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さよなら、ライター(4) コピーライターと出会ったの巻

25年やってきたライターという肩書きをいったん手放すことに決めた自分の回想録です。(1)(2)(3)の続きです。

情報誌のライターの仕事がレギュラーとして定着してきた頃、誰かの紹介という形で新しい仕事が次々と舞い込んでくるようになった。

とはいってもほとんどは単発の仕事で、レギュラーとして関わったのはそうなかったのだが、数少ないレギュラーものの一つが、当時、出会い系サービスで一世を風靡し、インターネット黎明期のポータルサイト競争の大穴として名乗りを挙げていたエキサイトジャパンの仕事だった。

私の記憶という曖昧なものだけが頼りなので間違っていたら申し訳ないのだが、確か当時エキサイトはオリジナルのコンテンツを強化することで、他のポータルサイトと差別化を図ろうとしていて、私は知り合いの雑誌編集者がエキサイトに転職したことをきっかけに、エキサイトのニュースコンテンツのプロデューサーを紹介してもらえ、そこでのコンテンツライティングという仕事を依頼されるようになったのだった。

今思えば、あれは、私が私の興味関心という己の情熱に基づいてやることを許されている仕事だった。

というのも、その頃のウェブコンテンツは、テレビで言えば深夜番組みたいなノリがどこかにあって、雑誌というゴールデンタイムではできないようなことをやっちゃおうじゃないかというような、B級のノリ、サブカルのノリが許されていたし、求められていたのである。

でも、私がそれを認めなかったのだ。

ああ、今はわかる。

好きにやっていいと言われると、いやいや、読者ってものがいて、その人たちに面白がってもらう、役に立ててもらうってことが大事なんだから、好きにやっちゃダメだって自分で勝手に禁じてたのだ。

それに気づかず、どこで何をやっても、「この仕事だと私が書いているってことにはそんな意味がない」なんてやっていたわけだ。

そりゃそうだ、あんたが、あなたの情熱を丸出しで仕事をしていいってことを許してないんだから。

そんなわけで、今思えば、ありのままの私で書いてよいというチャンスをもらっておきながら、私は気づかずにその機会を逃したのである。

なんなら、インターネットの仕事は面白いけど、やっぱ有名な雑誌とかでレギュラーの仕事があるといいよな、とか思っていた。

こう考えると、人生、いかに気づけるかだなって改めて思う。

己にとっての幸せな状態とは何かにちゃんと気づけること。

しかし、気づけていなかった20代の私は、そこそこ収入は安定し、なかなかに楽しく仕事をしているけれど、なんか充実感が足りない、という状態にあった。

充実感など人生に求めるのが間違っているのかもしれないと考えることもあった。

そんなある時、私に、「充実感はこっちに行けばあるかも!」と感じさせる出会いが訪れる。

コピーライターのMさん(男性)との出会いである。

ライターが雑誌を作るところからお金をもらって仕事をするのに対して、コピーライターは広告を作る企業からお金をもらって仕事をする。

すると、自分の書いたものが露出するのは、テレビもあれば、ラジオもあれば、新聞もあれば、雑誌もあれば、企業内の広報誌やパンフレットもある。

Mさんは、ある企業からの仕事の一環として、記事風広告(編集タイアップ記事)を書ける人を探していて、それがスキンケアか何かで女性向けだったもので、記事を書ける女性を探していて、縁が縁を呼んで私にお声がかかったのだ。

私が書いた原稿に対して、Mさんは「まあ、おおむねいいんだけど…」と言いながら、「この情報は重複している」とか、「この言葉は本文だけでなく大きな見出しに入れた方がキャッチーだ」とか、いきなりフリーランスライターになってしまった私には誰も教えてくれなかったことを教えてくれた。

その頃の私は雑誌やウェブサイトの原稿で修正指示をもらうことがもう全くといっていいほどなくなっていたのだが、それがどこかで物足りなかったというか、心許なく感じている自分もいて、Mさんにビシバシ指摘されたことで、自分の文章に改善の余地ありということが知れたのが嬉しく、自分の文章をより良くするという目標を見出したのである。

目標を見出すとなんかちょっと充実した気がする。

ぶっちゃけ、原稿料の充実度も違う(笑)。

私は、Mさんからいただく仕事に注力するようになった。

当初は広告の仕事は雑誌の延長という感覚で取り組んでいた。

しかし、その後、思いがけない形で、コピーライター一本でやっていく選択肢が提示されるのだった。

(続く)

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