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自分は間違っていないという頑固な自分

何を隠そう私は謝るのが苦手、というか嫌いです。子どもの頃からです。

特に家族関係のことに関しては特に(もろに)そういう面が出てしまいます。

今年のゴールデンウィークに帰省した際に、
家族のことでだいぶモヤモヤした出来事がありました。

そのことに関して自分の中におさめておくのが苦しくてnoteに書き、有料記事にしました(closedにしたかったので)。


そっと小さな箱に入れて心の奥の方の手が届かない場所にしまいこんだつもりでした。

それでもモヤモヤした気持ちが消えることはありませんでしたが
仕方ないので放置していました。

昨日、きっかけは忘れましたが、
ふと、そのことに関して、ある思いが降ってきて
涙が出てきました。

人間同士のすれ違いは、
例え想いがあっても表し方によっては誤解や反発を招いたり、全く理解されなかったり毛嫌いされたりしてしまう。
とても繊細なようでいて、俯瞰してみるとどうでも良いような、
危うさと曖昧さをはらんでいるなと思います。

その方法は自分は嫌だったけど、
相手の行動が、どんな想いからの行動だったかを感じることが出来た時
ゆるそう、という気持ちになりました。

そして涙が出てきました。

うまく言葉で伝えられなかった自分自身への悔しさ、
すぐに頑丈なシャッターで心を閉ざしたくなる自分の極端さへの嫌気だったり、
そんなものもありましたが
私は私の心を守りたくてそうしていたんだよね、とか。

こういうところが3ハウスキロンぽさかな、とか。

誰が正しいとか、間違っているとか、そういうことでもないような気がするけれど、自分の中にある「私は間違っていない」みたいな思いが頑固にあぐらをかいてぴくりともせず居座っているような感じがします。(こいつがなかなか手ごわい)

NVC等を少し学んで、理屈で「人にはそれぞれに大切にしたいことがある」「怒りが湧いてくるのは自分が大切にしたいことが大切にされなかったから」と分かったとしても、頭で理解するのと、心で感じる、落とし込むのは全くの別物だと思っています。
(深いところまで下りて行って自分自身に共感することが先なんだろうな、とまた頭でばかり考えようとしてしまう)

だからこそ、こういう時には、相手が必要なんでしょうね。

なんとなく、その後のことについて書きたくなったので書いてみました。


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