通勤日記ー台風の夜泣く女ー
東武東上線の志木駅東口は、再開発事業の結果、おおきく変貌した。それまでの東口(当時は北口と言っていた)は、狭い道にバスの発着場があるだけで、ロータリーと呼べる広場はなかった。駅前に入ってきたバスは、人を降ろすと、その先にあるターンテーブルにのって折り返し、ふたたび人を乗せて出発するという有様だった。
駅前には、コトブキというケーキ屋さんがあるだけで、ロータリーのある南口と比べると、新宿駅と田端駅くらい華やかさに違いがあった。(田端駅さん、ごめんなさい)そして、最終バスが出て行ったあとはタクシー乗り場となり、正規のタクシーだけでなく、違法タクシーも出入りする無法地帯となっていた。
そんな志木駅東口も、いまはマルイファミリーの大きなビルが建ち、バスとタクシーが発着するロータリーもできあがった。当時を知るものとしては、まさに隔世の感である。
このはなしは、そんな再開発が行われた頃のことである。
☆ ☆ ☆
台風が近づく夜、いつものように志木駅を降り、バス乗り場まで歩いていた。今、志木駅北口は再開発事業まっただ中で、駅前から百メートルほど歩いた「ららぽーと」というデパート前が、バスの発着場になっている。(二〇二四年現在、ららぽーとは取り壊され、跡地はマンションになっている)
台風は、夜半には関東地方に上陸すると予想されていたため、会社を早く出て家路を急いだ。東武東上線は、よく台風が来ると止まるので、交通機関が正常なうちに帰宅しようと、必死に仕事を片づけて会社を飛び出したのだ。
志木で電車を降り駅舎を出ると、傘をさしても横殴りの雨がスーツを濡らし、買ったばかりのリーガルのスリップオンも、びしょびしょ状態になってしまった。何でこんな日に、いい靴を履いてきたんだろうと後悔しながらバス停まで歩いてきた。
ぼくは新しいものを買うと、状況を考えずに使ってしまう傾向がある。だいぶ前の話だが、雪の日に真っ赤なグランドシビックを納車してもらい、その日のうちに、整備に入院させてしまった。あれは本当にショックだった。
まぁそんなことはどうでもよい。ぼくは百メートル先の臨時バス停を目指し歩いていた。するとラッキーなことに、まるでぼくを待っていたかのようにバスが停車していた。
バスが発車してしまう不安から、少し早足で歩きバスに飛び乗った。またまた幸いなことに空席が見つかり、すかさず腰を下ろし、ああ良かったと胸をなで下ろしながら窓の外を見たときであった。
ここからが本題。
ららぽーと前の暗がりでしゃがみ込み、大泣きしている女が一人、雨に濡れていた。前髪からは滴が落ち、女性の深い悲しみがひしひしと伝わってきた。いったいどうしたんだろう。あれこれ詮索を始めるぼくであった。
そのうち一人の男が女に近づき、なだめるような仕草を始めた。ははん、これは男女の痴話喧嘩であったか。そういえばこのような光景は、夜十一時過ぎの駅構内でよく見かける。きっと、二人にとっては重要でも、他人にとってはどうでもいい話なんだろうな。
男は泣きやまぬ女を見て、最初は肩を抱いたり腕をとってみたりしていたのだが、そのうちいらいらしてきたのか、何か大きな声で訴える行動をおこした。
「なんで解ってくれないんだよ」てなことをいってるのだろうか。それに対して女は、相変わらず泣き続け、男の言葉に無反応。そして男は、女の肩を揺すると、プイとどこかへ立ち去ってしまった。
ぼくは、もう少し見学していたかったのだが、無情にも時間に正確な運転手によって、ささやかな楽しみを奪われてしまった。
まあ、最近のテレビドラマの影響なのか、テレビドラマが最近の若者風俗に迎合しているのかは解らないが、現実と空想の境目がなく、どこかで見たような光景が繰り返されていると感じるのは、ぼくだけではないだろう。深夜の駅の改札では、誰はばかることなくチューをしている若者を見ることも、少なくない。
ぼくがドラマの脚本家なら、喧嘩した二人はいったん別れさせ、どこか遠い外国(トルコのイスタンブールあたりがいいかな?)で偶然の出会いから再びくっつき、でも結局また喧嘩して別れ、お互いに恋人よりも友達の関係が最適だったんだと気づかせ、互いに相手の結婚式に出席し、子供もできて十年後に、またまた軽井沢あたりで家族ともども偶然に出会い、それがきっかけで不倫の関係になってしまう、というストーリーを思い浮かべてしまう。
・・・つづく