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結果的にデジタルデトックスになった3週間

お金がなくなってくるとまず最初にカットされるのは趣味娯楽、そして美容に関する費用だとよく聞くが、時間がなくなってきた場合にはそれはSNSとブログである(ブログはSNSに含まれるのかも)。

秋山歌謡祭2024を見て泣いていた頃はまだ時間に余裕があった。その後、わたしの日々はあれよあれよという間に忙しくなって、こうしてnoteの投稿をしたためる時間を作れたのは気づけば3週間ぶりとなった。

なぜ忙しかったのか。

誰も興味ないと思うが、書きたいので書く。

まず、新しい、面白い、コピーライティングの仕事をいただいた。

アメリカにいて日本語のライティング、しかも翻訳ではなく一から自分で文を作る仕事をいただけることは非常に貴重でわたしは大いに張り切った。

ところが、そこに、ヨガスタジオが行う21日間のクリニカルトライアルと、日本から弟と姪っ子がやってくるということが重なった。

クリニカルトライアルは、ヨガの師匠が企画したもので、被験者に21日間、師匠の作ったヨガシークエンスを実践してもらい、前後のストレスホルモン値を調べるという治験。

わたしは被験者たちが参加するヨガクラスのリードをするという栄誉ある役目をいただいたのだが、それが何と毎朝6時スタート。

そのために4時半に起きるという日々であった。

もともと早朝が好きで、サーフィンも好んで朝早くに行くくらいなので早起きは嫌いじゃないし、苦手でもない。

ただ、サーフィンの場合はあくまで趣味で、朝起きて気分が乗らなかったら二度寝していいし、すっぴんの寝ぼけ眼でビーチまで行って構わないが、ヨガクラスを受け持つとなるとそうもいかない。

万一にでもうっかり寝過ごさないようにという気の張る3週間で、最終日は達成感というよりは虚脱感が大きかった。

トライアルは終わって少し気は抜けるようになったが、弟と姪っ子の滞在はまだ続く。せっかくのサンディエゴをできる限り楽しんでもらいたいので、海へ街へ食事どころへと東奔西走していて、noteをはじめSNSにアクセスする時間が本当になかったのだった。

結果、意図的ではなかったがデジタルデトックスの期間になったというわけだ。

ネットを通じて繋がっている皆さんとの繋がりもまた絶対的に本物であって大事にしたいものであるのだけど、一方で、アクセスしないでいるとその繋がりがないも同然になること、何なら繋がっているはずの世界そのものさえ自分の世界からはなくなるという感覚を久しぶりに味わった。

10数年前のことなんだけど、それまでわりと熱心にやっていたtwitterのアカウントを削除した時も似たような感覚を得たことを思い出した。

アカウントを消すというだけで熱心にやりとりしていたのにリアルでは会ったことがない人たちとの繋がりは一瞬にして消えてしまった。そこに確実に広がっていた世界はいとも簡単に消えてしまった。

それが良い悪いではないのだけど、SNSというのはそういう性質があるということを理解しておくことは、SNSに使われるのではなくて使うために大事な気がする。

いや、これって、SNSに限らない…どんなコミュニティーでも、抜けてしまえば、そのコミュニティーは存在しないも同然になるものね。

ちょっと疲れていて頭がまとまらない(笑)。けれど、先にお伝えしたコピーライティングのプロジェクトがひと段落して以降、日本語を書くということをしばらくしていなかったのでリハビリも兼ねてとりあえず打った。

それにしても、朝4時半に起きてヨガをして、弟と姪っ子たちと遊び歩き、時にはサーフィンもして、という日々を2週間近く続けても元気でいられている自分の体力をリスペクト。

わたしは20代30代より40代の今が一番活動的だと感じているが、それはヨガやIHヒーリング、動作学のおかげ、というか、それらを通じて自分のニーズを優先することの罪悪感がなくなったためだと思っている。

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