美術館行った
久しぶりに、美術館へ行ってきました。
フェルメール展へ行くための下見だったのですが、隣でやっていた、地味に気になっていた、『羽生輝展 悠久の岬を望む』を観ました。フェルメール展の方は長い行列ができていたのですが、こちらの方は並んでる人もいなく、スッと入れて、中もそんなに混んでいなかったので、静かに見ることができました。
釧路の浜辺を多く描かれている日本画家の方で、釧路湿原なども描かれていました。
看板を見かける度に、何か惹かれるものがあったので、観られてよかったです。
特に私が、いいな、と思った作品が、「北の浜辺(桂恋)」(1989年)と、「北の岬(桂恋)」(1993年)という二つの絵です。「北の岬(桂恋)」の方は、同じ題名の絵が二つあったのですが、小さい絵の方が、私は好きでした。
いいな、と思ってから題名を見たら、どちらも桂恋という場所の絵だったので、びっくりしました。作者の方に特別な思い入れがある場所なのかな~と、思いましたが、ただ単に偶然かもしれません。
「北の浜辺(桂恋)」は、広い灰色の空の中に、小さく家が建っていて、その家の煙突から煙が出ている風景です。映画『幸福の黄色いハンカチ』を思いだしました。主人公が家に帰って来て、黄色いハンカチを発見する、あのラストシーンです。そこにある、ささやかで、確かな生活というものが、表現されているような感じがしました。
もう一つの、「北の岬(桂恋)」の方は、真っ暗な海と、真っ暗な中に浮かぶ岬が描かれています。これを見た瞬間、あ、いいなと思いました。なんだか、これはその場所を描いているのではなくて、濃密な夜という時間を描いているようで、そこに吹く、生ぬるい風さえも感じるような気がしました。
これに限らず、羽生さんの絵は、風景画なんだけれども単なる風景を描いているわけではなく、その空間をまるごと描いている感じがします。
現実にないような気もします。
特に「海霧(オダイト)」(2001年)という作品を見た時にそれは感じました。山水画みたいに、どこか仙人が住んでいるような、非現実的な世界を描いているような気がしました。
解説に、羽生さんの絵を見た地元の方に、「魚の匂いがしないんだよなぁ」と評されたと書かれていたけど、私はそれでいいんじゃないかと思います。魚の匂い、私は苦手だし。笑
この絵は、現実を描いているんじゃないんだから、それでいいのだと思います。実際の風景は、モチーフでしかなく、そこからどういうイメージが湧き、どの点に着目して伸ばしていき、どういう世界を自分が想像し、表現していくのかということの方が、より重要じゃないかと思います。
さびれた浜辺に漂う独特の雰囲気、岬にぽつんと立つ灯台の雰囲気。
そういう所が、良いんじゃないかと思いました。
えらそうに語ってしまってすみません。
でも、久しぶりに来た美術館で、久しぶりに良い絵を観れて、興奮しています。
ありがとうございます。
明日は、朝からフェルメール展に参戦してきます。