見出し画像

サーフィンU.S.A.

この冬から春にかけてずっとホームシックであったことは何度か書いた。

冬の雨が終わり、初夏を彷彿とする日差しがやってくると同時に、なんとか長いトンネルを脱した感覚を得たのだが、今になってあれはただのホームシックではなくてもっと根本のところが揺さぶられていたんではないかと感じる。

根本のところ、それは、言いようのない居候感。

そう、私は、アメリカに、ずっと居候している感覚なのだ。

でも、それに気づいたのは、最近だ。

というのも、最初の5年くらいは、新しいお家に慣れようと夢中だったから。

人は何かに夢中な時は、疎外感は抱かないのだ。

もちろん、その頃も一度ひどいホームシックになったが、「この生活に慣れたらきっと新しい世界が広がっている」という希望の方が大きかった。

あれから9年経った今、私は、当時、希望を抱いていた「新しい世界」にいる。

そして、「なんだ、新しい世界ってこんなもんか」とちょっとがっかりしている。

その原因はアメリカにあるわけではなくて、私の中の何かであるということはわかっている。

考え方なのか、ライフスタイルなのか、何かを自分で大きく変えない限りはこの状態が続くのだ、と。

この状態というのは、アメリカに慣れたはいいけれど居候感は消えない、という状態だ。

はて、私は、どうしたいのだろう?

居候をやめたい。

よし、わかった。では、手段はまず大きく二つに絞られる。

日本に帰るか、アメリカにもっと馴染むか。

ああ。

書いていて見えてきた。

私は日本人である私を抑圧したりすることなく、でもアメリカの中でちゃんと居場所を見つけて生きていきたいんだな。

その前まではアメリカに馴染むために日本人である私を無視していたからキツかったし、ちょっと前までは日本人であるってことを認めたはいいけれどおかげでアメリカと一線を画してしまって、それがキツかったんだな。

この先やりたいのは、自分を大切にしつつ、相手のこともちゃんと知って、双方の理想的な関わり合い方を見つけていくことだ。

思えば私は日本のこともたいして知らないくせに、アメリカのこともたいして知らないし、知ろうともしてこなかったのだ。

そりゃ、仲良くなれないよね。

仲良くなれないから、ずっと居候なのだ。

 しかし、仲良くなるために自分を押し殺すことはできないから、共通の興味ポイントを見つけることから始めねばなるまい。

夫の場合は(彼はもう在米20年以上で半分アメリカ人みたいなもんだが)、音楽が好きだったり、スポーツが好きだったりで、うまくアメリカと共通の趣味を見つけている。

しかし、私は音楽はもちろん嫌いじゃないがずば抜けて好きとは言えず、スポーツは野球に限ってちょっと好きだが他にはあんまり興味がない。

となると、やっぱりサーフィンかなぁ。

何度も書いたと思うが、この冬は雨が多くてサーフィンがままならなかった。

ようやく雨の時期は去ったが、今度は春が来て、波がままならない。

ままならなくても乗れる波があれば出向くのだが、そもそも乗れる波がないということも春は多い。

それでも、先日、久しぶりにローカルスポットに顔を出したら、ジョエルチューダーのパパがいて、たわいない会話ができたのは楽しかった。

サーフィンと、もう一度、向き合ってみるか。

実を言うと私は、サーフィンに夢中だったこの10年は、ある意味で、アディクションだったと気づいている。

前夫を亡くした後の、ぽっかりと開いた胸の穴を、海に入ることで埋めていた。

海に入れば、生きているっていう実感を得られたから。

でも、いつのまにか胸の穴は癒えて、海に入らなくても生きているって実感できるようになった。

それでサーフィンへの執着がグッと減っていたのがここ数年であった。

でも、雨で、海に入れない日が続いたことで、やっぱり私の生活にはあってほしいものなんだって改めて気づけた。

きっと、ここからが、サーフィンとの新しい関係の始まり。

サーフィン in USA、それを何かの補填のためではなく、心から純粋に楽しめるようになった時、私の中にある居候感にも変化が起こると信じてみよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?