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でこぼこがあるからつながり合える
先週受けた「みんなが元気になる新たなコミュニティ組織の再構築を目指して」というテーマでの研修。
鹿児島大学准教授の金子満先生から、社会がどのように変化しているか、その変化を認識し、何のための活動なのかを問い直していくことの必要性についてのお話があった。
話題はそこから戦後の人間形成の話へ。
決められたルートを進む農村社会を、能力主義の社会へと学校教育が変えてきた。
短所を消すこと、人に迷惑をかけないことを良しとしたもので、人に頼らない、助けてと言えない社会になっていき、真四角な人間をつくっていった。
社会に出たら協力してみんなでやっていく必要があるのに、宿題はなぜ1人でやるのか。
人に頼らないという価値観が染みついてしまっている。
地域行事を成立させるための人員であり、コミュニティであった自治組織は、助け合ってやっていくためのコミュニティに変わっていかなくてはいけない。
助け合い協力していくことの大切さを、次の世代にどう伝えるか。
お互いの心理的安全性をつくること、不安をなくすことの重要性を伝えていかなくてはいけない。
それぞれがパズルのようにつながり、お互いの得意、良さで補い合っていくためには、相手が何ができて、何に困っているのかがわからないとできない。
誰が何ができ、何に困っているのかを理解したうえでつながることが協力。
柳田邦男の言葉に「その昔、『学校で褒められる子ども』と『村で褒められる子ども』は同一ではなかった」というものがある。
人は立体的で、多角的な視点が大切。
色々な評価があるから人として存在できる。
今の社会はすべて一面的な視点で評価してしまっている。
求められる力があることで評価される。
求められる力がない人は、評価される人と比べて自分はたいしたことがないと感じ、存在を消していってしまう。
何かできることが正しいのではなく、できないこと、欠点があるからこそつながり、補い合える。
そうしたつながりによって、誰も取り残さない、底が抜けない社会になっていく。
というお話から、鹿児島で取り組んでいる「パズルピース型自治会支援システム」についての話があり、まだまだ続く。
人は立体的で色んな面があるのは当然なのに、一面だけを見てその人を評価してしまうことってあるなぁと思う。
昔読んだ本に、「この人はこういう人だと決めつけてしまうことで、相手の成長も止めてしまう」というような言葉があったのを思い出した。
できることや得意なことを活かしたり、できないことや苦手なことは人に頼ったり、助けてって言えるような関係づくりをしていけるといいと思う。