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思えば遠くへ来たもんだ

わたしがアメリカに移住するにあたって、それまで大好きだったはずのハワイではなくカリフォルニアを選んだのは、前夫を亡くした後に、北カリフォルニアの聖地、シャスタ山を訪れ、すっかり魅せられたからでした。

シャスタという土地は、前夫を亡くした直後、サーフィンにしか生きる情熱を見出せなかったわたしが、次に見出した希望でした。ここに頻繁に通えような暮らしができるなら生きていたい。いや、どうせ生きているなら、ここに頻繁に通えるような暮らしをしたい…。

そうして、どうしたらアメリカで暮らせるのかの模索が始まりました。そのことについてはまたいつか機会があれば書きたいと思いますが、最初はシャスタが狙いだったので北カリフォルニアのサンフランシスコで仕事を探していました。サンフランシスコでもサーフィンはできないことはありませんが、かなりハードコア。だから、その時は、「サーフィン<シャスタ」で、シャスタに行けるならサーフィンはまあ諦めてもいい、とどこかで思っていたのです。

ところが、残念なことにサンフランシスコにはビザのサポートまでしてくれるような仕事の募集がないとエージェントに言われました。「ロサンゼルスなら何社かありますが、どうしますか?」

以前、シャスタに滞在した時、ロサンゼルスから来ている人もいたので、「理想ではないけれどまあいいか」と面接を受けることにしました。アメリカのビザは厳しいので、えり好みせず、まずは行ってみることを優先させよう、もし神様(みたいなもの)がわたしの希望を許してくれるなら、行ってしまった後にまたその次の扉が開くだろう、そう考えたのです。

そうしてめでたくロサンゼルスの会社に採用してもらい、渡米。ところが、その数ヶ月後に、サンディエゴの支社に行ってもらえないかという相談を受けます。サンディエゴといえばカリフォルニアの南端、メキシコとの国境沿いです。対してシャスタはカリフォルニアの北端、オレゴン州との境目です。えー!サンディエゴなんて行ったらシャスタからさらに遠のくじゃん!

それでも、その異動を引き受けたのは、その数年前から頻繁に「サンディエゴ」というワードを聞くようになって、自分の心のどこかに印象的に刻まれていたからでした。シャスタに2ヶ月ほどの長期滞在をした時も、なぜか「サンディエゴ」という言葉がいろんなところから入ってきて、これはサンディエゴに行けということかと、旅程の変更を検討したこともありました(結局、変更するとだいぶお金がかかることなどが判明して、その時は諦めました)。

それで、異動を承諾し、サンディエゴ入り。その瞬間、「ここ好き!」となりました。自分が渡米する直前まで住んでいて大好きだった湘南の空気ととても似ている気がしたのです。自分には合っていると。

あくまで「たられば」の話ですが、もしあの時、異動をせず、ロサンゼルスで働き続けていたら、ある程度のところで日本に帰りたくなって帰っていたと思います。

そんなこんなでサンディエゴに住み続けて7年。渡米の当初の目的だったシャスタにはもちろん何度か足を運んでいます。でも、サンディエゴの暮らしが好きすぎて、シャスタに通いたいから北に引っ越したいとは思いません。

何を書きたいかというと、こんなふうに、目標とか希望とかは変わっていくものだということ。いや、もっというと、神様のような大いなる存在は、わたしがどこに行くといいかがちゃんとわかっていて、でも、何度そのようなサインを送ってもわたしが動かないものだから、まずはサーフィンという目下の情熱をあてがい、次にシャスタという目標を吊り下げ、わたしが動きやすい目標に噛み砕いて、順を追ってここにたどり着かせたんじゃないか、そう思うのです。

だからね。今、なんか知らんけど気になる、やってみたい、ということがあるなら、それが何であれ、その先がどう繋がるのかわからなくていいから、やってみたほうがいい、って思います。シャスタという最初に決めた目標を達成してそれを維持することが大事なわけではないのです。言い換えると、目標に向かって頑張ることは大事だけど目標に固執することはないということでもあります。

目標ができて、それに向かって行動する、そうするうちにまた次の目標ができて、それに向かって行動する、その積み重ねというかたぶん積み重なってはいなくて化学反応のように変化していく瞬間瞬間を味わうことが生きるってことなんだと最近は考えています。

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