わたしの中のキャサリン
キャサリンは空気を読まない。
というより、たぶん、読めない。
もしかしたら多動癖があるのかもしれないと思うような言動をよくしていて、ヨガクラスの中でちょっと浮いている。
年齢は60代くらいか?
他の人たちが彼女のことを明らかに疎んじている様子はないけれども、すごく親しくしたがっているというふうでもない。
空気を読まない、と言ったのは、たとえばこういうことだ。
キャサリンとわたしは広いスタジオの中で窓に近い日向の方を陣取ることが多いのだが、その反対の日陰の方にいる人たちについてキャサリンは大声で「あっちはダークサイドよ。あの人たちはダークサイド」と大きな声で言ったりするのだ。
わたしの名前「Satoko」もなかなか覚えられず、それはちっとも構わないのだが、「なんだか咳止めの薬みたいな音だったわよね、あなたの名前」みたいなことを言ったりもする。
もし人種差別に敏感な人だったら、日本語の名前が覚えられないことはまだしも、それを咳止めみたいな名前だと本人に向かって言うことは避けるんじゃないかと思うが、キャサリンは気にしていない。
もちろん、それは彼女には悪気がまったくないからでもある。
だからわたしも気にしていない。
それどころか、わたしはキャサリンに好意を持っている。
彼女はいびつなのだ、いい意味で。
そのいびつさはめちゃくちゃピュアないびつさで、わたしは彼女が子どものようなピュアないびつさをどこかで正されることなくシニアと呼ばれる世代になるまで生きてきたというそのことに感動するのだ。
そんな彼女は、今日、わたしも含め、誰もが見て見ぬふりをしていた、ちょっと謎の男の人に笑顔で声をかけていた。
その謎の男は、フードを深く被ってスタジオの前で座っていた。「新しい生徒かな?」とわたしは思って目を合わせて挨拶しようとしたのだけど、その男は陰鬱な表情で下を向いたままで誰ともコミュニケーションを取るつもりがなさそうだった。
クラスが始まってもその人はスタジオに入ってくることがなかった。
わたしは実はちょっと怖かった。もしかして、何らかで精神が不安定になってしまった人で、銃を持っていたとしたら? このヨガクラスに恨みがあって、クラスの途中で入ってきて発砲したら?
無事に帰れた今考えると大袈裟と笑えるけれど、そんな想像をしてしまうくらいダークな雰囲気をその男の人は醸し出していたのだ。
クラスが終わっても男は同じ場所にいた。
わたしも含め、ほとんどの生徒がコミュニケーションを取ろうと思って、目をやるけれど、男の方が目を合わせる気がないことが明白で、結果、誰もがスルーしていた。
ところが、キャサリンは男に大きな声で言った。
「あなた、ずっとここにいたの? なんでクラスにこなかったの?」
男は視線を下に向けて無視をするが、空気を読まないキャサリンにそれが伝わるわけない。彼女は続けた。
「次はクラスにくるといいわ。無料だし。こんなところに座っているくらいならくるべきよ」
戸惑う男は、しかしキャサリンに目をやって苦笑いをした。
キャサリンが男を笑わせた!
男はすぐにまた下を向いてしまったが、わたしはキャサリンの無邪気さとそれゆえの強さに心を打たれていた。
彼女は男が悪いやつかもしれないなんて思いもしなかったのだろう。
自分が何かいうことが相手にとって不快かもしれないとか、迷惑かもしれない、などとも考えなかったのだろう。
わたしは思わずにいられなかった。
わたしも似たような気質を持っていた気がするのに、いつのまになくなったんだろう?
いや、たぶん、今もわたしの中にキャサリンはいるのだ。
スマートではないけれど、そのぶん純粋さでは負けないわたしが。
そのわたしをもうちょっと出してあげたいなぁ。
そんなことを考えていたわたしの目の前で靴を履いていたキャサリンはブッとオナラをして、「Woops! 」と自分で驚き、「Sorry」と笑っているのであった。
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