通勤日記ーちょっと聴き耳ー
まだ元号が昭和のころ、展示会の聖地といえば晴海だった。スーパーカーの登場にこころ弾ませた一九七〇年代、モーターショーは晴海のドーム館がメイン会場だったし、コンピュータが産業の基幹になってくると、データーショーやビジネスショーといった展示会も華々しく行われた。
それで思いだすのが、ある秋の展示会での出来事。鈴鹿でF1の日本GPが開催されていたその日、ぼくは晴海の国際展示場で出展者説明員の仕事をしていた。お昼ご飯を食べようと休憩をした十二時すぎ、ふとすれ違う人の言葉が耳に届いた。
「セナとプロストが一コーナーで接触してリタイヤだって」
秋の太陽が真夏のような光を放っていた。帰ってからテレビを観るのを楽しみにしていたのだが、その気持が仕事の意欲とともに急速に失われていったのを、いまでもよく覚えている。
そんな賑やかだった晴海。だが、いまはその面影すら感じることはできない。ドーム館を中心にいくつも立ち並んだ展示会場は取り壊され、晴海埠頭をわたる風だけが虚しく吹く、寂しげな場所になってしまった。
(2024年現在は、東京五輪の選手村が、分譲マンションとして、林立している)
晴海が廃れた原因は、幕張メッセへのシフトであった。最新のテクノロジーを駆使した幕張メッセは、老朽化が顕著な晴海の展示会場とは比べものにならないほど素晴らしかった。
だが皮肉なモノで、その後東京ビックサイトが開業すると、幕張メッセも展示会の誘致に苦戦することになった。すこし交通の便が悪いことが、ネックになったのだろう。都心から三十分くらいで行けるという、東京ビッグサイトのほうが、やはり魅力である。
そう、このはなしは、東京ビックサイトが開業したころのことである。
☆ ☆ ☆
ある日の帰り、有楽町線でのこと。その日は、東京ビックサイトでコンピューター関係の展示会をみて、そのまま直帰する予定だった。お台場のある十三号埋め立て地へのアクセスは、有楽町線利用者にとって比較的容易である。始発/終着の新木場駅から、臨海副都心線に乗れば、国際展示場前駅に着くからだ。
だから帰りも、臨海副都心線で新木場まで行けば、始発電車で志木まで座って帰れるわけである。座ってしまえば約一時間ちょっと、寝てもいいし本を読んでもいい。満員電車でもみくしゃにされる心配はない。まことに便利になったものである。
これも東雲やお台場が発展したお陰である。世界都市博は中止になってしまったが、鈴木都政の恩恵がこんなところで享受できるのは、まことに皮肉である。
余談であるが、今から三十五年ほど前に、ぼくはよく十三号埋め立て地で草野球をしていた。たしか東京都が管理するグランドがあり、比較的廉価に利用できたと記憶している。
その当時は、もちろんフジテレビもなければホテル日航もない、ただの原っぱと浜であった。浜でウインドサーフィンをする人たちがいて、海の家みたいな雰囲気の小さなショップがあったくらいである。
余談は続くが、ここでウインドサーフィンをしていた人のほとんどは、尿道炎や膀胱炎を患ったらしい。確かに東京湾の沿岸であり、あまりキレイな水ではない。これは、いわゆるお台場の風土病みたいなもので、尿道の短い女性に多く発症していたと記憶している。
ちょっとおしゃれなスポットではあるが、本格的に楽しむなら、水のキレイな九十九里とか伊豆あたりでやった方が、身体には良いと思う。
閑話休題。
そう東京ビックサイトからの帰りの話である。始発の有楽町線で席に座り、しばしぼーっとしていたら、新富町から乗ってきたと思われる女性二人が、ぼくの前で立ち話を始めた。ぼくは心の中で、ネタネタとつぶやきながら、二人の会話に耳を傾けた。
記憶をたどるとこんな話だった。
A「朝、東上線に乗ると、いつも一緒になる男の人がいるんだけど、その人いつも同じ女性の前で、吊革につかまるのよね」
B「へー、それで?」
A「でね、前で座っている女の人は、必ず要町で降りるから、その人の前に立っていれば、必ず座れるってわけなの」
B「そうなの」
A「ところが、最近その女の人を見なくなったのよ」
B「何で?」
A「やっぱり、同じ人が毎日前に立ているのがいやだったんじゃないの?」
B「うーん、わたしも嫌だな。その女の人の気持ち、分かるような気がする」
ぼくは思った。身体を鍛えようと思う人以外は、だいたい座りたいと思っているものだ。みんな疲れているし、朝は眠いわけだから。つり革につかまった男性だって、もしかしたら毎日深夜まで残業している人かも知れない。家に着くのが午前一時過ぎで、朝六時には起きたのかもしれない。ぼくには、このようなサイクルは日常茶飯事である。
だから、座りたいと思って努力している人の気持ちも、汲んでやって欲しいと思う。もし前で立っている人が、ジョージ・クルーニーとか木村拓哉みたいに格好よかったら、乗る電車を代えなかったのではないかと、うがって考えたくもなってしまう。
前で立っていた人の容姿などを推し量ることはできない。ただ一般論として、腹が出で頭が薄いというような、いわゆる典型的なオジサンスタイルの人は、若い女性から敬遠される傾向にある。テレビなどで面白可笑しく揶揄され、それを見た若い女性が増幅して行動を起こす、というサイクルが成り立っているように思う。
マスメディアは、もっとオジサンを養護すべきである。この国を支えてきたのは、オジサン達なのだ! オジサンが疲れた身体にむち打ち、夜な夜な励んだから、今の若者があるのだ!
まあそうはいっても、オジサンも、もっと努力すべきだと思う。自戒の念を込めていえば、容姿の改善に努めるべきだし、もし体臭を放っているのなら、対策を講じるべきだ。オジサンの人権を主張するためには、オジサン自身がまず改善努力を見せ、世間に認知させる必要があると思う。
その意味では、ぼくもまだ努力が足りないと思う。今のところ髪の毛は無事であるが、腹回りはずいぶん成長した。
・・・つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?