見出し画像

すべては宇宙の采配って実感した

本日のヨガの瞑想のクラスで、P先生が言った。

「実は数年前のパンデミックでスタジオを閉じざるをえなくなった時、リタイアするつもりだった」。

P先生は70歳。年齢も年齢だし、もう引退していいのではないか、と皆が言ったし、自分もそうしようと気持ちを固めつつあった、と。

P先生のその話は何度か聞いたことがあったのだが、今回はより詳細に話が及んだ。

一人の生徒、Rに、「引退するつもりだ」と話した時、Rは「引退しないでほしい」と懇願した。

「でも、スタジオを開くことが禁止されている中で、俺にはできることがない」とP先生が言うと、Rは「オンラインのクラスを開けばいい。やり方がわからなければ自分が手伝う」と言ったそうだ。

それでパンデミックの中、オンラインのクラスが始まった。

なんか、その話を聞いて、私、涙が出ちゃったの。

私はP先生のヨガスタジオの存在をパンデミック前から知っていたのだけど、自分の行ける時間にクラスがなくて、結局一度も行けていなかった。

パンデミックになって在宅勤務になり、時間にちょっと余裕ができたところでP先生のサイトを覗いてみたらオンラインでクラスがあると知って、「ようやく参加できる!」と速攻申し込んだのだ。

今、私はP先生のクラスを取れていることに心からウキウキしていて、ティーチャートレーニングまで取って、「ようやく師と出会えた」と感激しているんだけど、その出会いはパンデミックがなければもたらされなかった、と思っていた。

でも、そこにもう一つの因子、Rというのが深く関わっていたって知ったことで泣きそうになってしまったのだ。

なんというか、宇宙の采配の素晴らしさを見せてもらったような気がして。

私には、P先生と自分と、その間をつなぐ宇宙しか見えていなかったけれど、P先生と自分とその間をつなぐ宇宙というのはそこにいる全ての人が含まれているんだって理解できたというか。

もともと理屈では理解していたけれど、Rという実在の人物を認識したことで、よりリアルな体感として感じられたのだ。

P先生だけでなく、Rと私もまたきっと遠い昔にどこかでこの契約(先生と会えるように助けてねっていう約束)をしてきたのかもしれない。

なんて、私のマインドは壮大な宇宙の物語の中に溶け込んで、なんともいえない幸せを感じたのである。

思えば、パンデミックの初期、私は、R先生とは別の先生、M先生のヨガクラスをオンラインで取っていた。

M先生もまた私がずっと教わりたいと思っていた先生で、パンデミック初期に早々にオンラインクラスをしてくれたことで、クラスに参加できるようになった。

ところがM先生は、パンデミック中期に引っ越しをされた。理由は彼女の長年の夢を叶えたからで、私は再びヨガの先生を探す難民に戻ってしまった。

しかし、それがあったから、今のP先生のスタジオのことを思い出して、ウェブサイトを見に行き、オンラインクラスがあることを知ったのだ。

M先生自身は、生徒を手放して、自らの道に進むことに、もしかしたら罪悪感や抵抗があったかもしれないが、結果オーライというか、少なくとも私はM先生と離れたことがP先生の指導を受ける直接の引き金になったので、全てはパーフェクトだったとしか思えない。

しかも、それまで自宅で一人でプラクティスすることを好んでいた私が、先生の指導があることやクラスに仲間がいることの良さを再認識したのはM先生のクラスを受けたからこそ。

何より、自分より少しだけ先輩のM先生が、自身の夢に挑戦して叶えたってことがインスパイアリングで、私は大いに力をもらった。

すべてが聖なる契約。

この宇宙では、すべての人が間接的に関わっていて、その一人一人の決断が、本人の預かり知らないところで他の人の人生に影響を与えている。

そう考えたら、どんな小さな行動も、誰の役にも立っていないってことはまずないし、いつだって自分の心の奥の声(それが宇宙)を大事に行動したいなって改めて思うのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?