ひとひとり
この間、久しぶりに祖母に会って来ました。96歳の祖母は、もう私のことなど、すっかり忘れてしまっているのですが、行ったらうれしそうにしていました。
私は髪が短いので、「女の子なの?」と確認されました。「髪がちんちくりんだったから…」とも言っていました。ちんちくりんって。そのあとで、「髪、きれいだね〜」と言って、フォローしていました。
おばあちゃんは、自分に息子がいることも忘れていて、いつか自分もすべて忘れてしまうんだな〜。一生懸命生きる意義ってなんだろう。などと、漠然と考えてしまいました。
その夜。父が、焼いた氷下魚を食べていました。私はいつも手づかみで骨から身を外し、マヨネーズをつけて食べるのですが、父は一匹のこまいを食べるのに、わざわざ最初に骨から身を全部外し、一口サイズにちぎり、それから改めて手を洗って、箸で食べていました。それを見た私は、「あ、ここにおばあちゃんいた」と思いました。
祖母は、とても几帳面な人で、タケノコの皮むきの時、下に敷いた古新聞を、使い終わって、もう捨てるだけというのに、端っこを揃えてピシーっときれいに折りたたんでいました。そんな血が、うけつがれている。と、思いました。
私はそこまで几帳面じゃないのですが、いつも風邪の時に愛用している栄養ドリンクが、祖母の行きつけの薬局で買ったものだったことを、思い出しました。なんにでもこだわるおばあちゃんが、信頼していた店を、自分が弱った時に、頼りにしていたのです。
もし記憶がなくなっても、それは表面的なことで、もっと深くしみこんだものは、簡単には消えないのかもしれません。人一人が生きてきた証は、いたるところに、ひそんでいます。
ちなみに、おばあちゃん、肌つやが良く、私より健康そうだったので、まだまだ長生きしそうです。