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毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。

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3歳で原因不明の病に冒され20歳まで生きられないと言われた兄にまつわる数々のストーリーをvol.1~vol.14まで連載していきます。読んでくださる皆さんとひとつの作品に仕上げて…
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#闘病生活

Vol.1 おすし 【毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。】

兄の好物だった、おすし 。毎年5月31日、わたしは決まっておすしを食べている。 おすし発作が治まり、また束の間の穏やかな時間が流れ始めた。母は一息ついてソファに横になった。わたしはパイプ椅子に腰掛け、ぼんやりと兄を眺めている。いくら危篤と言われてもまるで実感がない。悲しくてその現実を受け入れられないのではない。きっとこの一時も笑い話のひとつになる日が来ると信じて疑わなかった。なまぬるい病院の個室に注ぐ柔らかな初夏の日差しが、平和な日常を思い出させてくれる。外はこんなに爽やか

매년 5월 31일, 나는 항상 스시를 먹는다.

vol.1 스시 오빠가 발작을 일으켰다가 다시 진정을 찾으며 잠깐 동안의 평온한 시간이 흐르기 시작했다. 엄마는 한숨 돌리며 소파에 몸을 뉘었다. 나는 접이식 의자에 걸터앉아 멍하니 오빠를 바라본다. 아무리 위독하다지만 전혀 실감이 나지 않는다. 슬픔을 이기지 못해 현실을 부정하는 것이 아니다. 분명 시간이 지나면 지금 이 순간도 웃으며 이야기할 수 있는 날이 올 거라고 굳게 믿고 있었다. 미적지근한 병원 1인실에 내리쬐는

完結編【毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。】

20歳まで生きれないと言われた兄にまつわる数々のストーリ。これは幼少期から順に連載した小説を全編+あとがきまでまとめたものです。 Vol.1 おすし兄の好物だった、おすし 。毎年5月31日、わたしは決まっておすしを食べている。            * 発作が治まり、また束の間の穏やかな時間が流れ始めた。母は一息ついてソファに横になった。わたしはパイプ椅子に腰掛け、ぼんやりと兄を眺めている。いくら危篤と言われてもまるで実感がない。悲しくてその現実を受け入れられないのでは

Vol.14 兄のいないセカイ 【毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。】

20歳まで生きれないと言われた兄にまつわる数々のストーリ。幼少期から順に連載しています。毎週土曜日更新中。 わたしの道大学を卒業し、わたしは初めて実家を出て上京することにした。医療や介護にどっぷり浸かっていたこれまでの環境から脱し、キラキラとしたOLへ羽ばたくことを夢見ていた。 しかし、結局はこれまでの人生に導かれるように、介護の道へ舵を切っている自分がいた。兄の様に障がいがあっても、どんな人でも外出することを諦めない世の中を創りたい。就職活動を進める程にその想いは膨らん

Vol.13 お別れ【毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。】

20歳まで生きれないと言われた兄にまつわる数々のストーリ。幼少期から順に連載しています。毎週土曜日更新中。 お別れに向けて父と母がリビングでお通夜やお葬式について話している間、わたしは兄の頭を撫でたり、顔を摩ったりしていた。けれど、やっぱり彼はずっと穏やかに眠ったままだった。 少し経ってから彼氏やサークルの親友が様子を見に家まで来てくれた。その時は悲しくて泣くというより、心の中が空っぽになってしまった様で、むしろ何の感情もなく笑顔が作れた。 どこからともなく葬儀屋も現れ

Vol.12 旅立ち【毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。】

20歳まで生きれないと言われた兄にまつわる数々のストーリ。幼少期から順に連載しています。毎週土曜日更新中。 Vol.11 太陽 はこちら 最期の思い出姉が来てからは、交代で兄の容態を見守った。たとえ代わると言っても、結局母はうとうとするだけで兄のそばを離れることはなかった。 兄は時折体を左右に激しく揺さぶり、頭をベッドの柵に打ち付けて発作を起こした。発作の間、わたし達は彼の肩をベッドに力いっぱい押さえ付けた。どこにそんな力を蓄えていたのか不思議なくらい、彼は抵抗する。

Vol.11 太陽【毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。】

20歳まで生きれないと言われた兄にまつわる数々のストーリ。幼少期から順に連載しています。毎週土曜日更新中。​ Vol.10 インドはこちら ゴミゼロの日応急処置の手術をしてから約2年。あの手術は本当に必要だったのかと疑問さえも消えた頃、兄の容体は急変した。それでも、いくつもの危機を乗り越えてきた彼だから、当然また過去の武勇伝のひとつになるだろうと信じていた。 母とわたしが泊まり込みの看病を始めてからもう10日が経とうとしている。 ゴミゼロの日。それは付き合っていた彼氏

Vol.2 デュアルライフ【毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。】

20歳まで生きれないと言われた兄にまつわる数々のストーリ。幼少期から順に連載しています。毎週土曜日更新中。 わたしが生まれた後も、兄はしばらく東京の病院と茨城の自宅で入退院を繰り返していた。当時はそんな言葉もなかったが、今思えばデュアルライフの先駆けだ。誕生日、クリスマス、お正月、七五三など、家族写真はどれも幸せに溢れた様子に変わりないのだけれど、兄が写っていたりいなかったりする。 兄が病院にいる間は、母と石塚に住む母方の祖母が交代で付き添った。3歳になったわたしは、ひと

Vol.3 わたしの分身【毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。】

20歳まで生きれないと言われた兄にまつわる数々のストーリ。幼少期から順に連載しています。毎週土曜日更新中。 わたしが幼稚園に入って半年が過ぎた頃、自宅近くのこども病院に兄が転院できることになった。我が家の生活が大きく変わるビッグイベントだ。入院中も家から20~30分程でいつでも兄に会うことができる。ただ、規則は厳重で、親でさえ面会時間が限られているし、両親以外は兄弟でさえ病室に入ることは許されない。 病室は二階の階段を上がり、横に伸びた廊下越しの正面に入り口がある。こども

Vol.6 不思議な体験【毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。】

20歳まで生きれないと言われた兄にまつわる数々のストーリ。幼少期から順に連載しています。毎週土曜日更新中。 石塚の祖母初めて身内の死を経験したのは、大好きな石塚のおばあちゃんとの別れだった。これまで兄と二人三脚、母とも二人三脚、わたし達家族のぽっかり空きそうな部分をいつも補ってくれたおばあちゃん。いつも優しくて、どこかハイカラで、トヨエツや反町隆のファンだった。近所の人たちに「最近じゃ、おばあちゃんは臭い!汚い!って毛嫌いする孫もいるって言うけれど、うちはみーんな優しい孫で

Vol.7 夢のマイホーム【毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。】

20歳まで生きれないと言われた兄にまつわる数々のストーリ。幼少期から順に連載しています。毎週土曜日更新中。 中古一軒家 いくら小柄なホビット一家でも、小学校高学年になると、ずっと住み続けてきた2DKのアパートも大分手狭になってきた。そこにタイミング良く、近所の人が中古の一軒家を売りに出すと言う話が舞い込んできた。アパートからも歩いて3分。少々古いが日当たりも申し分ない二階建ての4DK。両親が内覧してみると、キッチンの床が抜ける程痛んでいたけれど、手直しすれば今よりは大分住み

Vol.8 兄の部屋 【毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。】

20歳まで生きれないと言われた兄にまつわる数々のストーリ。幼少期から順に連載しています。毎週土曜日更新中。 わたしの高校スタイル 中学を卒業したわたしは、姉を追って水戸の高校に進学した。伝統ある女子校で、制服はダサくて有名だったけれど、わたしは密かにその制服に憧れていた。パンツが見えないギリギリまでスカートを引き上げてベルトで留め、腰のところで折り返す。上からダボダボのラルフセーターを着てスカートのヒダを整える。ローファーにスーパールーズソックスを履いて、脚が一番細く見える

Vol.9 花火【毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。】

20歳まで生きれないと言われた兄にまつわる数々のストーリ。幼少期から順に連載しています。毎週土曜日更新中。 大学生活姉は進みたい道を見つけ、大学は家を出て一人暮らしを始めた。翌年はわたしの大学受験。迷ったあげく、家から通える大学で地域福祉を学ぶことにした。弾けた大学生活を夢みて上京する友人も多かったけれど、時折介護ストレスが現れていた母をひとりにすることは考えられなかった。大学に入ったら早速車の免許を取って、兄を色んなところに連れて行ってあげたいと、密かな計画に胸も高鳴って