通勤日記ー関西弁で襲われてー
痴漢対策の一環で、女性専用車両が登場したのは、いつ頃のことだったろう? 調べてみるとその歴史は古く、明治四十五年の中央線にまでさかのぼる。当時は「婦人専用列車」と称していたそうで、男女の交わりを防止するという意味合いで導入されたらしい。
痴漢対策で本格導入されたのは、平成十二年(西暦二〇〇〇年)の京王電鉄が始まりらしい。試験導入され、それが各電鉄会社に広まり、現在に至っているとのことである。
個人的に思うことは、えん罪を恐れる人々のために、男性専用車両も導入して欲しい。「強姦罪」が「強制性交等罪」に変わったように、性犯罪の被害者を女性に限定する必要は無い。男だって被害者になり得るのだ。
(小さい声で言うが、高校の通学に山手線を使っていたが、渋谷駅あたりで女性に股間を触られたことがある。あれはまさしく痴女だった)
余談さておき。
もっと言うならば、三十歳以上専用車両とか、高齢者専用車両なんていうのもあればいいと思う。シャカシャカと騒音を発しながら音楽を聴きたい人専用車両もあれば、周りの迷惑も減るってものだ。
まあ、これはちょっと悪のりかも知れないが、毎日深夜の電車に乗らざるを得ない身としては、ぜひ実現して欲しいものがある。素面専用車両だ。酒臭い車両に素面の状態で乗るのは、けっこう苦痛である。
これは、そんなことを考えるきっかけになったエピソードである。
☆ ☆ ☆
残業で遅くなり、疲れた身体で帰りの電車に乗ると、理不尽に酒の臭いが鼻をつく。ぼくも酒を飲むし、その際は臭い息を吐き出しているのだから、だれに文句を言える立場ではないのだが、やはり素面のときは精神衛生上よくない。とくに、他人のミスで遅くなった夜は、なおさらである。
その日は、同僚のつまらない失敗をカバーし、最悪のコンディションで電車に乗り込んだ。JR浜松町駅から有楽町駅までを山手線で、それから地下鉄有楽町線で和光市駅まで、会社を出てから約一時間が経過していた。そして東武東上線に乗り換え志木まで約十分、駅で電車を降りようとしたところ、大柄の男がぼくの胸ぐらを掴みこういった。
「われ、なにしてけつかるねん」
酒臭い息がぼくの鼻先にかかった。ただ、この男の関西弁には、関東の人間特有のイントネーションがあることを、ぼくは見逃さなかった。こいつは関西人じゃないと思った瞬間、思わず笑みがこぼれてしまった。関東の人間が脅すときに使う手であるが、岸和田出身の上司をもつぼくには、このようなニセ関西弁は通用しない。
そう言えば、その上司がいっていたのだが、ドラマの関西弁を聞くと、本場の人間は気持ち悪くなるそうだ。確かに関西弁なのだが、微妙なイントネーションが違和感となり、なんとも居たたまれない気持ちになるとのことだ。
その上司が、冗談で「べらぼうめ」といったとき、東京生まれ埼玉育ちのぼくは、確かに大いなる違和感を覚えた。決して「べらぼうめ」の「ベ」にアクセントはこない。まさに関西アクセントの「べらぼうめ」だったのだ。
関係ないが、ドラマの「おしん」も、山形の人には違和感があったのだろうか?
それはさておき、男が怒る理由に心当たりがあった。ちょうど電車が志木駅に着きドアが開いたとき、男の肘がぼくの肋骨あたりに当たった。そして、ぼくは痛みを感じ、反射的に手で男の肘を振り払ったのだ。
男にしてみれば、自分も押されただけなのに、何で振り払われなければならないのか、と思ったのだろう。でも、ぼくにとって脇腹は無防備なところであり、反射的に防御したに過ぎない。前方が詰まっていて、位置を変えるなどの回避ができない状況だったのだ。
ただ、もっと別な対応もあったのかなと、反省することはある。男に対し「すいません、ちょっと痛かったので」などと声をかければ良かった。いい訳をすれば、同僚の失敗リカバリーで遅くなり、車内はアルコールの匂いが充満、こんな状態で気持ちが少し怒りの方向に向かっていたのだ。
男の身体はかなり大きく、明らかにぼくより喧嘩が強いと思われる。喧嘩で挫折をしらない人間特有の横柄さで、相手をねじ伏せようとする意図が見え見えである。
しかし、男はしたたかか酔っている。殴られそうになっても、何とか逃げ切れるだろうと思うと、少し心に余裕が生まれた。
「あなたの肘がボクの身体に当たり、痛かったんですよ。あなただって逆の立場なら、同じことをしたんじゃないですか」
ホームに降りると反論した。しかし言葉での応対は一瞬にして瓦解した。
「われ、こっちに来いや」
男はぼくの胸ぐらをつかみ、ホームの隅に引きずろうとしている。
「ちょっと、やめてください。いい加減にしないと、人を呼びますよ」
こう言っても、男はまったく聞く耳を持たない。周りの人も見て見ぬふり。
しかたなく、
「誰か助けてください。駅員を呼んできてください」
大きな声で叫んだ。すると男は、
「ふざけるんじゃねえぞ、馬鹿野郎」
捨て台詞を残して、エスカレータの上に消えてしまった。このときの男には、関西弁のかけらもなかった。
やっぱり男はニセ関西人だったのだ。
・・・つづく
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