思い出が語り継がれない?!
誰に頼まれたわけでもないけれど
今、誰に頼まれたわけでもないけれど、取り組んでいることがあります。
「取り組む」というほど大げさなものでもないけれど。
7年間保育士として勤めた児童養護施設で感じたこと、知ったこと。
思い出が語り継がれない
それは、特に幼いころから児童養護施設で生活している子どもは、多くが担当がコロコロ変わってしまい、思い出が語り継がれないということ。
アルバムは後から見た時にもわかるように、その時その時コメントを入れて残してはいるけれど、写真に残っているのって生活の中のほんの一部。
(アルバムにコメントを残す残さないも担当次第・・・)
例えば、夜寝る前の時間帯のこととか、
食事中のこととか、
お庭で遊んでいる時のこととか、
何気ない日常の中の何気ない出来事やエピソードは
写真に残っていないことが多いんですよね。
みんなが知りたいこと
小さいころから関わってきた子たちが少し大きくなったとき、
「〇〇ちゃんは小さいころこんな感じだったんだよ」
というエピソードを伝えると
「ぼくは?」「わたしは?」「あとは?」
とみんな延々と聞きたがります。
それはきっと誰でもそうだと思います。
自分には記憶がないくらいの小さいころのエピソードって
小さいころの自分を知る人(一般的には親や兄弟、親戚)からしか
語られませんよね。
そんなエピソードを語ってくれる人が身近にいたらラッキーだと思います。
私が前職時代に特に密接に関わった子には思い出ノートを作って渡そう、と思いました。
誰に頼まれたわけでもないけれど、
私にできる精一杯のことはしたいと思って。というか、これは結構重要な任務だと個人的に思っています。(誰にも頼まれていないけど)
後回しになってしまった重要任務・・・。
本当は退職前に完成させられれば良かったのですが、
間に合わず。
今、まだ製作中です。
そんなに立派なものではないけれど、
私が知っているその子のかわいさ、面白エピソードなどを
メモのような感じで絵と言葉で記して渡せたら良いな、と
思っています。
因みに前職時代は全く余裕がなく、髪もボサボサ、顔も土色、服装も適当そんな日々でした。
(↓前職時代の激ヤバ写真大公開wこの前夜は諸事情あり眠れていなくて色々ヤバかった。)
自分を知る
当たり前だと思っていることは当たり前じゃない。
身近に頼れる親族がいる、頼れる友人、知人がいるって本当にありがたいことだな、といつも思います。
本当に愛されて育ってきたこと、今も愛されていることを忘れて
時に孤独を感じたり不平不満ばかりになってしまったりすることもあるけれど
どうかんがえても自分は幸せ者なんだよなあ、
と思ったりします。
因みに私は小さいころ野生児でした。
幼稚園時代、授業参観に来た母が、タイツは脱ぎ捨て裸足、スモッグのボタンは全部とれて前がガランとはだけている私の姿を見てびっくりしたと言っていました(笑)。
ワイルド~。
↓↓前職時代に感じていたことその①↓↓
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