通勤日記ー覗かれてー
JRの駅に有料トイレができたのは、いつ頃のことだろう。一九八〇年代の新橋駅に、チップ制のトイレがあったことは記憶しているが、それ以前にも東京駅にあったような気がする。
最近は無料のトイレにもアンモニア臭がなくなり、駅のホスピタリティーが格段に向上した。男子トイレにも、おむつを交換する台があったり、赤ちゃんを座らせる椅子があったりと、まさに至れり尽くせりとう感じである。
トイレットペーパーが備わっていたり、使用したペーパーをそのまま流せることは、日本人ならあたり前のことであるが、そうじゃない国も多いらしい。
人間の営みになくてはならないトイレ。この排泄の環境が快適であることは、豊かな暮らしの基礎であろう。
そんなトイレ事情が改善されはじめた一九九〇年代……。
☆ ☆ ☆
ある日の朝。有楽町でJRに乗り換えたとき、何となく下腹部に違和感を覚え、ホーム直下にあるトイレに入った。違和感といっても大きい方ではなく小用である。和光市駅で缶コーヒーを飲んだことが、ぼくをトイレへと誘ったのだろう。
よく利用するトイレは、最近改装されキレイになった。小用便器の横には、傘をかける突起物があり、なかなか工夫されていると感心させられる。ただ、隣同士を隔てる衝立のようなものがなく、ちょっと横を向くと丸見えになってしまう。別に覗き趣味はないが、覗かれるのは困りものである。
女性には分からないと思うが、男の場合、なぜかナニの大きさを気にする人が多い。銭湯に行くと如実に分かることは、自信のある人は前を隠そうともせず堂々としているが、少し自信のない人は決してソレを公開しない。
ぼくは、紳士のたしなみとして非公開を貫いている。
その日、トイレで小用を足していると、何故か隣の人に覗かれているような気がした。よく「気」を感じるというが、まさにそういう状態。覗いているのが見えたわけではないのだが、なんとなく視線を感じたのだ。
この日は缶コーヒーの影響からか、結構な量が排出されており、いつもより三割増しで時間がかかっていた。その間ずうっと覗かれ感が続くことに耐えられないので、意を決して隣の人に視線を向けた。
すると、その人は確かにぼくの下腹部を覗いていた。そして、ぼくをみてあわてて視線をそらした。この人は、なぜぼくの下腹部を覗いていたのだろう? 考えられることはいくつかある。
一つは単なる覗き趣味。秘めたるものを覗きたいという欲求はわかるが、人に迷惑をかけてまでするものではない。もしかしたら、彼は男性器に対するフェティシズムの持ち主かもしれない。
二つ目は単なる確認作業。自分の実力やポジションを確認するために、他人と比較することは一般的によく行われる。彼はぼくのナニを見て安心したのだろうか、ショックを受けたのだろうか。
三つ目は学術的な興味。彼はもしかしたら泌尿器科の医者、もしくはインターンかもしれない。いろいろなモノを見ることで、自分の見聞を広げようとしているのなら、まあそれは合点がいく。その場合、見慣れている医者より、勉強中のインターンである可能性が高い。
それにしても、最近の男子小用便器には、隣同士を隔てるものが無いことが多い。経費節減なのだろうか? ぼくが身を置くコンピュータ業界では、オープン化という言葉がひとつのキーワードになっているが、こんな場所でオープン化を推進することは無いと思うのだが。
と、そんなことを考えていたら、ぼくの小用も無事完了した。隣の男は、ぼくの視線に負い目を感じたのか、脱兎のごとく、猪突猛進し、電光石火の早業で、脱出していった。手を洗うこともせずに。
そしてぼくも、緊張感から解放され、悠然とトイレを後にした。
・・・つづく
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