ずっと昔のどうでもいい伏線が20年以上の時を経て回収された
カティサークという言葉を知ったのは、村上春樹さんの小説だった。
当時、高校生だった私にはそれがお酒であるということがわかれば、それ以上はどうでもよかった。
つまり、特に興味を持つことはなかった。
村上春樹さんの小説そのものには熱中し、20代30代と熱狂的なハルキニストだったが、前夫が亡くなった後はそうでもなくなった。
村上春樹さんの小説に限らず、小説というものが読めなくなった。
ついでにいうと映画もダメになった。
これは何度か書いたことだけど、夫を亡くした後のいろいろな感情を処理するのに必死だった私は、架空の物語に心を使う余裕がなかったんだと思う。
小説や映画、いわゆるフィクションに触れることが面白いと感じられるようになるのには夫の死後5年以上かかった。
おかげさまで最近は、一時期離れていたということを忘れるくらい、私の日常に本や映画が戻ってきている。
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昨日は、映画『グリーンブック』を現夫と一緒に見た。
夫は映画を見ながら「この人(主人公)、いつも同じお酒を飲んでいるね」と言った。
いつもそうなんだけど、夫は私と見ているところが全然違う。
それがつまらんと思ったこともあったけど、最近はむしろ面白いと思うようになった。
何せ、自分にない視点をくれるからね。
けど、だからといって私はそのお酒に特別の関心は持たなかった。
実話がベースの物語だから、本人が生前に愛していたお酒を忠実に再現したんでしょう、くらいにしか思わなかった。
ところが映画の最後に、主人公がバーに行って、バーテンダーにこう注文したのである。
「カティサーク」
その時、ついに私が反応をした。
「カティサークって、村上春樹の小説にいつも出てくるお酒じゃん!」
夫は言った。
「そうだよ、この男の人がさっきからずっと飲んでいたあの黄色いラベルの瓶がカティサーク。スコッチウイスキーだよ」
おおおおおおおお。
何だろう、この気持ち。
遠い昔にちょっとだけデートして、でもいろんなタイミングが合わずに疎遠になった男の子が、実は今も私と無関係ではなかったことに気づかされたみたいな気持ち。
いや、違うか。
これまではただの点でしかなかった物事が、他の点とつながって線になったことで、その輪郭が少し見えてきたような興奮、かな。
輪郭が見えてきたら、俄然興味が湧いてきた。
そもそもカティサークって、どういう歴史背景のあるお酒なのか?
どういう人たちが好んで飲むお酒なのか?
ググってみたら、村上春樹さんの小説の主人公たちがなぜカティサークを愛好するのか、そしてグリーンブックの主人公の黒人ミュージシャンがなぜカティサークなのか、私なりの仮説ができた。
今まで読んできた物語に、もう一つ深い階層があったことに気づいて、物語の深みがまたグッと増した、とでも言おうか。
もちろん、作者があえてそこを狙ったかはわかりようがないのだが、いいのだ、作品をどう味わうかはどこまでいっても受け取り手の個人的体験でしかないのだから。
そのことで、私は思った。
中年以降の人生の面白さって、この伏線回収がどれだけできるかで変わってくるのかもしれない、と。
いや、もちろん、これは私の思うこと、流行りの言葉で言えば、私の感想でしかないんですけど。
しかも、今回の場合、カティサークが何かわかって興味が出てきたってだけのことですけど。
でも、カティサークみたいな、一見すると重要度は低そうな情報が私の中にたくさん放り込まれていればいるほど、後に思わぬところで点と点がつながる機会が増えるだろうし、点と点がつながればつながるほど、感じ取れる世界が深まって、物事の面白みが増すんじゃないか。
もしかしたら、それが豊かさってやつじゃないか?
っていうか、人生とは壮大かつおもろい伏線回収の物語なんじゃないか?
そんな気さえしてきて今後の伏線回収が楽しくなってきたアラフィフがここに一人。
今夜はカティサーク飲んでみるか。