1月8日
今日1月8日は、昭和64年が平成元年になった日です。
小渕恵三官房長官(当時)が、「元号は平成であります」と言って、その文字を発表してから、35年の歳月が流れたのですね。
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平成の「成」の字の、斜め線が妙に長かったことを思い出します。
いったい誰が書いたのでしょうか?
調べたら、河東純一さんという書家であり、国家公務員の人でした。
官記、位記、辞令書など揮毫したとあるので、書家としても、相当な腕前だったのでしょう。
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それで思い出したのが、霞ヶ関の官庁前に掲げられる、数々の表札の文字です。
素人のぼくが見ても、達筆とわかるものもあれば、そうでないものも。
いったい誰が書いたのでしょうか?
調べてみたら、あるホームページに答えがありました。
大蔵省:池田勇人
国税庁:水田三喜男
農林水産省:中川一郎
文化庁:灘尾弘吉・成瀬映山
内閣府:森喜朗
総務省:片山虎之助
国土交通省:扇千景
経済産業省:平沼赳夫
文部科学省:今井凌雪
防衛庁:瓦力
防衛省:久間章生
内閣人事局:稲田朋美
防衛装備庁:長谷川耕史
財務省:麻生太郎
まあ、味わいがあると言えば、そうなんですけれどもね・・・。
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もうひとつ。
この日は、中日ドラゴンズや西武ライオンズで活躍し、楽天ゴールデンイーグルスの初代監督となった、田尾安志氏の誕生日です。
1954年(昭和29年)生まれなので、今年で71歳になるんですね。
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田尾さんと聞いて最初に思い出すのは、やはり1982年(昭和57年)の中日対大洋の最終戦です。
ぼくもテレビ中継を見ていましたが、中日ファンでもないぼくも、こんなに口惜しい思いをしたことはありませんでした。
この日、すでに全日程を終了した読売ジャイアンツが、中日ドラゴンズと同率首位に立っていました。
だから中日は、最終戦で勝つか引き分ければ優勝という戦いでした。
ところが、この試合にはもう一つの見所がありました。
それは、大洋の長崎と中日の田尾による首位打者争いです。
田尾は首位の長崎に一厘差まで追いつき、この試合いかんでは首位打者のタイトルが取れる状況でした。
ところが、大洋の関根潤三監督がとった作戦は、長崎を出場させず、田尾に全打席敬遠させることでした。
長崎の打率が下がらず、田尾に打撃の機会を与えなければ、おのずと結論は導かれます。
田尾選手が五打席目の敬遠に抗議の空振りをしたとき、ぼくの憤りは頂点に達しました。
そして、スポーツが不快な思いをさせることを知りました。
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試合は、長崎を首位打者にさせることを優先した結果、中日ドラゴンズが大勝し優勝しました。
しかし、田尾選手の気持ちはどうだったのでしょうか。
後に関根潤三は、大洋のような弱小球団は、首位打者くらいしか話題にならないからと、田尾選手に言い訳したそうです。
が、多くの野球少年の心を傷つけたことに、言い訳はありませんでした。
高校野球での星陵松井への敬遠、王のホームラン記録を守るためのバースへの敬遠など、いろいろな理不尽が頭をよぎります。
スポーツが子供に夢を与えると言うなら、こういうことは未来永劫しないと、スポーツ界全体で誓って欲しいと思います。
・・・おわり