だって、もう好きじゃないんだもん。
ここは、夫に対して「好き」を
感じられなくなった後の夫婦関係について
ずーーっと考えているnoteなので、
私は日々、
夫を好きでなくなった理由や、
本当はどうして欲しかったのか、
自分はどうすればよかったのか、
今どうして欲しいのか。
今どういう気持ちで過ごすのが
1番居心地がいいのか、
そんなことを色々考えています。
そういう考えを整理して
文章にまとめて、
自分の考えを客観的に見てみたい。
noteに公開しているのは
そんな目的があるような気がします。
書こうと思えば、
夫への不満はいっぱい出てきます。
日々生活していても、
ほら、
そういうとこ。
そういう考え方。
そういう態度。
嫌悪感を感じてしまうところは
たくさんあります。
夫のこんなとこがダメだから
私は夫を好きになれない。
癒しを他に求めてしまうのは
仕方ないこと。
そういう論調で
文章を書きたいと
思ってしまっていて。
そういう心で、
夫にモヤモヤした出来事を
たくさんここに書き連ねていました。
でも、
最後まで書けなかったんです。
文章にしてみると
途中で気づかされるから。
そういう夫の態度は、
ただの家族でいいなら全部許せる。
笑って許してあげるくらいの
些細な事なのだと。
夫を好きにならなければならない。
そういうプレッシャーを感じるから、
嫌悪的な見方になってしまうだけなんだって。
理性的な頭で考えればわかります。
わたしがモヤモヤすることなんて
些細な事ばかりで
それに代わるような
いいところ、
得意なところが、
夫にはたくさんあると。
そして、私ができない事で
夫ができることもたくさんありますし、
夫が私にモヤモヤしても
いいだろうと思えるような、
私の至らぬ点も多くあります。
子どもが小さい頃
夫婦2人でたくさんの大変なことを乗り越えました。
毎年毎年、今年は試練だね。
そう言い合って、労い合ってました。
もやもやする事も
多かったけれど、
助かる事もたくさんしてくれた。
だから、夫はダメではないんです。
ただ、なんというか…
目標を共有できなかったんですよね、
夫とは。
私は、日々の生活にこんな理想を抱いています。
・心地よく片付いて、ふと顔を上げると
お気に入りのモノが視界に入る。
そんな生活がしたい。
・簡単なものしか作れないけれど、
ある程度栄養バランスを気にしながら、
美味しい食事が食べたい。
家族それぞれが美味しいと思えるものを
食べられる食卓にしたい。
・子どもと楽しい時間、明るい気持ちを共有したい。
もちろん、
体調によって、気分によって、
面倒が勝つ事も多いです。
何もしたくない、
見えないことにして
放っておこう。
適当に済ませちゃおう。
そんな日もたくさんあります。
でも、理想はあくまでもそこにあるんです。
その日その日、
自分の理想とすることの
どれかだけでも、
目標に到達できれば、自分自身
とっても満たされた気持ちになれるんです。
もちろん、全てできない時も
至らない時もいっぱいあります。
そんな時は、自分で自分を許してあげます。
そして、がんばれる時は
新しいことに挑戦したり、
子どもと一緒にできる楽しい何かを考えたり。
ちゃんと家事をしたり。
そんな風に過ごすんです。私は。
でも、たぶん夫の理想は違う。
家では家事は極力何もしたくない。
家族が何を楽しんで、
どんなことをおもしろいと
思っているか、
にもあまり興味がなくて。
自分だけの好きな趣味をして、
あと気が向いたら
興味を持っていることの勉強をして。
そんな感じで過ごせたら
それでオッケー。
そういう意識を感じるんですよね。
家事については特に
しない方に、しない方に
私を持っていこうとする。
無理しなくていいよって。
私がする余裕がないなら
替わりに僕ががんばって
素敵な生活を創るよ!
とはぜーーーったいにならない。
ちょっとくらい汚くていいよ。
ご飯は適当でいいよ。
妥協でいいよ、
何もしないで過ごそう?
そういう考え方なんです。
洗い物に溢れ、
洗濯物に溢れ、
床に埃が目立ったら
その積み重なって
溢れた部分は僕がやるよ。
僕に任せて!
休んでいていいよ!!
そんなふうにドヤって言ってきますが、
溢れた部分を無くせたら、
残った汚れは、
もう見えないんです。
目標がキレイな状態である私からしたら、
私の気分はそんなんじゃ
全然スッキリしません。
そんな夫なので、
自分のボーダーラインをクリアしたら
あとは、私の機嫌を損ねないことという基準で
いつも私の様子を伺ってくるんです。
自分がどこまでやれば
妻の機嫌を損ねずにすむのか、と。
この、私の機嫌を探られるのが
本当に嫌で。
けど、気づいたんです。
そもそものゴールラインが異なるから、
どこに目標設定したかいいのか
夫にはわからないんですよね。
私のゴールは高すぎるので、
私自身もいつもは達成できないものです。
だから、その目標ラインを
夫に押し付けるのは
違うとわかっています。
また、今日はこの辺で良しとしよう、
というボーダーラインも
私の気分で常に変化しているものですから、
私がご機嫌でいられるラインを
対話で伝えるなど無理な話ですし、
夫にそれを代わりに叶えてもらおうと
期待するのも馬鹿げています。
これが感覚の違いってことなんだな…って
思うんです。
そして人の感覚というものは、
他人が変えられるものでないことも
わかっています。
だから、夫とぶつかり合いながら
彼の中の感覚を変えていこうとは
思っていません。
本来、感覚の違いって、
実は「好き」という気持ちが
あれば容易く乗り越えられるもの
なんだと思うんです。
そして、「好き」の気持ちで
感覚の違いが
見えなくなるから
結婚に踏み切れるのかな
なんて思ったりも。
でも今、長く相手と共に生活し、
すでに相手を知り尽くして、
その上で
「好き」がなくなってしまった
私にしたら、
この感覚の違いから来る残念感を
日々感じている中で
もう一度「好き」を呼び起こすなど
無理な話なんですよね。
だからもう、
八方塞がりで。
なぜ婚外を求める前に
夫との関係改善を図ろうとしないのか。
その理由は…
「だって、もう好きじゃないんだもん。」
こうとしか
言えなくなってしまうんですよね。