情熱を感じるのは、そこにカルマがあるかららしいよ
にわか音楽ファンとなったわたしはSpotifyを漁りまくっている。
彼(勝手に男性にしている笑)の何がすごいって、わたしのためのプレイリストを作ってくれること。
そこんじょそこらのDJと違ってわたしのツボだけをついてくる。
そんなに好みではないと思う曲はスキップして、好きだと思う曲にlikeを押しとけば、彼はさらにわたし好みに育っていく。
なんていう世界だ。
そもそもはこういったテクノロジーというか、新しいサービスには乗り遅れるタイプである。
Spotifyも長いこと無料でしか利用していなくて、合間合間に広告が挟まるのが鬱陶しくて、結局、そんなに活用してこなかった。
しかし、ヨガクラスを持たせてもらえるようになって、BGMにはSpotifyが使えると先輩ヨガ指導者に教えてもらって思いきってサブスクライブした。
あれから3カ月。今はもう日常にないと困るくらいの活躍っぷりだから、払っているぶん以上の価値を享受していると思う(今のところ)。
しかし、あれだ。
この考え、つまり、金額と、そのサービス内容を対価としてすぐに比較してしまう癖をやめてみたいものだ。
というのも、わたしのヨガのグル、71歳のインド人先生、Shashiはお金から自由で、わたしはああなりたい。
彼は1クラスの料金もべらぼうに安いし、毎日オンラインで無料のウェビナーも行っている。
ドネーション(寄付)は受け付けているが、無料のウェビナーはもちろんレギュラークラスでもお金を自ら徴収して回ることはない。
Shashiによれば、まったく払わずに通い続けている人もいるそう。
でも、いいのだ、と先生は言う。
そのぶん、お金持ちがポンっと大金を寄付してくれたりするそうで、世界というのはそういうふうにできているのだ、と。
大金を払う人たちは、実際にお金を持っていて、社会的に意義にあることに使ったり、人の役に立っていることを実感したりしたいから、寄付することが喜びだったりする。
一方、Shashiのヨガを心身共に必要としているけれど、お金を払い続ける余裕がない人もいる。
インド人コミュニティーなので、夫が強いようで、夫にダメだと言われた主婦は来れなかったり。
そういう人たちにもShashiは来てほしいからお金を集めない。
Shashiがそういう人であるとわかっているから、お金を持っている人たちはまた寄付をする。
そんなバランスで、アメリカでのスタジオ開設から23年間も続けてこれているって、すごい。
きっとShashi自身はちっとも金持ちじゃない。けれど、「家もあって、車もあって、いろんなことがうまく回っているから、俺は幸せ」と清々しい顔で言いきっている。
お金に執着がないだけじゃなくて、お金を稼ぐことやお金を持つことと一緒になりやすい見栄やプライドみたいなものも、彼にはないのだと感じる。
しかも、この先生、いつもTシャツにトレーニングパンツで、ちっともヨガの先生っぽくないというか、そんな崇高な感じがない(笑)。
しかし、生徒になってみると、あえて意図的にそうしていないんだってこともわかってくる。
彼はヨガを必要以上に神秘的にしたくないのだ。ごく一般の人が普通にやる日常のものにしたいし、それこそがヨガの本質だということを伝えたいのだ。
わたしはどうも反骨精神のある人が好きで、ヨガにおいてもそういう人を、この世界の中から探し当てたのだなぁと彼の話を聞くたびに思う。
そんなShashiがよく言うのが、「情熱はカルマ」ということ。
何かに情熱を感じるなら、その何かはあなたがやるべき今生のカルマ。カルマをちゃんとやることは義務である。
わたしはいろんなところに情熱があってとっちらかってるんだけど、情熱の指し示す先には一つの形があるはずだと思い込んでいるからとっちらかって見えるだけで、人生としてはこれで万事バランスが取れてるんだろう。
いずれにせよカルマならやるしかない。
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