さよなら、ライター(1) 大学生、フリーライターになるの巻
ライターという仕事を初めてしたのは今から25年ほど前。まだ大学に在学していた頃だ。
当時、私は進路に迷っていた。
一般的な就職が自分に合うとはとても思えなかったけれど、かといって働かないわけにはいかないと思っていたし、その頃少しずつ認知され始めていたフリーアルバイター、通称フリーターになるのはちょっと格好がつかないというプライドもあった。
じゃあ、自分は何がしたいのか?
書くことを仕事にしたい。
大学生、しかも、大学生の中でもとりたてて人生経験が豊富でない方の大学生だった私には、書くことを仕事にするためには何をどうすればいいか、まったくわからなかった。
出版社や新聞社への就職を考えるのが普通かもしれないが、折りしも就職氷河期、自分が大手の会社に就職できるとは1ミリたりとも思えなかったし、そもそもリクルートスーツを着て就職活動をすることを考えただけで鳥肌が立つくらいの抵抗があった。
だいたい、私には、世の中をどうしたいというような志はなかったので新聞社ではまずない気がした。
そして、私はただ書きたいだけであるから、出版社でもないと思った。
出版社というのは書き手というより編集者のいるところだし、入社できたからといって書籍や雑誌の編集に携われるとは限らない。
そもそも、世の中にこんな読み物を出したい、という希望など何もなく、ただ書きたいというだけの私に最適な席が出版社にあるわけがないことは、大学生の私にも容易に想像ができた。
じゃあ、どこに行けば、私は書く仕事ができるのか?
そんなことを、別に24時間考えていたわけではないが、来年には大学を卒業する予定であるという夏のある日、「なんか面白いアルバイトないかな?」と軽い気持ちでめくっていたアルバイト情報誌に載っていた募集要項に私の目は留まった。
「ライター(アルバイト)募集。未経験歓迎」
その時、私は、初めて「ライター」という書く仕事があることを知った。
募集していたのは中目黒にあった編集プロダクションで、『あさやん!』というぶんか社が発行する男性向けファッション誌のムック(別冊)のライターを探しているということだった。
さっそく応募すると、すぐに返事が来て、面接の日時が決まった。
中目黒駅を出て改札を背に左に曲がって10分ほど歩いたところにその編集プロダクションはあった。
その頃、私は千葉の実家で暮らしていたので、中目黒は決して近い場所ではなかった。
ところが、その数年後には恵比寿に勤めることになって、中目黒のお隣の祐天寺に一人暮らしすることになるのだから人生とは不思議なもんである。
面接をしてくれたのは編集プロダクションの社長で、優しい目をした物腰の柔らかな男性であった。
「どうして応募してきたの?」というような質問に、私は意気揚々と、自分は書くことが好きで、それを仕事にしたいと思っているのだ、という話をしたように思う。
社長は、ライターは必ずしも文章力だけでなく、取材力や企画力も求められる、といった基本的な心得を教えてくださった。
それは未知のことだったけれど、学校の勉強よりずっと面白そうだと感じた。
挑戦してみたい、と。
社長は、ライターという仕事は業務委託が多いこと、つまり、どこかに就職しなくても業務委託の仕事をたくさんやって生計を立てているフリーランスライターなる人たちがこの業界にはたくさんいることも教えてくれて、私は希望を抱いた。
その仕事、やりたいかも。
そうだ、卒業後はフリーランスライターになろう。
私の目はきっとキラキラとしていたと思う。
「もしもライターになりたいなら」と社長は続けた。
「今回のムックの仕事の出来次第では、今後も仕事をお願いするよ」。
かくして、私は、就職活動することなく、かつ、どこかに就職せずに仕事ができるという可能性にかけて、目の前に突如として開けたフリーライターへの道を一歩踏み出したのであった。
1998年の夏だった。
(続く)
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