見知らぬあなた、見知ったあたし
ユパはテリア系雑種だと推測されている。体の大きさは小型犬よりは大きく中型犬というには小さいというサイズ。ヒゲのような毛が顎まわりにあって、そこだけはアイリッシュテリアっぽいけど全体のフォルムとしてはジャックラッセルテリアに近い。気に食わないとすぐに歯を食いしばってウゥゥと静かに唸って不快感を露わにするあたりはチワワも入っているように思う。
まだ一歳になる前、去勢手術を受けに行った動物病院の受付でユパにそっくりの犬と出会って犬種を聞いたら「ラットテリア」とのことだった。ウィキペディアによるともともとはネズミ取りに特化した犬を作る目的で交配されてできた犬種のとことだった。
逃げる小動物を追うことも、死んで落ちている小動物に興味を示すことも、我が家の犬は二匹ともするが、ユパの方はその動物をさっと口に咥えて爛々と目を輝かせて野生のスイッチが入るので、「なるほど、ラットテリアっぽい」と納得した。
野生のスイッチが入るとこちらの言うことなどまったく聞いてくれなくなり、ただ一心不乱にその動物をいたぶって味わう見知らぬ生き物と化す。小さくて、甘えん坊で、構ってほしい時にはクゥンと可愛くなくことさえ心得ているペットである犬が、自分の理解の及ばない顔を持っていることを見せつけられるのはどこか居心地が悪い。
できればそんなユパは見たくなくて、犬たちを裏庭に放つときはいつも祈る。どうか犬たちがわたしのペットであり続けてくれますように。でも、それはあくまでわたし本意の望みであるってこともわかっている。
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そのことで思い出したのは5歳年下の弟のすねに、黒々とした太いすね毛を発見したときの気持ちだった。
もう子どもの足じゃなかった。
小さい時は男も女もなくて、一緒に人間の子どもをしていたのに、いつのまにか男と女という、互いに理解したいようで理解できない違う領域に行っちゃったということがひどく悲しかった。
弟が知らない生き物になっちゃう、と。
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前の夫が亡くなった直後、ひどく打ちひしがれたのも本質的には似たような理由だったかもしれない。
たくさんの人が残された妻であるわたしのところに来て、夫との思い出話を語ってくれた。
でも、ほとんどは、わたしの知らない夫であった。
そのときのわたしには、わたしの知らない夫がそこかしこにいたということは受け入れがたかった。
「違う、違う、みんなは本当の彼を知らない!」と心で叫んでいた。
わたしだけが本当の彼を知っているのだと思いたかった。
葬式の日、わたしはそれを証明したくて、つまりわたしこそが本当の彼を知っていると知らしめたくて、喪主の挨拶の原稿を書いた。
でも、葬式の会場である池上本門寺に向かう途中の車で何かが違う、という感覚が拭えなくなった。
夫が「やめて、やめて、そのイメージをみんなに植えつけないで」と言っている気がした。
それで直前になって原稿を読むことはやめて、即興で思いついたことをそのまま話した。
何を言ったかは忘れてしまったが、一つ覚えているのは、「みんなそれぞれにそれぞれの彼のイメージ、思い出があると思うので、それを時々思い出してもらえたらきっと夫は喜ぶと思います」ということ。
あの時はわかっていなかったけれど、わたしがもともと用意していた原稿は、わたしの知る彼を人々に押し付けることを目指してしまっていたんだろうなと今わかる。
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ここのところわたしがずっと格闘していた、「一つの役割に自分の全部を詰め込もうとする問題」は、つまるところ人の多面性をどこかで否定していることに起因しているのだと思った。
もちろん、頭では人は多面的で重層的だということはわかっている。でも、どこかで自分がそうであることを許していなかったんじゃないか。
わかっていても許せなかったのは、多面的な自分を見せてがっかりされたという体験のせいかもしれないし、コロコロと変わりすぎることが短所であると言われたせいかもしれないし、たぶん原因は一つだけじゃなくていろいろなんだと思う。
そうとしか生きられなかったことが悪いことでもない。
世の真理なんていうものはとっくのとうにあらゆる人に言い尽くされていて、みんなそれが真理だと心のどっかではわかっている。
問われるのは、「では、その真理を体験したか?」というところ。
少なくともわたしは、もう知っているはずの真理を「なるほど、なるほど、なるほど」と体を通した経験として納得したくて生きている気がする。
見知らぬあなたがいていいし、見知ったあたしでなくていい。
ようやく本当に許可を出せた気がするが、過去も散々「ようやく許可を出せた」などとまるで悟ったかのようにしみじみしてきたので、きっとこれは次の問いへの始まりでしかないんだとも思う。
年を重ねるにつれ、人生をロールプレイングゲームみたいに感じるようになった。
次のダンジョンはどこだ。どんとこい(でもお手柔らかにと頼む)。
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