば、左の頬をも向けよ」という有名な言葉も、あります。常不軽菩薩と同じ態度をとることをイエスも説いています。
私はとてもそのような境地にはほど遠いけれど、イエスや常不軽菩薩のような生き方に少しでも近づきたいものです。
(文責:能村聡)