仕方 じん
木内万里子は、篠原真吾と山元哲哉をひきつれ、新宿のバーを訪れる。そこで知りあったマスターの悲しい過去に、時代の憐憫をおぼえ傷つく。そして、その出会いが大きな事件に巻きこまれて行く。・・・・
短編小説を掲載しています。
喜多嶋くんの物語の第一部です。
時代は1990年代。当時の通勤事情を、日記風に綴っています。
はじめての食材、はじめての味、はじめての香り、どれも驚きと感動。そんな「うまい!」を紹介します。
6 休息を知らぬ真夏の太陽が、容赦のない光の矢を放っていた。すでに十五日間も雨が降らず、連日の猛暑が、人びとの身体から水分を搾りとっていた。汗でワイシャツが貼りつき、肌色の背中が透けて見える中年サラリーマンを見ながら、万里子は新宿駅の改札をとおり抜けた。排気ガスの匂いが鼻をつき、微かな目眩を感じながら、いそぎ足で会社をめざした。 夏休みもおわり、一週間ぶりに出社した万里子は、会社の雰囲気が一変したことに驚いた。ビルの入口には、多くのマスコミ関係者だけでなく、過激な思想
万里子と篠原が金宮早苗のマンションを後にしたのは、午後九時をすこし回っていた。早苗の生々しいはなしが脳内をぐるぐる回り、夕食をとってないことにも気づかなかったが、外に出て生温かい風にあたった途端、二人のお腹がぐうと鳴った。 二人が車に乗り込むと、篠原が、 「先輩、どうしましょうか?」 「そうね。今日はもう遅いから、和歌山市内に一泊して、明日の午前中に老人ホームを訪ねてみようと思うの。光本孝次郞さんのお母さまにも会って、いろいろ話しを聞いてみたいし」 「了解です。和
恋人を失い、幼なじみの親友を失い、伸二は途方に暮れた。よりよい日本をめざし、世の中の不条理と闘うことが、自分自身のアイデンティティーだと信じ、これまで一生懸命走ってきたのに。その結果が、こんなことになるなんて。伸二は激しい懊悩に悶絶し、死で償うことも厭わないというところまで、追いつめられていた。 和歌山から上京した孝次郞の両親は、遺体を前にして激しく泣いた。きびしい家計をやりくりして進学を許したのは、自分たちの将来を支えてくれるという期待からだけに、受けた衝撃は計り知れ
昭和四十二年は、大学紛争の風が吹き荒れた波乱の年だった。ベトナム反戦集会や成田空港反対集会、そして安保反対をとなえた佐藤首相の訪米阻止闘争など、まさに学生と国家の闘いが繰りひろげられていた。伸二と孝次郞が大学に合格し、和歌山から上京したのは、そんな激動のときであった。 だが二人の学生生活は、嵐が吹き荒れるいばら道と、陽光に照らされた緩やかな坂道という対照的な景色の中で、親友という関わりが次第に薄れていった。高校時代から人権派弁護士を目ざしていた伸二は、もちまえの正義感を
車に乗り込んだ万里子と篠原は、頭の中を整理するように、遠くの海を見つめた。車のまえを、釣り竿を持った子供が通りすぎた。 「わたし、ずっと考えていたんだけれど、マスターって、本当は猪狩伸二じゃないかと思うの。光本孝次郞という人は、もうこの世の人じゃないし」 万里子は、溜まった思考をはき出すように、低い声で言った。 「そうですね。マスターが光本孝次郞でないことはハッキリしましたからね。だとすると、おなじ故郷をもつ猪狩伸二という可能性が高いですよね」 篠原も同意した。
5 翌朝、午前五時。 篠原は、鳥の鳴き声で目を覚ました。隣の運転席では、万里子が寝息をたて、まだ夢の中にいた。篠原は、万里子を起こさないように、静かにドアを開けると、爽やかな空気の中、トイレに向かい歩きだした。 万里子と行動をした三日間は、久しぶりの充実感を味わった。おなじ繰り返しで新鮮味に欠ける毎日が、いかに生活をつまらないものにしてたか、体験学習のようにこころに落ちていった。 毎日がドキドキするような日々だったら、どんなに楽しいだろう。現実は楽しいことばか
翌朝、二人は午前八時に目を覚ました。八時間以上睡眠をとったことで、長旅の疲れはだいぶ抜けた。 万里子と篠原は、手早く着替え、荷物を整えると、足早にチェックアウトした。ゲートから車を出すとき、人目が気になったが、さいわい歩行者の姿は見えなかった。 万里子は振り返ってホテルを見た。リアウインドウから見えた建物は、ライトアップされたときの華々しさとは裏腹に、かなり老朽化したものだった。まるで一夜限りで萎れてしまう、月下美人のようだと思った。 国道七号線沿いのコンビニで
「ママぁ、おねがいがあるの」 麻実ちゃんは、すこしはにかみながら、ママのエプロンを引っぱりました。 「どうしたの、めずらしいわね。麻実ちゃんがおねだりなんて」 ママは、晩ごはんの手をやすめると、ひとり娘の目線までひざを折りました。 ふだんの麻実ちゃんは、あまりものを欲しがりません。 どちらかといえば、ものしずかな恥ずかしがりやです。 こども用の英語教材であそぶのが大好きで、幼稚園からかえってくると、晩ごはんまでずっと、リビングですごします。 ママは、
入り口で靴を脱ぎ店内にはいると、ご飯が炊けるいい匂いが鼻をついた。ちょうど昼飯時だったので、入り口では順番待ちの人たちが大勢いたが、原田が事前に予約をとっていたので、三人は待たずに席につくことができた。 「結構人気があるんですよ、ここの『またぎ飯』は。県外からも観光客が大勢訪れますので、予約をしないと、待たされることも珍しくないんですよ」 原田が説明すると、 「ぼくはてっきり『またぎ飯』というから、獣の肉が出てくるのかと思いましたよ」 と、篠原。 「そう思うの
旅館「銀嶺荘」は純和風の落ち着いた佇まいだった。入り口で迎えた女将が「奥様、お荷物をお持ち致します」と手を差し出し、二人は自然に夫婦となってしまった。 理由を説明するのも面倒なので、篠原姓でチェックインした。万里子が氏名欄に「篠原信吾」「万里子」と書いたが、心臓の鼓動が激しくなるのを感じ、周りの目が気になった。 部屋に案内されると、二人は直ぐに温泉に入った。汗を流した万里子が部屋に戻ると、浴衣姿の篠原がスポーツドリンクを飲んでいた。 「あっ先輩、ずいぶんゆっくりで
4 午前三時だというのに、万里子が運転する車は、長い渋滞のただ中にいた。夏休みの帰省ラッシュを避けようと、昨夜の午後十一時に調布で篠原をピックアップし、そのまま首都高から東北自動車道に入ったのだが、それが徒になった。ハイウエーラジオの情報によれば、鹿沼インターの手前で大型トレーラーと乗用車の接触事故があり、二車線が規制されているとのことであった。 「もう仕方ないわね、事故じゃ」 万里子はため息と共に、ハンドルをたたいた。 「気長に行くしかないですよね。渋滞の先頭ま
万里子の携帯電話に原田からのメールが飛び込んできたのは、昼休みが近づく午前十一時三十分であった。自宅のパソコンに届くメールは、全て携帯電話に転送するよう設定してあった。万里子は差出人が原田健三であることを確認すると、すべての文面をダウンロードした。 (木内さん、お久しぶりです。返事が遅くなり申し訳ございません。いま青森の実家にいます。子どもたちが夏休みなので、気分転換に一家で帰省です。こちらも東京同様暑い日が続いていますが、湿度がそれほど高くないため、過ごしやすい日々です
二人は木島の自宅を後にした。 マンションの出口で、見張りの存在を確認したが、どうやら怪しい車や人影はないようだ。念のため二人はカップルを装い、よりそうような格好で通りにでたが、篠原は万里子が意外にふくよかな身体であることに驚いた。 「なんだか凄い話でしたね」 篠原が言うと、 「そうね、予想以上に凄い世界だったわね」 「ところで先輩、夕食はどうしますか?」 「そうね……、今日は真っ直ぐ帰りましょう」 万里子は少し考えると、意を決したように言った。 でが
この日の夜。 喜多嶋くんは、モヤモヤした気持ちを引きずりながら、赤羽橋のフレンチレストランにいました。テーブルをはさんで、恋人の上杉由希が、にっこり笑っています。 開放感を演出する大きな窓には、東京タワーの硬質な造形美が映しだされ、食事を楽しむ喧噪と食器のこすれる音が、心地よい賑わいを醸していました。 そこにピアノの生演奏がはじまり、まさに至福のひとときなんですが……。 「ねえ喜多嶋くん、なんか元気ないわね」 由希は、心配顔で言いました。 「そう見える?
ここに登場する喜多嶋祐輔くん、ジャズとクラシック音楽を愛する、二十四歳の若者です。北陸の工業大学を卒業後、東京のコンピューター会社「ヒュージソフト」につとめ、三年目の春を迎えようとしていました。 春とはいえ、まだ肌寒さの残る日々。世間では、小泉純一郎総理が推進する郵政民営化が、小泉劇場という言葉をうんだり、ライブドアの堀江貴文社長が発する「想定内」が流行語になったりと、まさに想定外の激動がうごめく一年になるのですが、このときの喜多嶋くんには、世の中の流行を追う余裕もなく
木島が初めて談合の場に出席したのは、経営調査部に異動して半年が経とうとしていた、晩秋の午後であった。その日は森山部長のお供という名目であったが、実際には、木島を談合関係者に紹介するのが目的であった。 会合は、赤坂にある小さな料亭でひらかれた。機密保持には格好の場所だということで、よく料亭がよく使われると、森山部長が木島に教えた。 この日の議題は、山形県Y市役所のコンピューターシステムの入札であった。指名入札であったため、出席者はオリエンタルコンピューターを含めて五社